ビジネスモデルが構築されれば、日本の農業は必ずや成長産業として復活する(1)


『2025年  日本の農業ビジネス』  日本の農業はこう変わる!
21世紀政策研究所 ・編      講談社  2017/3/15



<大規模農家は増えていく>
・つまり、一口に農家数が激減するといっても、実際には小規模・零細規模の農家が減るのであり、大規模の農家・経営体はむしろ増えていくのである。
 さらに、「小規模」「中規模」「大規模」の農家・経営体をそれぞれ農産物販売額の総額でシェア別に示したが7ページ下の図表である。小規模農家の総販売額が全体に占めるシェアは、2015年の26%から2030年には1.5%まで減り、そこで失われる金額は2兆2000億円ほどに達する。その一方で、大規模農家・経営体の総販売額は41%から74%まで増え、現在の販売額に換算すると約6兆5000億円増加する。退出する小規模農家の損失分を、大規模農家・経営体が補ってあまりある構造に変わっていく。
 この、国内の「小規模農家の減少=一部農家の大規模化」という現象を、危機ととらえるのか、それとも日本の農業が大きく生まれ変わるチャンスととらえるか――実は、ここが大きなポイントなのである。

<再び成長産業にするために>
・重要なのは、今後日本の農業を担うのは、数にしてわずか10万戸足らずの「中規模農家」「大規模農家経営体」であり、両者の総額で、8兆8000億円ほどの農産物販売額を今後10年、15年ぐらいのうちに9兆円、10兆円に膨らましていけるようなビジネスモデルの創出にあるはずだ。

<「15ヘクタール限界説」への疑義>
・さきほど、「前近代的で弊害の多い農業政策や制度が改善され、グローバル時代の新しい流れに即した農家(経営体)のビジネスモデルが構築されれば、日本の農業は必ずや成長産業として復活する」と述べた。この点についても、はじめに私たちの立場をはっきりさせておきたい。
 前述したように、日本の農村にはいま、5000万円から1億円規模の販売高を持つ農業経営体が増加し、ビジネス感覚に富む経営者が全国各地に現れつつある。稲作規模で言うと、おおよそ100ヘクタール規模で販売額1億円程度である。
 ところが不思議なことに、農業の世界ではつい最近までそういった大規模経営体の出現を絵空事と考えていた節がある。

・これはある学者の言説だが、学者に限らず、農政官僚や農協関係者まで、つまり農業界全体がこうした「15ヘクタール限界説」とでも言うべき説を支持していた。
 実際、農水省の米生産費統計調査という調査では、15ヘクタール未満の規模は7つの階層に区分され、それぞれ丁寧にコストが計算されているのに、それ以上の規模は「15ヘクタール以上」として一括表示されてしまっている。日本農業の可能性はこの「15ヘクタール以上」の農家にあるにもかかわらず、である。

・日本の農業界にはこの「15ヘクタール限界説」のような根拠の薄い「俗説」が多い。「日本の農業はどんなに努力してもアメリカやオーストラリアにはかなわない」「競争力のない日本農業にとって輸出は不可能な選択肢だ」「関税を撤廃すれば国内農業は壊滅する」「一次産業は必ず衰退する運命にある」………。
 こうした言説は、これまで零細農家の保護という名目を正当化するために農水官僚や農協関係者によってしばしば利用されてきた。先の「15ヘクタール限界説」を唱える一部の学者の中にも小農保護、兼業農家維持に傾斜し、自由貿易を推進するための仕組みであるTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に反対を唱える根拠として主張する者も出現するようになっていた。
 「零細農家を守れ」「小農を保護せよ」という議論は正論に聞こえるかもしれない。

<「保護」から「攻める」へ>
・日本農業の大変革は、少しずつであるが、先のような俗説を壊し始めている。
 2013年から、政府は「攻めの農林水産業」と銘打った農業政策を展開しはじめた。これは、「保護から農業成長産業化」へ転換し、輸出の拡大や法人経営の増加を目指す農政である。生産調整廃止、農協改革など、主要課題を着実に実行し、前身しているものの、当時掲げた数値目標が可能かというと、一層の努力が求められる状況にある。本書の執筆者たちは、多かれ少なかれ、この「攻めの農林水産業」農政に関わっている。
 米価維持、兼業農家維持を主眼としたこれまでの保護農政、私はこれを「稲作偏重農政」と呼んでいるが、この枠の中で農業を行なってきた人々にとっては「農業の成長産業化」や「成長農業」と言われてもなかなか理解できるものではないだろう。

・現代の日本はまさに、農業の大変革が始まったばかりの状況にある。ここは過去から農業の未来を予測するのではなく、この10年、15年のうちに確実に起こるであろうと思われる事象を根拠としながら、将来の農業を考えてみる必要がある。

<2025年 日本農業はこう変わる>
<新しい農業先進国へのロードマップ >
<「過剰→生産調整」から「過剰→輸出」への発想転換を>
・2013年の総計で、日本はコメ生産量で世界10位、鶏卵生産量は5位、農業全体の産出額では9位にランキングされている。とかく「競争力がない」と言われがちな日本の農業だが、実は生産量が少ないわけではない。
 日本の弱点は、豊富な生産を付加価値の高い商品として加工し、国内外の市場に流通させ、販売していくためのルートが確立されていないことにある。
 従来の国内生産者は、「JAや卸売市場に出荷するまでが自分の仕事」という意識であったため、その先の消費者や外食・中食業者に求められる商品に仕上げようとは考えもしなかった。日本の農業がこうした「プロダクトアウト型」から脱皮しようとしないことにしびれを切らした食品加工メーカーは、やがて原料や生産拠点を海外に求めるようになり、かつてはあった食品加工メーカーと農業とのつながりは失われてしまった。

<「新しい農業ビジネス」の9タイプ>
・筆者と筆者の研究チームは、日本農業が目指すべき経営革新の方向性・可能性を探るために、国内30ヵ所の経営体をリサーチし、その結果、現在までに議論・提案されている新しい農業が、9タイプに分類可能であると結論した。
 先程述べた「規模拡大」「農家による販売」「加工して販売」「農業体験」も、それぞれこのタイプ分けの中の、<①規模拡大・コストダウンの農業><②農家の個人販売><③6次産業化><④体験農園・観光農園>に対応する。
 分類にはこれ以外にも<⑤契約栽培農業><⑥営農販売会社による契約受注生産>など若干専門的な響きの農業スタイルもある。「営農販売会社」は、私が勝手に命名したものだが、後述するように農家が収入を増やすのには効果的な手法である。
 これに近年マスコミなどでよく話題になる<⑦農商工連携>、<⑧企業の農業参入>、<⑨植物工場>を加え、最終的に9つとした。
 これ以外にも筆者らがまだ気づいていない農業ビジネスがある可能性は否定しないが、現時点で「新しい農業ビジネス」と考えられている経営は、基本的にこの9つの農業のいずれかに分類できると考えている。

<マーケットインの仕組みと「フードチェーン農業」>
・「新しい農業ビジネス」とは、何を基準に「新しい」と言うべきなのか。これについて本章では事業システム、つまり農業者がマーケットにいかに向き合おうとしているか――に注目して論じることにした。作物を作ってから売り先を考える「プロダクトアウト型」なのか、売り先が決まってから生産する「マーケットイン型」なのか、という問題である。
 これまでわが国の農業は前者を基本スタイルとし、生産は卸売市場の規格をベースにしている。生産者はお客のニーズとは無関係に、市場の規格に合致したものを作れば「それなり」に売ることはできたのだ。だが、「売り先が決まってから生産する」マーケットインの場合、顧客(クライアント)からの注文があってはじめて生産するのだから、優先されるのはあくまで顧客のニーズである。
 
・ここで、マーケットイン型の農業とは何かについてもう一度整理しておくと、顧客の注文に基づいて計画生産を行い、農業者と顧客が市場を媒介せず、直接の契約をかわす農業のことである。

<「先進的な」プロダクトアウト農業もある>
・それに対して、「プロダクトアウト農業」は、毎年の季節の到来とともに生産を始め、収穫したものを農協へ持っていくことで完結するルーティンワーク的な農業であるがゆえに、顧客ニーズに応えることは相対的に難しい。卸売市場等に持っていったとしても、いくらで売れるかは市況次第となる。
 ただし、プロダクトアウト農業が必ずしも時代遅れというわけではない。「先進的農業」を整理した前掲図表では「高生産性農業」(①規模拡大・コストダウン農業および⑨植物工場)や「農家の自家販売(BtoC農業)」(②農家の個人販売、③6次産業化、④体験農園・観光農園)を挙げているが、実はこれらは、どれもプロダクトアウト農業なのである。
 だがこれらのプロダクトアウト農業が、日本の一般的な農家がやっている類のプロダクトアウト農業とはまったく異なるものであることは、あらためて強調しておきたい。

・たとえば「高生産性農業」は、消費者や小売店、外食業者のニーズを無視して、作りたいものだけ作るわけではない。生産性向上やコスト削減など、生産面の競争力に長けた経営体が市場や問屋など取引先のニーズを把握し、それによって求められる品質、価格を実現する努力を行っている。つまり自ら売り込みをしたり、販売活動をしたりせずとも、取引先のほうから「あなたの作るものがほしい」と言わせるほどに、生産性向上やコスト削減に労力を払っている、というわけだ。

・ここに挙げるもうひとつの先端農業である「農家の自家販売(BtoC農業)」もプロダクトアウト農業だが、これはできた農産物を農協に出荷するのではなく、農家が自分自身で不特定多数の消費者を相手に売る、という点において通常のプロダクトアウトと一線を画している。「自分で作ったコメの価格は自ら決めたい」「栽培方法のこだわりを理解してくれる消費者に直接買ってもらいたい」――個人販売を始めるきっかけはそれぞれだが、自らの作る農産物の個性や物語性を強調することで自社農場をブランド化し、固定ファンを増やす農業者は増えている。

<野菜の契約栽培・出荷契約>
・「水平分業によるフードチェーン」の1番目である「契約栽培」にはいくつかのバリエ―ションが存在する。農業者がスーパーマーケットのような量販店からの働きかけを受けて、野菜などの出荷を約束する出荷契約はもっともシンプルな形態の契約栽培である。これを結ぶことで、農業者は自分が作ったものの売り先が確保できる一方、実需者も自分たちの要望に沿った農作物を入手できる。
 この「契約」は多くの場合、農家が無理なく履行できる範囲のもので、それほど厳格なわけではない。その年の気象条件がたまたま悪く、不作になったなら契約は無効、というケースもある。

<業務用米の不足が招いたコメ業界の変化>
・毎年3月になると生産者たちが価格も売り先も分からないまま一斉に作り始めるコメは最もプロダクトアウトに馴染んできた商品であるが、野菜に比べると、コメの契約栽培は少しばかり厳格な契約関係を構築している。
 コメの取引は年1回しかないため、特に業務用のコメとなるとその1回あたりの扱い量は膨大なものになる。また野菜のように畑から毎日出荷するわけではないので、年間を通じて貯蔵しなければいけない。したがって集荷や物流、貯蔵などの機能を有する卸業者のような企業に農家と実需者の間に介在してもらい、フードチェーンの一端を担ってもらう必要が生じるのである。

・経験法則に従えば過剰な農産物の価格は落ちるはずなのだが、日本の場合は農家の意向を受けた政府が、米価維持を目的とした需要調整価格(生産調整)を半世紀近くも続けてきた。その結果、日本の米価は、いつも相対的に高止まりするようになり、その「高い米価」が需要をさらに減少させてきた。他方で外食・中食産業は旺盛な需要を持っているにもかかわらず、彼らが望む「安くて美味しいコメ」が市場に見当たらないがゆえに、業務用米が手に入りづらいという状況が続いている。

<コメの契約栽培とフードチェーン農業>
・一方で丼物や弁当などを販売するコメの実需者たちは、神明、木徳神糧など大手のコメ卸と協調することで、自分たちのニーズに合う、「安くて美味しいコメ」を確保するための行動を起こしている。牛丼チェーン大手の吉野家ホールディングスは、原料玄米の調達会社「アグリ吉野家IS」を、2009年に伊藤忠食糧、木徳神糧、神明ホールディングスと共同で設立しているほどだ。

<フクハラファームのケース>
・滋賀県の「フクハラファーム」は、こうした需要に応えて、他業種の会社とフードチェーンを形成している稲作農家である。
 160ヘクタールの水田をもつ同農場では、作付けの割合が主食用米5割強に対して、転作の加工用米5割弱。このうち主食用米の7割が、卸などを間に入れての契約栽培米となっている。
 卸が斡旋する契約では、売り先、品種、食味値、価格、数量などが2月までに確定され、フクハラファームはこの契約に基づき、まずは用途に合った品種ごとの作付面積を決める。

<営農販売会社とフードチェーン農業>
・営農販売会社による契約受注生産は、自分で注文を取ってくるスタイルの農業だが、個人で注文を取るのではなく、自社内部に擁する営業部門ないしは系列の営業会社が受注する、という点が特徴だ。営業部門が受注した農産物生産は、この会社が独自にもつ栽培部門とその傘下にある多くの農家が行うことになる。

<農事組合法人和郷園と株式会社和郷のケース>
・株式会社和郷(千葉県香取市)は、農事組合法人和郷園と密接な関係にある営農販売会社だ。1996年に有限会社としてスタートした(農)和郷園は生鮮野菜の生産と加工を行い、2013年実績で、39億円の売り上げを上げている。
 (株)和郷はその和郷園ビジネスの営業・販売部門を担っており、現在では約50社の大手クライアントと契約し、各社からの注文を受け付けている。だがその際も注文をただ一方的に受け入れるのではなく、同社の「販売事業部」が各取引先にバランスのとれた販売計画を立案し、各取引先に提案しながら注文をまとめている。計画生産・計画販売を遂行するためには欠かせないプロセスだという。

<トップリバーのケース>
・長野県北佐久郡を拠点にレタス、キャベツ、白菜などの高原野菜を生産している有限会社トップリバーも、マーケットインの体制を作っている営農販売会社である。2000年に設立されて以来毎期黒字経営を続けており、現在年商12億円の企業にまで成長している。
 栽培面積は100ヘクタールで、うち自社生産が33ヘクタール。自社の従業員約30名に加え、他に約30戸の農家が契約生産に参加している。顧客はおよそ40~50社で、外食・中食業者のほか、食品スーパーやコンビニなど流通業者との契約栽培がメイン。これら業務用が全売り上げの7割に上る。

<「農商工連携」というスタイル>
・<農商工連携>とは、農産加工品を販売する企業が、原料調達のために農業者と契約するスタイルのフードチェーンである。このスタイルでは、加工メーカーが自社商品の特徴や方向性と合致するように農家に栽培指導を手がけることもあれば、場合によってはメーカー自身が農業生産にも参加する。加工業者は、このような緊密な関係を農家との間に作ることでチェーンマネージャーとなるのである。
 農家が加工用原材料を生産する場合、とかく加工メーカーに買い叩かれがちであると言われる。だがこのケースでは加工メーカーが、質の良い原料農産物を確保するために農家とウィン・ウィンの関係を築こうと努める。
 このフードチェーンの代表的な例は、カルビーのケースだろう。

<カルビーのケース>
・製品の売り上げが単体で約1600億円、グループ連結で約2200億円というカルビーでは、馬鈴薯の購入代金に年間約100億円を費やしている。
 そのために同社では2500戸の農家と契約しているのだが、彼ら契約農家にカルビー仕様のジャガイモを栽培してもらうための手段も徹底している。60人に及ぶ「フィールドマン」と呼ばれる社員を派遣し、栽培から収穫まで細かい指導を行っているのだ。

<農業の成長産業化は流通改革から>
・日本の農業流通システムにおいては、一部の先進的な経営体を除き、大半の農業者が作った農産物は農協や卸売市場を通じて川下へ届けられる。川下にいる顧客や実需者のニーズ、情報が川上まで伝えられることはほとんどなく、生産者と消費者を結ぶ流通プロセスがどこかのポイントで「分断」されている。
 流通の分断の度合いは品目によって強弱の差がある。食肉の世界では早くから企業参入によるフードチェーンの構築例が見られたのに対し、コメや青果での事例が出始めたのはつい最近のことだ。

<企業参入しやすい環境づくりを>
・本書のひとつの結論は、わが国の農業を成長させるカギは、企業が参入しやすい環境を整備することである――というものである。これは雇用を増やすためにも、また農業経営者を増やす意味でも重要だろう。

<企業参入と農地所有>
・先にも述べたように、現状では、企業の農地所有に関する議論が企業参入しやすい環境作りのポイントになっている。この点に関してもひとこと言及しておくと、企業参入と農家による農業との間には、明確な区別ができるほどの違いはなく、したがって企業の農地所有を制限することに、あまり正当性はないと指摘するにとどめておきたい。

<新しい農業ビジネスモデルのパイオニアたち>
<内田農場――「100%受注生産」の農業>
・熊本県阿蘇市にある内田農場は、経営面積約55ヘクタールのうちコメが50ヘクタール、大豆が5ヘクタールという稲作中心の経営体。そのほか作業受託(播種、防除、収穫、農業土木)を60ヘクタールで行っている。

<コメは本当に生産過剰なのか>
・内田農場の経営上の特徴は、なんといっても作る作物のすべては受注生産であり、行き先のわからない作物はまったく作っていない点が挙げられよう。

<21世紀政策研究所>
・本書は、経団連(日本経済団体連合会)の公共政策シンクタンクである21世紀政策研究所が主宰した研究会「新しい農業ビジネスを求めて」の成果を1冊にまとめたものです。すでに報告書の形になっていたものに新しいデータを加筆・修正するなどして、このたび現代新書から出版することとなりました。5年後、10年後の日本農業のあるべき姿を具体的かつわかりやすく論じています。

・少子高齢化が急速に進む中で、日本の経済、社会は大きな変革期を迎えています。農業も例外ではありません。国内食市場の需要は先細り、農家の高齢化で農作業ができなくなり、農地は耕作放棄地の拡大や住宅地、太陽光発電用地への転用が進むなど、衰退産業の一途を辿っているようにも見えますが、日本の農業は着実に変わりつつあります。
 本書には、そうした変革の芽生えを核として、日本が強い農業輸出大国に育つためには何が必要なのか、しっかりと記されています。

・経団連のシンクタンクとして1997年に創設。公共政策に関する政策提言を行ってきたが、2007年より、内外の学者・研究者・政治家らが参加し、新たな政策のあり方を広く研究・議論する「開かれたシンクタンク」として注目を集めている。



『鹿と日本人』   野生との共生1000年の知恵
田中淳夫  築地書館   2018/7/2



<シカが獣害の主役になるまで>
<シカの増え方は“シカ算”>
・これまでナラシカの現在と歴史的な経緯を記してきたが、あらためて振り返ると、ナラシカは宗教的な理由で保護される一方で、常に人との間に揉め事を引き起こしていた。その大きな理由はシカの食害であることは言うまでもない。ナラシカを保護すればするほど数が増え、その一部が農地を荒らす。

・1頭のメスが2年目から毎年子を産むというのは何を意味するか。20年生きる場合、単純計算では18頭の子どもを産むことになる。産んだ子どものうち半分がメスと仮定すると9頭が2年目から子どもを産む。親シカ、祖母シカも生み続ける。シカは、自分の子、孫、曾孫、玄孫………が同世代の子どもを産むのである。1頭の寿命が尽きるまでに子孫は何頭になるか計算していただきたい。いわば複利計算だ。もちろんすべてのシカが2歳から毎年出産するわけではないが、繁殖力は決して小さくない。
 実際の観察では、年間増加率は15~20%に達し、4~5年で個体数が倍増する計算になる。いわば「シカ算」が存在する。

<シカは飼育しやすい性格?>
・食性は、植物なら何でも食べる。草も樹木も食べる。草も丈の高いものから地面にへばりついたシバまであまり選ばない。ササであろうと平気だ。餌の確保にそれほど苦労はしないだろう。牧草を育てるという手もあるし、干し草や草のペレットも可能となると、飼育時にはあまり困らないはずだ。もっとも「何でも食べる」食欲が獣害となるわけだが………。

・現在、日本には1ヵ所だけ長崎に1000頭規模でシカを飼育し、鹿茸と肉と皮革を商品化するシカ牧場があるが、例外的な経営の成功例と言えるだろう。

・まず有用と言っても役割として小さかったのかもしれない。農耕に使うならウシのほうが力が強く、人が乗ったり荷物を運ばせたりするならウマ」だ。肉はあまり求めなかったし、シカから取れる肉の量は少ない。皮革も牛皮が一般的で、鹿革の需要は狩りで獲る分で十分需要に対応できた。毛が短いので防寒用には向かないだろう。またニホンジカは外国産のシカに比べると小さめで皮革も小さくなる。

<昔から大変だった獣害>
・獣害の主役は、少し前までイノシシだったのだが、近年はシカに交代したようだ。推定生息数もシカのほうが多くなった(シカの生息数はイノシシの約3倍以上とされる)。
 農林業被害額は膨れ上がっており、ピークは2010年の239憶円である。肝心の農林作物を荒らす動物は、イノシシやサル、カラスなどの鳥類もいるものの、もっとも多いのがシカで、ざっと全体の3分の1を占める。
 もっとも実態はそんなものではない、という声も強い。そもそも被害額の算定は、それを農協や自治体などに届け出ないと顕在化しない。それにシカは、農家の作物だけでなく家庭菜園や個人宅の庭木や花壇の草木も食べる。それらの多くは泣き寝入りになるだろう。また植えた苗を食べられたり樹皮を剥がれたりする林業被害もすぐに気づけず表に出づらい。本当の被害額は約5倍、1000億円を超すのではないかという声もある。なお天然林の植生に与えるインパクトも被害額として計算しづらいが、結構深刻である。

・広く農村集落に野生動物が出没して被害を出すようになったのは30~40年前からである。
 しかし時代をさらにさかのぼり、江戸時代の様子をうかがうと今以上に獣害が苛烈をきわめていた事実が浮かび上がる。

・武井弘一琉球大学准教授の『鉄砲を手放さなかった百姓たち』(朝日選書)によると、江戸時代は武士より農民のほうが多くの鉄砲を持っていたそうだが、その理由は獣害対策であった。多くの古文書から実例を挙げているが、田畑の6割を荒らされたとか、年貢の支払いができなくなったから大幅に減免してもらった記録もあるという。だから、藩や代官に鉄砲の使用を願い出て駆除に当たっていたのである。

・考えてみれば中世から江戸時代でも、ナラシカの食害は大問題だった。奈良近郊の農家はナラシカが田畑を荒らすことに苦しんでいたが、駆除ができなかったからである。追い払っても、その過程でナラシカを傷つけたら人のほうが罰せられた時代もあった。奈良も、古くから獣害被害に苦しんできたのである。
 だから明治になって、四条県令がナラシカを駆除対象にした際に喜んだ農民も少なくなかった。

・シカの分布の変遷を調べると、縄文時代には東北でも多くのシカがいたようだ。貝塚からシカの骨が大量に発見されている。ところが江戸時代の後期に入ると、急に減り始める。その背景に、大規模なシカ狩りを実施した記録が各地ある。1722年に男鹿半島で秋田藩上げての狩りを実施して2万7100頭のシカを獲ったとされる。これも獣害対策の一環だろう。その後も狩りは続き、シカは男鹿半島では絶滅したらしい(近年、再び出没している)。同じくイノシシも獣害対策として東北各地で大規模な駆除を実施した記録がある。
 さらに資料を探っていると、トキを害鳥として鉄砲で追い払った記録も出てきた。

・原因として考えられるのは、やはり明治以降は幕府の禁制が解かれ、高性能の銃が導入されて駆除が進んだことがある。食肉としてもシカやイノシシが狙われた。江戸時代も肉食はこっそりと行われていたが、明治に入って公に奨励されるほどになっていた。そのほか骨や角なども野生鳥獣は資源として追われるようになったのである。
 加えて野生動物そのものが毛皮の供給源として乱獲された。毛皮は欧米への輸出品として大きな割合を占めていたうえ、戦時下では軍用物資だった。大陸へ日本軍が侵攻すると、防寒用軍服などにも毛皮は求められたからだ。1880年代には軍用の毛皮を調達する制度がつくられ毛皮市場も形成された。じつは、猟友会が結成されたのもこの時期である。国の主導で狩猟者の組織化が進められたのだった。

・毛皮の対象となったのは、ツキノワグマにヒグマ、オコジョ、カワウソ、カモシカ、シカ、クマ、キツネ、タヌキ、ウサギ………などである。よい毛皮の取れる動物は、軒並み狙われるようになる。さらにラッコやアザラシなど海の動物も対象になった。
 
・戦後は、焼け野原になった町の復興のため、そして経済復興のために木材が求められ、伐採が加速した。そこに木材として有用なスギやヒノキを植える拡大造林政策も取られた。
 こんな状態では、野生動物も安穏と暮らすどころか生存の危機に陥っただろう。自然が荒れたから獣害も減るという皮肉な関係にある。

<国がシカを保護した時代>
・獣害が出ない時代とは、野生動物が激減した時代でもある。実際、シカの生息数も少ななかった。シカの生息数の長期データが見つからなかったので正確には言えないが、どうも1960-70年代がもっとも少なかったと思われる。

・シカも生息数が減少した時期は保護対象だった。その過程を追ってみよう。
 明治以降、北海道では1877年にエゾシカ猟の一部規制、さらに全面禁猟(90年)措置が取られた。当時エゾシカの肉を缶詰にして輸出する産業が発展していたのだが、そのためエゾシカの絶滅が心配されたのである。

・だから戦後の狩猟行政は変遷があるように見えて、じつは一貫してシカを保護してきたと言って過言ではない。保護策を見直したのは、21世紀に入ってからなのだ。

・ただシカは、ネズミのように1年に幾度も、多数の子を出産するわけではない。いきなり増加するのではなく、何年も前から人間が「近頃増えてきたな」と感じる徴候はあったはずだ。そして増える要因もそれ以前から存在していたと思われる。それらに気づいて早く手を打っていたら、事態の深刻化は防げたのではないか、と感じる。

<間違いだらけの獣害対策>
<シカが増えた3つの仮説>
・一般によく言われる要因は3つある。
まず①地球温暖化。次に②狩猟者の減少。そして③ニホンオオカミという天敵の絶滅。

・②「狩猟者の減少」だが、これを論じる前に確認しておかねばならないのは、本当に狩猟者は減ったのかどうかである。
 動物の狩猟には、まず資格がいる。そこで狩猟免許(銃猟とワナ猟に分かれる)の所持者数を見ると、1975年には51万8000人もいた。それが90年には29万人となり、2014年には19万4000人と急減している。

・しかも有害駆除数の推移を見ると意外な点が浮かんでくる。1990年と2014年の駆除数を示すと、シカは4万2000頭から58万8000頭、イノシシが7万200頭から52万600頭へと急増している。両年の間に10万人以上も狩猟者が減ったにもかかわらず、駆除数は数倍から10倍以上になっている。狩猟者数と有害駆除数は必ずしも相関しない………というより、逆転しているのだ。
 では、なぜ狩猟者が減っているのに、駆除数は増えたのだろうか。
 その裏には報奨金の値上げがある。有害駆除を行うと支払われる報奨金額は自治体によって違うが、以前は1頭当たりせいぜい5000円だった。それが地域によって2万~3万円まで上がっている。これまでボランティアに近かった駆除も、頑張りがいが出たのだろう。ハンターの高齢化は進んでいるが、まだまだ猟は行なっているのだ。

<野生動物が増えた最大の理由>
・最初に掲げた3つの要因を考察すると、ことごとく否定的な見解が出るわけだが、じつはあまり指摘されてこなかった、しかし最重要なシカの増加要因がある。シカだけでなく、野生動物全般が増えた理由だ。それは………餌が増えたことだ。

・加えて里山は主に落葉広葉樹林に覆われているが、シカが好んで食べる草木はそれこそ山とある。照葉樹林化している里山も少なくないが、照葉樹の葉も食べられるし、ドングリを実らせる樹種も多くシカに餌を提供する。
 全体として山には野生動物の餌が豊富といえるのではないか。

・山に豊富な餌があり、里にも農業廃棄物がたっぷりある。人が少なくなり農地に侵入しても追い払われない。だから野生動物は、奥山と里山を行き来している可能性が高い。これこそシカを含む野生動物増加の最大要因ではないだろうか。
 環境省によると2013年のシカの推定数は約305万頭、イノシシが約98万頭(いずれも推定中央値)。イノシシは近年横ばいだが、シカはこのままだと23年には453万頭に増えると推定されている。

<有害駆除には向かない猟友会>
・猟友会はあくまで狩猟愛好者の会であり、有害駆除の主戦力には向いていない。有害駆除のプロ集団をつくるべきだとする声も強いが、利害関係が交錯してなかなか進まないのが実情だ。

<獣害対策は「防護」と「予防」にあり>
・じつは駆除より先に考えるべきは「防護」だ。具体的には被害を被るものに防護柵を張ることになる。これは農作物や樹木を単体でガードするものと、農地や林地を囲むもの、そして集落など地域全体に野生動物が入れないように囲むもの、そして集落など地域全体に野生動物が入れないように囲む防護柵の3つの段階がある。これらしっかり設置しておけば、確実に内側の農作物は守れるはずである。
 しかし、いずれも設置の仕方を誤ると効果が出ない。たとえば防護柵の場合は地際をしっかり押さえておかないと、シカやイノシシは簡単に持ち上げてくぐってしまう。

<ジビエ(野生鳥獣肉)が獣害対策にならない理由>
・ジビエの最前線を追うと、シカ肉が人気を呼べば獣害の元であるシカの駆除も進む、というほど単純ではないことが浮かび上がる。ジビエの普及は有害駆除とまったく別の次元であり、連動していないのだ。それどころかジビエを得るための狩猟が獣害対策と相反することも有り得るだろう。
 もし、獣害対策としての狩猟とジビエの普及を両立させようと思えば、現在の有害駆除体制を根本から組み直さないと難しい。専門的に駆除を担当する組織と効率的な解体処理施設、そしてジビエの販売先と綿密な連携を組む必要がある。
 ともあれ補助金目あての有害駆除と流行に乗るだけのジビエを抱き合わせても、決してうまくいかないだろう。

・2016年の処理数は、約1800頭にのぼった。ニホンジカ専門の処理施設としては日本最大級だという。これほどの数を扱うようになったということは、ジビエブームに乗って急成長か……。
「全然、利益は出ません。一時は廃業を考えたくらいです」
 意外や柳川瀬社長の口調は重かった。ようやく話を聞いたジビエ事情からは、この世界の抱える根本的な問題が浮き彫りになる。
まず会社の設立には補助金を使わなかったという。その代わり引き取るシカは選ぶ。質のよい肉を提供することで事業化をめざした。銃猟で仕留めた獲物は、頭か首を撃ち抜いた個体でなければ使えない。銃弾が肉はもちろん内臓に当たったものは商品にならない。とくに胃腸部分に当たると、大腸菌が体内に飛び散るため食用にできなくなる。

・「まずシカは売り物になる肉が少ない。体重で見ると、だいたい肉、内臓、骨と皮で3分の1ずつの割合。その肉もおいしくて売り物になるのは背ロースとモモ肉ぐらい、肉質が良いのはさらに少なくなる。ほかの部位の肉は臭くて人の口には合いません。計測したところ、販売できるのは全体の15%程度でした。だから肉の注文が増えても十分に供給できないのです」
 背ロース肉は100グラム当たり卸値700円前後で取引されるが、これ以上値を上げるのは難しいという。

<人と動物が共生するということ>
・そう考えると、街中にシカが闊歩する奈良の町は、「野生動物との共生」の場として優れものだ。課題は山積みだが、苦労しつつ解決を模索している。ナラシカも、結構したたかだ。人を利用するが、人に依存しない。共生とは「みんな仲良く」ではなく、「みんなスキなく」。適度の緊張を保ちつつ棲み分ける生き方だと考えさせられるのである。

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