中国側は中国の密教教団である世界紅卍字会の太乙老人、そして日本側は昭和天皇の側近だった中化神龍師(1


『真説  日本の正体』
封印された謀略の裏面史を紐解く
高橋五郎 × 小池荘彦   Gakken 2013/12/17



<世界のからくりを知り尽くした男>
・(高橋)ベラスコは『ある秘密工作員のメモワール』という回顧録を書いた。ですから自称はシークレット・サービスで、飛躍すれば、諜報員つまりスパイということになりますが、どこのスパイかということになると、表向きはドイツの「アプヴェーア」つまり国軍情報部です。もう少し突き詰めると、「SS」つまりナチス親衛隊の情報部にも所属していた。そして、その一方で日本とも契約していた。これは日本の外務省が作った「TO諜報機関(東機関)」との契約です。またもう一方ではムッソリーニのためにも働いていましたからイタリアのスパイでもある。しかしてその本当の正体は――これは『天皇のスパイ』で初めて書いたことですが、ベラスコはバチカンのスパイだった。つまり、日独伊の枢軸国と英米など連合国の双方を監視する“第3極”の立場だった。ここでいうバチカンというのは、カトリック教会をあやつるイエズス会のことです。このイエズス会をからくり人形に使う“本部”すなわち世界金融勢力グループの命令でベラスコはいろいろなところに出向していたわけで、どこの国のスパイということではないんです。

・(小池)ベラスコを派遣した“本部”のことを便宜的に寡頭勢力と呼んでおきましょうか。その勢力の意向で、敵も味方もなく、三重スパイとして暗躍した。このベラスコの“立場”を見れば、従来言われている戦争の概念をいったんガラガラポンにしないと意味はわからないと思います。連合国と枢軸国が戦ったとか、日本がアメリカと戦争して負けたとかいうのは、あくまで将棋盤の2次元の世界であって、実際に駒を動かしているのは各国政府の上部にいる寡頭勢力だった。その勢力のためにベラスコは働いていた。

<寡頭勢力が送り込んだスパイ・ベラスコ>
・(小池)――寡頭勢力とは何かについて先に説明した方がいいでしょうか。私は普段は国際金融資本と言っていますが、元締めはロスチャイルドの一族ということでいいですか。
(高橋)――フランクフルトのロスチャイルドが、宗教勢力つまりイエズス会などを集めて徒党を組んだ勢力です。その後ろに誰かがいるのかと言えば、王権を自在にしてきた王侯貴族らです。ロスチャイルドはそのシステムをワールドワイドにした。そんな眺め方です。

<ベラスコが日本に渡す情報は連合国に筒抜けだった>
・(小池)『天皇のスパイ』によると、ベラスコは外務省の須磨弥吉郎を窓口にして、連合国側の情報を日本にリークしていた。だからベラスコに言わせると「日本はあの戦争に勝てた」と。外務省は諜報戦について、どういう認識だったのでしょう。
(高橋)――大前提は、大人と子供なんです。日本の外務省はお子様グループ。海軍は、陸軍に比べれば国際派ですが、ヨーロッパから見れば秘密結社のチルドレンです。
(小池)――戦争は寡頭勢力によるゲームだということを須磨公使は知らなかった?

<昭和天皇の先生が語った“秘話”の意味>
・(高橋)――真っ当な歴史観があれば“秘話”は存在し得ないんでしょう。昭和天皇の先生が語った“秘話”というのは、まず「真珠湾での日米開戦は、アメリカ海軍の先制攻撃で始まった」というものです。御存知のように、日本の奇襲攻撃はアメリカがやらせたものだという説がある。だが、それ以前にアメリカは、すでに日本を攻撃する命令を出していた。これは資料がいろいろある。

<「神様同士の話し合い」ですべてが決まる>
・(高橋)石油の世界には裏で暗躍した人が多い。なぜそういう裏の世界があるかというと、アラブの王様と話ができるのは、神様と話をするような世界でしかないからです。ニューヨークの下っ端のビジネスマンがやるのは実務的なことだけで、実際には犬を抱いた爺さんみたいなのが裏にいて「俺のところの井戸を勝手に掘るな」なんて言うわけですから、その井戸を掘るための話をつけるには、いわば天界の神様同士で話をするしかない。ラスプーチンみたいな世界なんですから。

<日本を支えた天皇マネーと経済大国という幻想>
・(小池)――これまで日本は天皇マネーでやってきた。三上さんもその差配者の1人だった。しかしそれは国家のために使われたというより、一部の人間が私服を肥やしただけだった。簡単に言えば、そういうことになりますか。
(高橋)――はっきり言えば、それしかないです。金のにおいのするところにしか権力者は集まらない。

<「天皇カンパニー」という蓄財システム>
・(高橋)――「天皇カンパニー」ですよね。三菱とか三井、日銀、その他の会社、銀行。そのすべての大株主が天皇であるというしくみを作った。こういうからくりにすればいいよという手口を、明治政府の人間が、欧米の青い目の連中に教わった。この「天皇カンパニー」の蓄財システムが明治国家の根幹であって、これが結局、基本的には今日まで続いているんです。明治・大正・昭和・平成と。
(小池)――このシステムを続ける法律として、旧皇室典範を作ったときに、伊藤博文とか有栖川宮という人たちは、最初は女系天皇を容認した構想を立てているんです。これはかなり大きな問題で、明治政府がすでに皇統の断絶を念頭に置いていたことになる。これは結局、男系継承で法制化することになるのですが、これも単なる皇位継承の話ではなくて、「天皇カンパニー」の名義人継承をどうするかという問題だったはずなんです。
(高橋)――血統の話だけだと思っている人が多いかもしれないが、天皇個人の問題ではなくて、システムの継承という問題です。だから伊藤博文あたりは、継承できる人たちの範囲が広い方がいいと考えたのかもしれない。伝統重視などという発想はない。
(小池)――明治天皇が崩御したとき、伊藤博文はもういなくて、山縣有朋はいましたが、大正天皇は長州閥とは相性がよくなかったようですね。大隈重信や原敬と打ち解けていた。それまで明治天皇は長州の王だったわけですが、明治の終わりというのは、やはりひとつの時代の終わりだったと思います。人々の心情の面でもそうでしたし、近代の第1期が終わった。そこで「天皇カンパニー」の相続問題が浮上した。つまり簡単に言うと、大正天皇でいいのかという問題が噴出した。
(高橋)――そこは天皇の権力構造の問題になってきます。金融システムとしての「天皇カンパニー」を誰が支配するかという政治争いになってくる。結局は宮中グループが政治力を持つに至るのだが、もう一方の権力構造である軍部も王が欲しいわけです。これが昭和になって表面化する。昭和天皇の弟宮を擁立するという画策が出てくる。

<皇位継承問題の本質は「天皇カンパニー」の主導権争い>
・(小池)――昭和天皇になかなか男子の跡継ぎが生まれなかったので、昭和のはじめに皇位継承問題がかなり出てくるんですね。それもあって陸軍の一部が弟宮に接触した。
(高橋)――王の取り合いというのは、まさに「天皇カンパニー」に主導権争いです。天皇個人の問題ではなくて、あくまで「天皇マネー」を生み出すしくみ、これを操りたい、操れるのが権力者だ。そして権力者の仕事は、天皇金融資本の拡充。というわけで、日本は中国に進出して大陸支配を狙っていく。日本の金融ネットワークを東亜に張り巡らせようとした。当然、中国に金融利権を持っていた英米とぶつかわるわけですが、だから喧嘩になったという単純な話ではなくて、世界の金融資本家らがそういう筋書きを書いた上で、軍部を操り、戦争ビジネスの局面に持っていった。日本はその絵図面の上で動かされて、まんまと乗せられてしまったわけだが、こういう筋書きがあることは、欧州に留学していた皇族は知っていた。どうやって日本をはめるかなんていう話は、欧米人は普通に話していたことです。日本人は現在もその事実から目を塞がれたままです。
(小池)――昭和になる頃に、日本が重工業社会に移行していくなかで、三井・三菱などの財閥に加えて、新興コンツェルンというのが出てきますね。これも宮中グループと結びつくことで、「天皇カンパニー」の傘下に組み込まれていく。そして戦後も有象無象の企業が同じようなことを考えて、さらに地方財閥にまで拡散していく。傘下に入るというのは、閨閥を築いていくわけですね。皇室と親戚になりたいわけでしょう。

<「究極の保証人」と「神との通訳」>
・(高橋)――説明しにくくても、それが事実だということでいいでしょう。昭和天皇と今上天皇はバックボーンが違う。昭和天皇は万世一系の「究極の保証人」であると同時に、「神との通訳」として祀り上げられてきた。もともと天皇というのは、神様と対話ができる人です。そういう儀式を補佐する皇室専用のミスター・マリックみたいな、いわば魔法使いみたいな人が先生として存在して、帝王学を授けてきた歴史がある。私はその先生役の人物、つまり国師の身近にいたことがあるが、わりと早く亡くなって、その先生の帝王学を受けたのは、昭和天皇が最後なんです。

<皇室の多国籍化を目論む勢力>
・(小池)――中国が日本の天皇制を欲しがっているという話を聞いて、私のなかではストンと落ちたというか、よくわかったという感じです。皇室典範問題の核はそれでしょう。2005年に有識者会議が出した皇室典範改正案というのは、女性天皇を立てた場合に、その配偶者をどうするのかという規定が何もなかったんです。つまり、どこぞの宗教団体の息子でも簡単に送り込める案だった。それが国会に提出されようとした。

・(高橋)――それは西洋の王侯貴族が歴史的にやってきたことですね。いわば王室の多国籍企業化です。となれば、誰がたくらんだ方程式か。だいたいわかりますよ。私の親友で、名前は伏せますが、グルジアにいる彼の一族の血は、ヨーロッパの王室に広く流れている。メディチから、いまの英国のウィンザーから、ほとんどその血が流れている。それで最長不倒距離と言って自慢している。つまり、12世紀からずっと、お嫁に行ったり旦那さんをくっつけたりして血脈は続いてきた。「なんだ君の実家はグローバル・カンパニーじゃないか」と皮肉ったことがありますが、それと同じことでしょう。

・(小池)――2010年に平城遷都1300年を迎えましたが、ふりかえれば8世紀に藤原氏という新興貴族が、天皇をプロデュースして「日本」という新生国家の体裁を整えた。そのときに古い豪族たちは、制度改革に不満を持ったはずですが、おおむね新しい体制に従ったのだろうと思うのは、新国家が建国神話を整備するにあたって、天皇以前の太陽信仰をはじめとする土着の人々の心の問題にも配慮したからです。

・(高橋)――天皇の国師は、神様とは何ぞやというと「人倫秩序の上位者」であると言った。しかし、いまの皇室には「神様の前に行って5分でもいいから会話してきなさい」という霊的世界への畏敬が見当たらないわけです。

<500年前から連綿と続くイエスズ会の思惑>
・(高橋)――現在の宮内庁に勤務する職員は、女の子からお偉いさんまで含めて、ほとんどがクリスチャンです。天皇は誰に気を配られているのか、自ずとわかるでしょう。
(小池)――フタンシスコ・ザビエル以来、日本をキリスト教化したいと思っている気の長い人たちがいる。天皇を改宗させれば国民全体が改宗せざるを得ないという思惑がイエズス会にはあるようですが、連中は500年前から考えが甘いんですね。国民レベルでは、ほとんど影響を受けていない。日本人の宗教観は、西洋から見ると宗教とは言えないような、無意識の自然観ですから、それを仏教だと思ったのが西洋人の間違い。
(高橋)――歴代天皇の主たる仕事は、神様のやりとりですが、歴代のすべての天皇にそれができたわけではない。そこで霊能力の優れた人物をスカウトして、側近にするという人事があった。主に神官を登用しましたが、やむを得ず陰陽師などで代行することもあった。そこは融通無碍なんです。何でも受け入れるというのは、実は何も受け入れていないということなんだが、この辺の機微というのは西洋人にはわからない。
(小池)――皇室の宗教は、江戸時代までは仏教です。京都の泉涌寺が菩提寺で、いまでも天皇や皇族方が訪れる。飛鳥時代に先端科学のように入ってきた仏教というのは、当時の文物からすると、ゾロアスター教と習合したものだった。いまおっしゃった神様とのやりとりの方法として、歴代の天皇が様々な秘術を模索したものだと思います。結果的に今日の皇室は、神道・仏教・キリスト教を抱合しているのではないでしょうか。明治時代に神道の国教化政策として、政府は「造化三神」と「天照大神」を祀るように庶民に指導しましたが、この政策のもとになった平田篤胤の神道神学が、そもそもキリスト教の三位一体説や、ユダヤ教の一神教を摂り入れている。これを宮地神道が引き継いで、英国流の神霊術まで入ってくる。

<日中国交正常化の舞台裏にあった“天界のやりとり”>
・(高橋)――日中関係はいま問題が山積しているが、そもそも日中国交正常化を成し遂げたのは、田中角栄でも大平正芳でもない。毛沢東でも周恩来でもない。実質的に交渉したのは、中国側は中国の密教教団である世界紅卍字会(こうまんじかい)の太乙老人(たいつろうじん)、そして日本側は昭和天皇の側近だった中化神龍師。この2人が天界で話し合って決めたことです。と言っても、読者には何のことかわからないでしょう。
(小池)――この話は、部分的に出すと、意味がわからないと思うんです。まず背景として、先ほども出た話ですが、政治には宗教がつきものですね。私が紅卍字会の重要性を知ったのは、大本教との絡みですが、ある種の神秘学の系譜というのが、古代から政治と表裏一体のものとして機能してきた。先ほど高橋さんが言われた「神様のやりとり」のことですが、歴代の天皇が様々な秘術を模索すれば、「まつりごと」の利権争いが起きますね。これを日本流の智恵でまとめたのが「神仏習合」だった。そして、このシステムを大規模に再編成しようとしたのが明治維新の「神仏分離」だった。
ですから、これは日本の歴史を大転換させる革命だった。

・紅卍字会は、中国古代の神仙思想に基づいた組織で、笹川良一や安岡正篤も会員だった。この流れが戦前戦後を通じて存在する。日中国交問題でいきなり紅卍字会が出てきたわけではないということです。
(高橋)――日中国交正常化の話し合いで太乙老人すなわち至聖先天老祖が降りてきたということは、北極星に鎮座する最高神が降りてきたということです。一方で天皇というのも、北極星を神格化した中国の天帝に由来する位置づけですから、この北極星同士というのが、本当の意味でのトップ会談になる。
(小池)――平たく言うと、昭和天皇は、実は戦後の政治シーンにかなり関わっている。
(高橋)――そういうことです。昭和天皇の戦後政治への関わり方というのは、敗戦後に京都から送り込まれた中化神龍師、すなわち神様とやりとりできる人が天皇を補佐するという伝統に則って行なわれた。こういう所作が、政治の背後にある。これを知らないと、いきなり神様が出てきて何の話だと思われてしまうが、それはこの手の知識が一般に与えられていないだけで、その筋では知られていることです。歴史というのは、当事者が書くわけではないからね。誰かが自らの都合に合わせて書いたことが歴史になる。だから本当の歴史というのは埋もれていく。日中国交を回復した
太乙老人は、さかのぼれば、大正12年の関東大地震を予知している。日本に事前通告して、急遽、米とお金を船便で送ってきた。これが震災の前日に横浜港に到着した。翌日に大地震が来て、この救援物資のおかげで関東の住民は大いに助かった。日本政府は、当時の支那駐在だった領事・林出賢次郎をお礼参りに出向かせている。このことは、現在の日本政府も知っていることです。知っていてとぼけている。このたびの東日本大震災でも、この過去の歴史が振り返られることはない。中国の方も、いまの首脳は“天の声”を聞けなくなっているから、お互いに不幸なことになっている。習近平は帝王の道を約束された人物だと言われているが、今後果たしてどうなるか。

<日本が作った秘密情報機関「TO機関」  小池壮彦>
<TO情報を使いこなしていれば日本は勝っていた>
・第2次世界大戦当時、日本は「TO」という秘密情報機関を作って、アメリカに12人のスパイを送り込んだ。その機関のチーフがベラスコだった。12人というのは公式の人数であって、実際にはもっと多くの人員がいたと思われる。
「TO」は「東」という漢字が当てられることもある。この秘密機関を組織したのは、スペイン駐在の特命公使・須磨弥吉郎である。大戦時にスペインは中立国で、フランコを訪ね、アメリカに諜報網を巡らせる作戦を依頼した。スペイン情報部最高のスパイだったベラスコは、この依頼を承諾し、枢軸国(日本・ドイツ・イタリア)の多重スパイとして暗躍した。
 ベラスコが入手した情報は、スペイン公使館を通じて日本外務省に伝えられた。そのなかにはガダルカナルでのアメリカ軍の大反撃を予告する情報も含まれていた。だが、日本軍参謀はなぜかこれを無視して敗北する。

・高橋五郎によれば、ベラスコの正体は、バチカンのスパイである。すなわち、連合国側にも枢軸国側にも通じる第3極のスパイだった。第2次世界大戦の実態が、欧米資本家による投機目的のイベントであることをベラスコは知っていた。

<アメリカの原爆情報を日本にもたらした最大のミッション>
・ベラスコが率いる「TO機関」の真骨頂は、アメリカが国家最高機密と位置づけた「マンハッタン計画」(原子爆弾製造計画)の存在を見抜いて日本に知らせたことである。この情報はさすがに日本でも衝撃的に迎えられ、軍部は原爆研究を急ぐことになる。

<ベラスコがもたらした最後のTO情報>
・なお「TO機関」の存在を初めて世に知らしめたのは、1982年放送のNHK特集『私は日本のスパイだった~秘密諜報員ベラスコ~』である。当時73歳のベラスコへのインタビューをはじめ、病床の三浦文夫が「TO機関」の存在を初めて認めるシーンなどを収録する。

・口が裂けても言えない機密というのは、広島に落とされた原爆の正体。後にベラスコは、その秘密を高橋五郎に告げている。広島原爆は、ナチスドイツが造ってアメリカに渡ったものだと。その真相も不明だが、とにかくはじめから原爆開発のための出来レースだったというのが、第2次世界大戦の真相である。

<天皇カンパニー」を差配する宮中グループ   小池壮彦>
<握られていた日本の運命>
・明治維新による体制の変革は、徳川将軍家の資本を天皇家に移すことで経済的基盤が作られた。大名屋敷の立地を軍事施設の敷地に当てたり、寺小屋を小学校にしたりする。政府の官僚も旧幕府の人材を登用するなど、徳川時代からの継続性は大いにある。
 歴史を見るときに、従来の歴史観は、江戸時代と明治時代との断絶、そして第2次世界大戦の前と後という断絶をことさら強調してきたものである。しかし、その歴史区分が多くの事柄を見えなくしている。政体ごときが変化しても、土地の人間に変化はない。すべてがまったく新しくなった局面などは、歴史上にそうそうあった試しはない。

<国家資産のほとんどは「皇室資産」へと移された>
・結果的に、国会で決められる予算とは別に、国家資産のほとんどは皇室財産へと移された。これは国家予算を国会ごときの権限に委ねたくない岩倉具視の提案による。その後に皇室は、日本銀行と横浜正金銀行の株式を取得した。また日本郵船、札幌製糖、参宮鉄道その他の鉄道会社の株式も取得した。富国強兵政策による事業拡大に歩調を合わせて、皇室財産は企業株の取得と投資をくりかえした。山林や土地の所有も合わせると、天皇家は日本最大の富豪となった。大正時代には世界有数の資産家に数えられた。この資産こそが「天皇マネー」の初期の姿である。

<財閥グループの頂点に位置する金融資本>
・戦前の皇室の会計は、法律上は皇室典範に規定があって、皇室会計法で定めることになっていた。これは国家予算の管理とは別枠である。国会はもとより、政府の管轄する範囲にはなかった。

<明治維新の黒いDNA>
<田布施に繋がる謎の系譜>
・(高橋)――私は大室寅之祐の子孫とお付き合いがあった。それが『天皇の金塊』に書いた仮名の人物で藤田という男なんですが、その話の前に、実は、私は熊沢天皇に会ったことがある。昭和30年代のことでした。熊沢天皇というのは、ご存知のように、南朝・後醍醐天皇の血統を引き継いだ。“南朝正系の天皇”を自称した熊沢寛道のことです。当時、九段下の熊沢家を訪ねたのですが、私を熊沢に紹介したのは、その頃上智大学で自治会委員長を務めていた私の友人です。その彼が、山口県熊毛郡田布施町の出身だった。
(小池)――大室寅之祐の地元ですね。
(高橋)――友人は、お父さんもお母さんも大学の名誉教授で、立派な家柄だったんです。それで、その彼と当時ロサンゼルスに行ったことがある。そのときに「2、3日休みがあるからどこか遊びに行ってくればいい」と私が言ったら、彼は「ストックトンに行ってくる」というんです。何しに行くのかと聞いたら「本当の親父のところに行ってくる」と。その実のお父さんというのは、情報機関の人だったという。なんだやっぱりそうかと思った。上智大学――バチカン――イエズス会のライン。それで日本の実家が田布施。あの地域が、岸信介や佐藤栄作など人材を送り出す地域であり得たというのは、さかのぼれば、明治維新で長州のスパイ組織が英国系の国際金融資本とつながって以来のことです。だから以前から私は、その種の諜報機関のルーツはあそこにあると見ていた。

<明治天皇の“替え玉”とされる大室寅之祐は当て馬>
・(小池)――私は大室寅之祐は当て馬のようなものかと思っているんです。でもそれは高橋さんと見方が反対というわけではなくて、長州が傀儡を出したという点では同じです。天皇の問題は、歴史・伝統・文化の面から見ているだけでは核心には行き着けない。むしろ天皇問題に関する文化論的言説のすべてがカモフラージュになっている。

・明治天皇すりかえ仮説は、いろいろ利用されている感がありますが、この説の出現の仕方に着目しますと、まず1989年刊行の『日本王朝興亡史』と、翌年刊行の『日本侵略興亡史』。鹿島昇によるこの2冊。すりかえ説は後者の方に詳しく書いてありますが、いずれにしても本が出た年を見ますと、昭和が終わったタイミングで隠し玉が出てきた感があります。そして1997年刊行の『裏切られた三人の天皇』。これが鹿島説の決定版になっている本ですが、これが出た年は、内閣官房と宮内庁が女性天皇の可能性を検討しはじめた年と一致します。



『天皇奇譚』
「昭和天皇の国師」が語った日本の秘話  
高橋五郎  Gakken    2012/3



<昭和天皇の国師>
・戦後、「昭和天皇の国師を務めた男がいた。その名は三上照夫。
平成4年にその生涯を閉じるまで、三上は名だたる政治家や経済人たちの相談役も果たしていた。この“謎の男”は昭和天皇に何を語り、「日本の重鎮たち」にいったい何を教えたのか。
初めて三上の「生の言葉」を開陳。そこから見えてくる「日本のカラクリ」と私たちを覆う「欺瞞」を解き明かす。

<神龍師へ「お待ち申し上げていました」と告げた王仁三郎>
・白日翁は霊界と神界を仲立ちして取り持つ役目の神だ。その「白日」よりも神龍師は天界では高い地位(神仙界第一層)の神だから亀井とでは根本的に位相が違っていた。

 満州から帰国した亀井三郎が、どんな経緯で京都の師のもとを訪れたのか、その詳細はつまびらかにされていない。だが、実は二人の間の接点となった人物は、出口王仁三郎ではないか、そんな推測が一部で流れた。そしてそのとおりだった

・実は亀井三郎も戦前の一時期、大本教に身を寄せていたことがあった。戦後、満州から引き揚げてきた亀井は、戦前の縁を頼って出口王仁三郎を訪ねている。そのときに、王仁三郎の口から中化神龍師の存在を聞かされたのだといわれる。

<政財界人が蝟集した「松柏会」の裏側>
・話を戻そう。この本では神龍師が特殊な力=霊力の持ち主であることはこれまで述べてきた。そして同時に、師が生涯をかけた特別な使命、あるいは天命を抱えてきた経歴も述べてきた。

 昭和30年当時、師が京都で開いた「御上教苑」はその後に、「松柏会」という名称の学術団体へ発展改名したのだろうが、それがいつなのか、なぜなのかについては私にはわからない。

・私が松柏会に出席を続けた最大の目的は先述したとおりの斎場の空気に触れることにあった。斎場は、天の声(神の声)を聞く聖なる儀式の場、つまり神霊空間である。
 その集会で師は“神がかり”となる。神が降りてきたとき、我々の目の前にいるのは、憑依した中化神龍師である。しゃべっている声も師のものだからまるで腹話術のようだが、声話の主は白日翁だ。その場の師は幽体離脱状態にあるから、白日が何を語らせたのかは知らないという。神がおりてきて何をしゃべるという奇妙な現場なのだ。
 これはいわゆる「審神者(さにわ)」に近い状態、つまり、神諮りの場なのだろう。

 もともと審神者とは、神からの神託を受け、それを地上の人々にもわかる言葉で伝えて儀式空間をつくる存在といわれる。ただし、審神者の場合、仲介者(神と仲立ちし取り持つ、つまり白日役)の能力しだいでは、その場に未熟霊、動物霊、凶悪霊などの低級霊がおりてしまい、禍々しい事件を引き起こすこともあると白日翁は言う。そういう意味でも、この斎場は世間でいう審神者によるものとは次元も質もまったく違うということを白日翁は言いたいらしい。ここに低級霊がおりてくる可能性はまったくないと、白日翁は繰り返し断言した。
 さらに繰り返すが、かくいう松柏会はいわゆる心霊教団でも、いわんや宗教団体でもない、学術団体だと白日翁は語っていた。

<天界の神々と中化神龍師を結ぶ仲介者>
・ではその白日翁とはいったい何者なのか。もう少し詳しく語っておこう。

だが、そのことを論じる前に、まず中化神龍師の体内に宿っている神について白日翁が語るところの“神々の世界”を押さえておこう。

 私たち人間の棲んでいるこの世界は地上界である。この地上界の上の空間には、霊界が広がっている。私たちの住む地上界は霊界に支配されている。およそ地上から350マイルの宇宙空間、つまり約560キロメートルあまりまでが霊界空間域になっている。死んだ人間の魂はこの霊界を通過上昇していく。この霊界の上位に位置するのが神仙界。そのさらに上部に天界が存在している。

・霊界、神仙界、天界はそれぞれの界でさらに何層にも分かれている。各層の神様にはランクづけがあり上下と第一・第二の位の神様がいる。上下の秩序(位相(ヒエラルキー))は固定化され保たれている。いやはや常人の目には想像もつかない縦割りの階級制なのである。なにせ一神教ではない八百万の神々がおわす多神教を信じる国、日本だから当然の“密度”なのだろう。

・幽体離脱状態の師の身体に入り込むその神が、天界から降りる白日翁だ。
白日翁によれば、白日とは天界の神々と地上の霊界とを結ぶ仲介者の神名のことだという。
「私は霊界と神仙界をつなぐ、いわば総務部長のようなものだ」と白日翁は自身の役割をそう紹介している。
 神名を白日と呼ぶ翁の生前の氏名を宮地堅磐という。

 父は19世紀後半に活躍した神仙道の祖・初代の宮地水位こと常盤。土佐国潮江村の潮江天満宮の神主・常盤の長男として生まれた堅磐は、12歳にして早くも2代目の神主に。厳しい修業を経て幼少の頃から神仙界に出入りする術を身につけ、以後、数百回にわたり異界と現世を往復したといわれる人物だ。堅磐が神仙界のありさまを詳細にわたり記述した『異境備忘録』は、天下の奇書として有名だという。30歳のとき、堅磐は宮内省に招かれ、掌典長、賢所の神主を務めた。

・が、40代の後半で重い病に倒れる。この病は、『異境備忘録』によって神界の秘事を人間界へ知らせてしまったことの責めを受けてのものだと堅磐は死後、自らの死因を天界から語っている。死後に語るとはつまり斎場で語ったという意味だ。病に倒れて5年後に惜しまれながら死去。彼の博学多才ぶりに心酔した者は多く、生前には3千人以上の門人がいたという。
 この堅磐の魂が天界の霊となり、4代目の白日として斎場に座る師の身体に舞い降りてくるのである。

<「世界支配者」は、小柄な禅僧!>
・世界の支配者は誰。どこにいて、何を考えている――。荒唐無稽を承知でその姿を求め世界を彷徨してほぼ50年が過ぎた。初渡米の頃の為替レートは1ドル360円。それが昨年では1ドルおよそ70円台。闇に潜んで、見えにくかったボス像だったが、通貨上昇に沿うかのようにその像も今では4倍ほど強く鮮かに見えてきた感もある。日本の国力回復という名の夜明けが視界を広げてくれたのかもしれない。

 ところで、魂を見れば子が、子を見れば親がわかるなどという。その伝で国家の親つまりボスを見て、子供つまり国民の正体、を知ろうと思い立った。本当にその比喩が当てはまるのかどうかはわからないから世界を歩きボスと接することにした。

・旅の答えは、なんと足元にあった。手始めに歩き回ったウォール街やロンドン・シティに潜む“マネーのドン”たちのなかにではなくて、京都に住む小柄な禅僧との出会いの場が旅を終わらせたのだ。禅僧は神名を中化神龍(ちゅうげしんりゅう)師と呼ぶ“現人神”で、昭和天皇の師匠つまり「国師」だ。その頃、私はスペイン人で元ナチス軍団の大物スパイ氏と二十余年間ほど交際していた。昭和天皇がかつては世界の“ボス”でもあった身分をスパイ氏は私に“密告”していた。教科書や公式文書に書かれていない“天皇情報”だった。国師はヒロヒト天皇の上位に君臨する精神上の“大ボス”ならばこれ以上の“ボス”探しは無用。私の長旅は終わった。



『怪奇事件の謎』
小池壮彦  学研   2014/7/8



<明治天皇“すり替え説”と“ドッペルゲンガー”、そして、芥川龍之介の憂鬱>
・芥川龍之介と言えば、天才小説家で芸術至上主義者で、晩年は神経を病んで自殺したと学校で習ったはずである。

<天皇資本主義の虚構を見限った芥川>
・当然と言えば当然なのだが、彼らは天皇がフィクションであることを百も承知だった。彼らにかぎらず、明治時代の前半ぐらいまでに生まれた知識人ならあたりまえのことである。また芥川は海軍機関学校の教官だったし、鴎外は陸軍省の軍医だった。志賀直哉は帝政エスタブリッシュメントの学習院グループにいたのであるから、宮中周辺から漏れてくる“明治天皇すりかえ説”ぐらいは耳に入っていてもおかしくない。

・1920年(大正9年)に明治神宮が創建されたとき、天皇の出自を巡って世間では南北朝問題が蒸し返された。明治天皇は北朝天皇だが、南朝天皇が正統であるという議論があったため、元宮内大臣・田中光顕や宮中顧問官・山口鋭之助などが、“明治天皇南朝説”を流布したのである。つまり、明治天皇は維新のときに、実は南朝の胤とすりかわったという説である。もちろん戦前には公にできない説明だったし、本当にすりかえの事実があったのかどうかはわからない。政府が正式に認めるはずもないことなので、真相は藪のなかである。

・この説についての私の考えを言えば、仮に天皇の身柄がすりかえられていたとしても、その程度の手続きは1千年前からの朝廷の常套手段にすぎない。何も明治天皇だけに特有の奇説ではないので、本当かどうかを問うことは無意味である。神武天皇の実在を問うことに等しいと言えばわかりやすいだろうか。国文学者・折口信夫によれば、皇統譜は“信仰上の系図”である。その意味がわかっていればいいだけのことで、要は虚構に対する態度の問題にすぎない。森鴎外もその虚構を知っていて胸におさめた。そして立場上は鴎外などよりフリーだった志賀直哉は、極めて単純に馬鹿馬鹿しいと本音を吐露しただけである。

・一方で、芥川龍之介は天皇の問題を念頭に置きつつ『将軍』という小説を書いた節がある。近代日本の二重基準、すなわち王政復古と欧化売国という欺瞞的な体制のなかで、芥川は天皇資本主義の虚構を見限り、社会主義に傾いた。だが最後まで傾き切れずに自殺した。

<“世のなかの現実”そのものがフィクション>
・明治神宮の創建にまつわる話題が世上をにぎわした当時、芥川龍之介は大阪毎日新聞社に所属していた。1921年(大正10年)には中国への旅に出かけている。小説を書くための取材旅行を装ったエージェント的な視察のなかで、彼は大陸のアナーキストと接触し、帝政日本への懐疑を強める。その後に問題作『将軍』を書くのである。

<明治の支配層が構築した「帝国憲法システム」>
・この帝国憲法システムは、経済的には皇室財産という特別会計を無尽蔵に増幅させ、政治的には帝政の実態を可視化させない言論統制を担保した。そして統治の実態を隠すためのカモフラージュとして、“アカデミズム”と“ジャーナリズム”が機能した。

<芥川が見た“分身”の正体>
・しかし、芥川龍之介(明治25年生まれ)の世代になると、すでに近代のレールが通された後に成人したため、前の世代より統治のしくみに無自覚になる。そこへ大逆事件が起きて、言わば寝た子を起こす形になるのだが、徳富蘆花が危惧したように、力による思想弾圧は、逆に無政府主義者の種を増やす。当時の一高生も社会主義に目覚めていった。芥川のような芸術家にはそれは難しかっただろう。資本主義の欺瞞に耐え切れず、社会主義者にもなりきれない。

・芥川にまつわる伝説として、彼は自らの分身“ドッペルゲンガー”を見たという逸話があるが、それは近代天皇資本主義という歯車に身を委ねて回転する自分の姿と、そのシステムから脱却したいと願う自我との両映しだったのではないか。明治帝政の替え玉的性格、すなわち、“ドッペルゲンガーとしての日本”に絶望し、自ら命を絶ったとも思うのである。

<異星人“アレシュカ”をめぐる奇妙な物語>
・未確認生物の話題というのは、いつの世でも人の好奇心をくすぐるものである。
 1980年にプエルトリコで“小人”の集団が目撃されたケースでは、ハンターに殺された小人の死体が存在したことから謎が謎を呼ぶことになった。
 小人の身長は30センチほどで、体形は人間の胎児に似ていたという。耳がなく、頭がやたらと大きかったというので、いわゆる“グレイタイプ”の異星人に似たものである。ハンターはこの死体をアルコール漬けにして保管したが、その日から不審者に付きまとわれるようになった。やがて小人の死体は何者かに盗まれて行方不明だそうである。
 1996年にも、ロシアのウラル地方で大きな頭を持つ小人の死体が発見された。身長は25センチぐらいで、やはり耳がなく、プエリトルコの小人と似た特徴を持っていた。
 “山中に棲む妖精たち”というファンタジーとは趣が違うようである。

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