「羽咋には空飛ぶ円盤の神話があるじゃないか!」と、鳥肌が立ちました。(1)



『ローマ法王に米を食べさせた男』
高野誠鮮  講談社  2012/4/6



<CIAの戦略で、マスコミを使ってPR>
・そのレポートによると、人間がどうしてひとつの方向にがーっと動くかというと、目と耳から入った情報によって心が動くのだと。つまりひとつの村、集落を動かすときには、常に話題の中心にこの村を置けばいいと思ったんですよ。神子原発のニュースをいろんなところに振りまけばいいと。
地元紙をはじめとするメディアで「また神子原で何があった」「また神子原でこんなことをする」など、神子原でどうだこうだというのを何度も発表するようにしていったんですね。
 ただ、メディアの効果っていうのは2週間もすれば冷めちゃうわけですよ。それが忘れられかけた頃に毎回どん、どん、どんと出すようにすれば、きっと反対した農家もこう思うに違いありません。「あいつら、どうも本気のようだ—―」

<「ローマ法王御用達米」に認定!>
・するとカレンガ大使が「あなたがたの神子原は500人の小さな集落ですよね。私たちバチカンは800人足らずの世界一小さな国なんです。小さな村から小さな国への架け橋を我々がさせていただきます」と言ってくれたんです。
 正式に法王への献上物にしてあげますということです。これは法王様が召し上がるにふさわしい米だと言われたんです。

<ニュースの連発で顧客を得る>
・ローマ法王庁大使館に行った時ももちろん地元の北國新聞に伝え、記事にしてもらいました。またまた神子原発のニュースです。
 いっぽうでカトリック新聞にも、私たちが法王庁に行ったことが書かれていたんですよ。法王庁に行って2日後に電話がかかってきました。東京・四谷の聖イグナチオ教会のバザーの関係者と名乗る、非常に品のよい奥様からでした。
「お宅様に、法王様に献上されたお米はございますの?」
「はい」
「では、5㎏の袋で何百、3㎏の袋で何百、1㎏の袋で何百、すぐに送ってくださらない?」とおっしゃるんです。ものすごい量です。

<外国人記者クラブで記者会見>
<可能性の無視は最大の愚策。1%の可能性があるならやってみる>
・神子原米と酒の「客人」は、ものすごいセレブ雑誌にも掲載されました。『クラブ・コンシェルジュ』という雑誌、知ってますか?年収が数億円の人が読む雑誌です。最初のページを見てびっくりしました。城を売ってるんですから。フランスの城。カードで買えるんですよ。182億円。次はプライベートジェットですよ。そしてクルーザー。ありとあらゆるものを売っているんです。そこに3500円の米と3万3600円の酒が登場するんです。つまり日本の中のほんの一部のセレブリティーである彼らが本当に食べてもいい米だ、飲んでもいい酒だとして神子原米(みこばらまい)と「客人(まれびと)」は紹介されているんです。これはとくに私のほうで掲載を働きかけたというのではなく、ローマ法王が召し上がっている米だということで掲載されたんです。やはりローマ法王の力は大きかった。格が違うんですよ。

<UFOで町おこし>
<「町おこし大会」では、町はおこせない!>
<郷土愛を深めた『羽咋ギネスブック』>
・「心おこし」をやってみようと決まりました。
 実は話をすると1時間以上もかかる長い理念を作ったんです。全国114ヵ所の町おこしの事例を見ていくと、なぜ町づくりをするのか、町おこしとは、一体なんなんだという理念・考え方が確立しているところは成功しているのです。

・人・自然・文化・産業さまざまな分野について調べあげて、羽咋市で1番のもの、誇りたいものを探してみようと調査したんです。そして青年団のみんなでお金を出し合って、半年かかって『羽咋ギネスブック』という本を作り、市内の8000世帯全部に無料で配布したんです。

<町の古文書が町おこしのヒント>
・『羽咋ギネスブック』を作っている時に、公民館で古文書講座がありました。その時に奇妙な古文書を見つけたのです。羽咋には氣多大社という奈良時代以前に創建され、『万葉集』に記述があるほどの長い歴史をもった神社があります。そこの古縁起書に、「成山飛行虚空神力自在而……」という神力自在に空を飛ぶ物体が出てくる奇妙な一文を見つけ、他の古文書には「そうはちぼん伝説」という不思議な伝承が書かれてありました。
「西山の中腹を東より徐々に西に移りゆく怪しき火を、そうはちぼん、或はちゅうはちぼんと云ふ」

・「そうはちぼん」とは、麦藁帽子のような格好をしていて、縦に持って2つ合わせてぐるぐると回しながらたたく仏具のこと。そういう形をした光ったものが、東から西山へ飛んでいったと書いてあるのです。………これはまさにUFOではないか!
「羽咋には空飛ぶ円盤の神話があるじゃないか!」と、鳥肌が立ちました。

・それでも最初は恥かしいものだから、仲間うちに「UFO信じる?」という話をして、興味のある人間だけを集めて、「こういう古文書が見つかったんだぜ」と話をしてみたのです。2年ほどかけて自分たちの町を1軒の家にたとえて、1人の人間に考え直してみて、何をおこせばよいのかという理論体系を作って、そして、いろんな行動をしてみようと言い合ってきた仲間たちです。

・1つは「思源作戦」と名づけた作戦です。私たちは金も資源もないので、「思う源」と書いて思源、「知恵を出そうよ」という戦略なのです。怪しい古文書を頼りにして町おこしだと言っている私たちに助成金や補助金なんか出るわけがないので、すべてにおいて知恵を出し合おうということをベースに置きました。
 次は「マスコミおこし作戦」です。これは町おこしの根幹はマスコミにあるという考え方です。どんな小さな扱いでも、マスコミが羽咋の情報を流してくれればいい。新聞やテレビで報道し、雑誌に掲載してくれれば、町の大きな宣伝になるんです。

<レーガン、サッチャー、ゴルバチョフに手紙>
・ただ、「レター作戦」を行った時に、最後まで返事が来なかったのは、「ふるさと創生」を言い出した竹下登首相でした。外国からは、代理なり秘書から返事が来ているにもかかわらず、日本の総理へは5回も配達証明付きで出したけど、なしのつぶてでした。同じ国民なのに一言も返事をくれないんですね。日本の行政はこういうものなのかと寂しくなりました。

<「UFOうどん」で商店街を活性化>
・後日、彼は記事を書いてくれました。こちらで提供できたのは、ぺらぺらの古文書のコピーとUFOうどんだけだったのに、なんと6ページもさいてくれたんです。
見出しは、「能登半島にUFOの基地ができた」。
 他にも古文書があった氣多大社の巫女に「あそこでUFOを見ました」などと言わせて写真を撮り、1しかない情報を10にも100にも増やして書いてくれました。

<国連で記者会見してアピール>
・その後でスタンフォード大学のピーター・スターロック教授に会いに行き、最後はニューヨークの国連です。ここでなんと大胆にも記者会見を開いたんです。
「1978年に行われた第35回国連特別政治委員会126号議案、まだ実行されていませんよね。我々の町で実行したいんです」って。126号議案はUFO問題なんですよ。「UFOの情報を整備、統合する機関を国連内に持たないといけない」というもので、UFOが世界各地で観測されて問題になっているから、国連でこの問題を取り扱うと可決されているんですよ。けれどまだ実行はされていなかったので、「今度羽咋市で宇宙科学博物館を作る予定があるので、ぜひ我々に実行させてください。そのかわり国連のマークを使わせてください」ってアピールしたわけです。

<「UFO国際会議」で宇宙飛行士を呼ぶ>
・でも会場の人々は、本物の宇宙飛行士の講演に納得してくれました。スタッフが素人集団だったので、他にも停電が起こるなどのトラブルがあり、順風満帆ではなかったけれど、人口2万5000人の羽咋市に、9日間で4万5200人の人が集まりました。

<「コスモアイル羽咋」に本物のロケットを>
・また、展示物だけではありません。アメリカには展示用品の交渉などで3ヵ月間滞在しましたが、スタンフォード大学やハーバード大学などの名門大学の科学者32人に、「なぜUFOの調査をしているのか」をインタビューしたのです。アメリカでは地球以外に高度な文明を持つ異星人がいると信じられています。しかもそれについてスタンフォード大学やハーバード大学の教授が論文を書いているのです。UFOを眉唾と思っているのは、本当に日本ぐらいです。

<ベルリンの壁で作った平和の鈴>
・そうしたらドイツで大騒ぎになったんです。ドイツのARDというテレビ局が取材に来て、30分の番組になり、羽咋のことを一通り触れてくれた後で、「彼らがベルリンの壁を平和の鈴に変えた」と私たちを紹介してくれたんです。その放送があってからドイツから多くの壁の破片が送られてきました。UFOベルリンリン、いっぱい作りました。「コスモアイル羽咋」の大人気のおみやげになったんです。

<“奇跡のリンゴ”木村秋則さんを口説く>
・けれど木村さんとお話しするうちに、そういった考えはなくなりました。UFOや宇宙の話はおもしろいのだけど、もっと大事なことがあります。今の日本の食糧事情のほうがはるかに問題なんですよ。だって歳入48兆円の国が、28兆円も医療費を払っている。こんな先進国ないですよ。ふつうの家庭に置き換えてみると、年収480万円の家が、280万円も医療費を支払っていることになる。そんな家があったらおかしいと思いません?よくないものを食べているからだと思いませんか?農薬、化学肥料、除草剤、いちばん使っているのは中国じゃないですよ。アメリカでもない、日本ですよ。こんな小さな島国で異常ですよ。

・農薬まみれ、化学肥料まみれの農作物ばかり食べていると、何かとんでもないことが起きるおそれがある………。こうなるとじっとしていられません。

・弘前の木村さんのリンゴ畑、ちょうど収穫の時期でした。中に入ると、信じられないくらいに土がふかふかやわらかかった。固めていないのです。だから土の中では微生物が元気に動き回っているんです。土もいい香りがして、健康そのものだとわかりました。

・農家が錯覚しているのは、「俺の大根を見てくれ、ほら虫が食ってるだろ。安心だろ」って言う。けれど虫が食うほど危ないんです。未完熟な堆肥を使ったり、化学肥料を使ったりするので、硝酸濃度が高くなって虫が来るんです。虫が来るから殺虫剤をまくんです。山の中の天然栗には、虫がほとんどいないじゃないですか。なぜ人間が育てた栗は虫だらけなのか。化学肥料を使って育てたから、体に悪い、食べちゃいけないものが含有されているので、きっと虫が警鐘を鳴らしてくれているんです。もし、すべての野菜に虫がつくならば、世界中の野菜を食べ尽くしてしまっています。この世に野菜はもう残ってないですよ。

・ヨトウムシ、ヨトウガの幼虫です。夜盗虫と書くように、夜にぱーっと出て野菜を食い散らかしていく。化学肥料まいたところにはこいつらが現れて、葉っぱ1枚残さず食い散らかしていく。けれど化学肥料まいていないところにはヨトウムシ来ませんよ。近年、そのメカニズムがようやくわかってきたんですね。

・結局、化学肥料とかよけいなものを使うから虫がつくし作物も腐るんです。人間もそうですよ、よけいなものを食べるから体が腐るんですよ。病気になるんです。28兆円も医療費を払っている、こんなばかげた先進国はないですよ。

<「自然栽培実践塾」で未来の農業を!>
・ただ、何十年も慣行栽培の農家をやってる人から、「そんな農薬、肥料、除草剤使わないで米作りができるんやったら、わしらは、ここまで苦労はせん」と笑われたこともありました。自分たちで試したこともないのに、自然栽培なんてやれるわけがないと決めつけているんです。
「おまえらがそんなことやって、カメムシ出てきたらどうするんや!」
「害虫が増えて、おらっちゃの田んぼに入ってきたら、どう責任とるんや!」と怒鳴られたこともありました。

・たしかに自然栽培で作っている田んぼの周りは雑草だらけです。
 そして多くの農家たちは、何十年もの間、雑草が虫の温床、害虫の温床になっていると刷り込まれている。だから雑草が生えると害虫が増えて稲の生育を妨げる、品質を悪くすると思ってしまう。それで農薬を使って害虫を駆除するんです。悪いやつがいると全部排除、殺してしまえという発想なんですよ。
 でも自然栽培の見方は、害虫も生態系の一つというものです。

・また、忘れてはいけいない問題として、種があります。
 現在、多くの農家が野菜作りで使っているのは、F1種という一代交配種の種です。この種で出来た作物は、収穫時期が同じ、大きさも均一で、農家やJAにとっては便利なものです。けれど問題なのは、この種で作った作物からは種が取れないことなんです。子孫を残せない野菜を「野菜は身体にいい!」と、食べているわけです。どこかおかしいと思いませんか?また、農家としても種が取れないから、毎年種を買い続けなくてはいけなくなる。
 このF1種、アメリカの多国籍企業が、そのほとんどを売っているんです。ベトナム戦争で枯れ葉剤などを製造した会社はその1つです。
 一方で種を実らせる「固定種」を売っている良心的な種屋もあります。



『ローマ法王に米を食べさせた男』
過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか?
高野誠鮮  講談社+α新書  2015/6/22



<過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか?>
●限界集落の惨状の本質を見抜く
●上司にはすべて事後報告
●60万円で限界集落から脱却!
●神子原米のブランド化PR戦略
●可能性の無視は最大の愚策
●エルメスの書道家がデザイン
●{UFOで町おこし}を実現!
●“腐らない米”を武器にTPPに勝つ!
●定年前に「国宝」を作る!
●日本初の「寺の駅」誕生!

<最後も、やらかす、——世界を相手に真剣勝負!>
<定年前に与えられた無理難題>
・最近の会社員、とくに大企業に勤めている人は、公務員化しているようです。いざ新しいプロジェクトを始めようとすると、失敗することを恐れて初めの一歩が踏み出せず、前例ばかりに縛られていい知恵も出てこない。そして何より誰も責任を取りたがらない。そのくせ会議は何回も何十回も開き、分厚い立派な企画書を作りたがる……。

・この本でご紹介する羽咋市の神子原地区は、かつて1000人以上いた人口が半減し、65歳以上の人間が半数を超える“限界集落”になっていました。

・この本は平成24(2012)年4月に同タイトルで単行本として刊行したものに加筆・訂正し、新たに第6章を加えて新書化したものです。
 ―—今、本当に痛感しています。成功と失敗は紙一重だけど、やるとやらないとでは雲泥の差が生じるということを。

・オランダを見てください。面積は九州より少し大きい程度、人口は日本のおよそ8分の1しかないにもかかわらず、農産物輸出額がアメリカに次、いつも2位、3位。2013年の調査では世界2位で933憶ドル。日本は55位で46憶ドル。20倍以上も差があるんです。

<自然栽培の食材で癌が治った人>
・「腸内フローラ」という、お腹の中にいる微生物が人間を健康にしてくれ、痴呆を防いだり、発癌を抑制してくれるということが学術的にも注目され、話題になっています。
 私の知っている限り、自然栽培の米や野菜を食べることで食道癌が消えて人が5人います。中には末期の人もいました。抗癌剤は使っていないのに、これ、なんなんだと。その因果関係に着目している医者もいます。
 木村秋則さんが作るリンゴは微生物の塊で、電子顕微鏡で見ると、市販されているものの8倍から10倍くらいいるんですよ。気持ち悪いくらいうじゃうじゃいる。

<定年後の夢は、世界挑戦!>
・役人引退後は、ぜひ会社作りをやりたいと思っているんですよ。公務員という立場のステージにいる時は無理でしたから。どのような会社か?
 木村秋則さんを中心とする自然栽培の同志たちをまとめる人が、今はいないんですね。

<感動よりも行動してほしい>
・北は北海道から南は沖縄まで、47都道府県で講演しました。地域活性化をテーマに多くの人に来ていただき、「感動しました」との言葉をよくいただきます。ありがたいです。でも、申し訳ないけれど、感動はいらないですよ。感動よりも行動です。地域の人のために動いてくださいと、辺境の私たちが出来たのだから、みんなやれるはずなんです。

<「予言者的発言」はスルーする>
・そもそも役人は「役に立つ人」、役所は「役に立つ所」です。なのに汚点をつけられたくないばかりに何もしない職員、本当に嫌になるくらい多いんです。何もしないから失敗もしない。おかしいと思いませんか?「そんなことしてどうなる」「失敗したらどうするんだ」というマイナス思考の人の話は意味ないですから、聞くふりをしてスルーしています。

<「超能力考古学」で宝探し>
・100回挑戦して1回か2回成功すればいい、でも、これはものすごい確率なんですよ。宝くじよりすごい。宝くじなんて何年買い続けても当たらないじゃないですか。地域活性化は、やったらやっただけのことが返ってくる。たとえ失敗続きでも、100回はくじけずにやってみて、一つでも当たればみんなに喜ばれるのだから。

・もう一つは、かつてスプーン曲げ少年として一世を風靡した、旧知の仲である清田益章君絡みのプロジェクトです。清田君には、「スプーン曲げのパフォーマンスもいいけれど、君の持っている超能力で社会の役に立つことをやってみようよ」と言って、引き受けてもらいました。
 羽咋と島根県の出雲はよく似ていると言われます。石川県の6割近い埋蔵文化財が昨年から発掘されているし、100mクラスの王墓(古墳)もあるくらいだから、出雲のように銅鐸や銅矛が埋まっていてもおかしくないんです。けれどどこにあるかがわからない。それを清田君の超能力で、能登半島の地図を広げて、ここだと思うところにまち針を刺してもらい、そこを実際に発掘する。なにかのヒントだけでも見つかったら、それはそれで大成功ですよ。

<山が高くないと裾野は広がらない>
・公務員には3つしかいないと思います。いてもいなくてもいい公務員、いちゃ困る公務員、いなくちゃならない公務員、それを選んでいるのは、結局、本人なんですね。

・まずは物事の本質を見極め、次にやってみて、失敗して転んだりもするが、そのうち身体がバランス感覚を覚えて倒れなくなると、今度は“成功”といわれる。

・迷った時、自分の身体を心の目で観察すればいいのだ。目に見えない小さな細胞は、慈悲利他行為をして全体を維持していることに気づかされる。脳は愚か者でも、身体の細胞は、まるで菩薩様のような生き方をしている。ただし、癌細胞だけは周囲を欺き血管にバイパスを作り、栄養を盗んで自分たちだけ繁栄しようとする。気づかなければ母体は死んでしまう。



『「伝説」はなぜ生まれたか』
小松和彦   角川学芸出版    2013/3/23



<「生贄」と「異人」、身代わりの論理>
<二つの生贄祭祀>
・ところで、右の事例は、村落共同体とその幻想的な異界(自然)との関係を描いたものである。村落の存亡は作物の出来・不出来であり、それを左右する天からの水を支配しているのは、天界の大蛇(龍神・水神)である。長い日照りが続いたために共同体が危機に瀕している。長者はこれを救うために天竺の大蛇のところまででかけ、「生贄」を求められることになる。
 水を支配する大蛇(異界)が「生贄」を好むならば、日照りが襲ってこないように、定期的に「生贄」を差し出そう。それを提供し続けることで作物の豊穣を確保できる――こうした思想に基づいて行われるようになったのが、「生贄」祭祀である。いいかえれば、これは異界との「富」の交換の物語ということができるだろう。しかも、この異界との交換は、両者ともに満足のゆく結果をもたらす限り、安定した関係といえるだろう。

・ところで、共同体の「長」が共同体内の誰かを生贄として差し出す祭祀を、共同体の外部(=異界)から訪れた者(=異人)が廃止するという説話も伝えられている。『今昔物語集』巻26の第7話と第8話は、その種の物語のなかでももっとも有名な話である。この話はまた、生贄の祭祀の状況をリアルに描いている点でも興味深い。

・この二つの生贄話は、一見した限りでは、上述の事例と同様の話にみえる。しかし、まことに対照的な構造となっている。すなわち、一方は異界と共同体の間の直接的な交換であるのに対し、他方は、第3項としての「異人」が介在する物語だからである。しかも、二つの話の内容には微妙な差異も見出せる。第8の話は、村落共同体自体が共同体内部からの「生贄」の調達を厭いだし、共同体の外部の者(回国の僧)を「身代わり」に立てる方法で対処しようとしているのに対し、第7の話は、共同体の外部(東国)からやってきた者(猟師)が、「生贄」祭祀のことを耳にし、自分から進んで「身代わり」に立っているのである。

<身代わりに立てられた僧>
・まず、第8の方の話から検討してみよう。この話の概略は、次のようなものである。

 飛騨国の山中で道に迷った回国の僧が、たまたま出会った男に山里に案内され、郡殿(大領)の決定に従って、ある男の家で世話をしてもらうことになり、しかも一人娘を妻としてあてがわれる。8ヵ月ほど経った頃から、家の者が「男は肥えた方が良い」といってご馳走攻めにする。不審に思った僧が妻にわけを詰問すると、妻は「じつは、この郷の者が祀る猿神は、年に一度生贄を求める。この私が次の生贄になることになっていたが、その身代わりとしてあなたを出そうとしているのだ」と教える。
 祭礼の当日になり、村人たちは僧を裸にして俎(まないた)の上に載せ山中の祠の前に運び、神楽を奉納したあと、一人残らず郷に帰っていった。やがて猿神が現れるが、僧はこの猿神を捕縛し村に連れ帰る。そして人びとの前で、二度とこのようなことはしない、という約束をさせて追い払った。その後、この男はたくさんの人を使う「長者」となった。

・この話で興味深いのは、この村落の人びとが村落の外部に「身代わり」を探し求めていたのであって、その外部からやってきた僧は、自分が身代わりの生贄とされるためにもてなしを受けているのだということを知らなかった、ということである。僧の妻となった娘が事前に真相を明かさなければ、僧は生贄として猿神に差し出されて食べられていたのである。さらに推測すれば、この僧が猿神を退治するまで、たくさんの旅の者が身代わりの生贄として猿神に差し出されていたにちがいない。
 いま一つ留意したい点は、この僧は猿神を退治した後、この里に住み着いて「長者」になった、と語られていることである。この「長者」が「郡殿」(大領)をしのぐほどの存在、つまり「首長」であったかどうかはわからないが、共同体の「外部」からやってきた者が土地の女性と結婚してその「王」となるという、人類学で言う「外来王」的な性格をもっている。

<自ら身代わりに立った猟師>
・第7の話の概略を紹介しよう。

・美作国に中参・高野という神がいた。中参は猿、高野は蛇であった。土地の者は、毎年一度の祭りには人間の生贄を差し出すことが決まりになっていて、ある家の、年の頃16、7歳の美しい娘が次の年の生贄に指名された。たまたま東国からやってきた猟師がこの話を耳にし、娘を妻にくれるなら自分が娘に代わって生贄となろう、と申し出る。娘の命が助かるならばと、親は娘を人知れず男に娶らせる。男は飼っている猟犬から二匹を選び出して特別な訓練を行ない、刀をしっかり磨きあげた。
 やがて、祭りの当日がきた。「宮司」(神主もしくは祭司)を筆頭にたくさんの人がやってきて生贄を入れる長櫃を寝屋に差し込んだ。男がこの長櫃のなかに犬とともに入ると、親たちはそのなかに娘が入っているかのようなそぶりをしながら、一行に長櫃を差し出す。祭礼の行列が社に到着し、「祝」が祝詞を唱え、瑞垣の戸を開けて長櫃を差し入れたあと、その戸を閉じ、その外で宮司たちは並んで待機する。
 男が長櫃を少し開けて覗き見ると、丈七、八尺もあるかと思われる猿を中心にたくさんの猿が居並び、俎と刀も用意されていた。この大猿が長櫃を開けると同時に、男と犬がそこから飛び出し、大猿を捕えて俎の上にすえて刀を当て、頸を切って犬にやろうか、と迫った。このとき、一人の「宮司」に神(大猿の霊)が憑いて、「もう生贄を求めない、この男や娘の親にも復讐したりしない。だから助けてくれ」と助けを求めた。これを聞いた宮司たちが社のなかに入ってきて、「神様がこのように申されているのだから、どうか赦してください」と頼んだが、男が「この者と一緒に死ぬのだ」と少しも赦そうとしないでいると、「祝」(つまり大猿の霊)は言葉に窮し、誓いの言葉を何度も述べたので、赦してやると、猿は山に逃げ去る。家に戻った男は末永くその娘と夫婦となって暮らした。

<能登半島の猿鬼退治伝説>
<発掘された猿鬼伝説>
・ここで、その具体的な例として、第1章で詳細な検討を加えた能登半島の輪島市と能都町旧柳田村に伝わる「猿鬼退治」伝説を、「天皇」と「村落」との接続のプロセスを物語る事例として取り上げ直してみよう。
 繰り返しになるが、地元に伝わる「猿鬼伝記書」によって、この伝説の概略を改めて紹介しておこう。

 昔、当目(能登町旧柳田村)という集落に岩井戸という洞窟があって、そこに「猿鬼」と呼ばれる恐ろしい鬼の一党が潜んでいた。当目の村の家々は、次から次へと猿鬼に襲われ、この噂が神々の耳にも入り、日本中の神たちが「出雲の国」に集まって猿鬼退治を相談をし、能登での出来事は能登の神が解決すべきだということになり、気多大明神(大穴持命)と三井の女神の神杉姫という神に、猿鬼退治の命が下される。神軍が猿鬼一党を攻撃したが、猿鬼は不思議の術を使う化生の者なので、なかなか征伐することができないでいたが、神杉姫の策にはまって鬼たちが酒宴を開いていた隙を狙って急襲し、ついに猿鬼の首を切り落とす。
 その後、猿鬼の魂魄が祟りをなしたので、神杉姫が僧に身をやつしてやってきて、その魂魄を鎮めた。

<猿鬼を退治した神は誰か?>
 この猿鬼退治に関する記録が現れた最初は、安永六年(1777)の『能登名跡志』記載の記事である。この記録は、いわば現代の民俗学者や地誌学者が地方を訪問して、地元に伝わる文書や聞き取りから制作した地誌・民俗誌のたぐいである。それには、次のように記されている。

 この当目村方々へ散村になりて蓮華坊いふが往来也。千毒といふ川中に、岩井戸といふ不思議の洞あり。海辺より三四里の山奥なれども、汐のさしひきあり、烏賊など吹き出せしことあり。昔この洞に猿鬼といふもの住みて人を取る。これを大穴持命退治ありて、その霊を祭て今猿鬼の宮とてあり。案ずるにこれは狒々(ひひ)の類なるべし、そのほかこの猿鬼退治ありし時の旧跡色々あり。



『世界不思議大全  増補版』
泉保也     Gakken   2012/8



<ジョージ・アダムスキー  史上最大のUFOコンタクティ>
<驚異の宇宙旅行と素晴らしい宇宙船>
・アダムスキーは、その後数回にわたって異星人とコンタクトすることになるが、そのたびに彼は驚くべき体験をしている。
 1953年2月18日、例によって彼は予感めいた衝動に駆られ、ロサンゼルスのとあるホテルに投宿した。
 夜になって、ロビーにいたアダムスキーにふたりの男が接近してきた。ふたりは普通の服を着ており、話す言葉にも何らおかしなところはなかった。
 しかし、彼らが握手を求めてきたとき、アダムスキーは異星人だとわかった。彼らは特殊な握手をするからである。
 ふたりはアダムスキーを車に乗せ、砂漠地帯に向かい2時間ほど走行。ドライブ中、ひとりは火星からやってきたといい、もうひとりは土星からやってきたと話した。
 車が砂漠に着くと、そこにはUFOが待機していた。近くには例の金星人がいて、アダムスキーをにこやかに出迎えた。不思議なことにこのとき彼は、英語を流暢に話せるようになっていたのである。
 アダムスキーは、彼らに仮の名前をつけ、金星人をオーソン、火星人をファーコン、土星人をラミューと呼ぶことにした。

・UFOは信じられないくらいの高速で飛行し、地上1万2000メートルの高度に達した。そこにはなんと、全長600メートルはあろうかという巨大な葉巻型母船が滞空していたのである。

・アダムスキーを宇宙旅行に招待したのは、偉大な指導者(マスター)と呼ばれる人物だった。

・土星型UFOは、上空に待機している母船に向かった。今度の母船には、20歳前後にしか、見えない人々が大勢いたが、彼らの年齢は、実際には30~200歳以上にも達するという。

<コンタクティ  異星人からのメッセージを伝える人々>
・コンタクティの証言を「コンタクト・ストーリー」という。

<ハワード・メンジャー>
・アメリカ人。初コンタクトは1932年の夏で、金髪の金星人女性と会見。高校卒業後、陸軍に入隊してからハワイで黒髪・黒眼の異星人と出会い、太平洋戦争時の沖縄戦に従軍した折、沖縄で軍服を着た金星人と会見、「今後もコンタクトが続く」と告げられた。

・退役後の1956年にニュージャージー州プレザント・グローブでUFOを目撃して搭乗員の男女と会う。以後、金星や火星、木星、土星から来たという異星人と何度も会見し、UFOに同乗して金星や月の裏側にある基地を訪れた。妻も金星人の転生者だという。

<安井清隆>
・日本人。岡山市で語学塾を開いていた1960年4月23日の夜、満月の2、3倍はありそうな土星形のUFOを目撃。1週間後の30日午前4時すぎ、テレパシー通信を受けて戸外へ出たところ、3機のUFO編隊を組んで旋回しているのを目撃した。うち2機は姿を消したが、残る1機も導かれるようにあとを追った。

・UFOは総合運動場に着陸し、中から銀色のスーツに身を包んだ、2メートル40センチほどの長身でマスク姿の人間が現れ、両手を差しだしながら安井に近づいてきた。握手後、マスクをはずした男の顔は彫りの深いヨーロッパ系だったが、日本語で話しかけてきた。しばらく、会話を交わしただけで、最初のコンタクトは終わった。

・同じ年の10月30日、「富山県黒部市の宇奈月温泉近くの河原で待つ」というテレパシーを受信。11月1日の夕刻、黒部川で先に会見した男性と金髪の女性と遭遇した。男性はチュェレイと名乗り、それが母星の名でもあると語り、直径5~6メートルの小型円盤への搭乗を許された。円盤は15分ほどで白馬岳の頂上付近に到着。直径30~40メートルの円盤に乗り換えた。内部は操縦室、食堂、倉庫、会議室からなっていた。

・その後コンタクトは中断し、再開されるのは1970年2月。岡山市郊外でチュェレイと再会し、円盤で白馬岳の基地を訪問。全長60キロはあろうかという葉巻型の巨大母船の映像を見せられた後に、その母船へ案内された。母船は恒星間飛行に用いられるもので、内部には森や湖、山などがあり、建物が立ち並び、小型円盤が飛び交っていた。1971年2月末には、その巨大母船に乗ってチュェレイ星を訪問した。が、その後テレパシー通信はぱったり跡絶えてしまったという。

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