ウィリアム・フレデリック・フリードマンは、日本軍が使用した暗号、通称「紫暗号」を解読した功績で有名な人物です。フリードマンはかねてよりヴォイニッチ手稿の解読に興味を持っていました。(2)


<酒呑童子>
・『御伽草子』や『大江山絵詞』などによると、正暦(990~995)の頃、京の都の姫君らが数多さらわれる事件が起こる。安倍晴明が占うと、丹波と丹後の大江山に鬼の国があり、そこの酒呑童子の仕業だと判明する。そこで朝廷は源頼光らに鬼退治の勅命を下す。大江山の鬼の国に到着した頼光ら一行は山伏の姿をしていたので、旅の山伏と見誤った酒呑童子は、彼らを鬼の宮殿に招き入れ、酒宴を催す。

・さらわれていた都の人たちを助け出した頼光たちは、刀を抜き酔い崩れた鬼たちを切り殺す。

・その姿は『御伽草子』には、昼は薄赤い顔をして背が高く、髪は子どもの髪形で人間であるが、夜になると恐ろしく、背の高さは約3mもあった、とある。

<都の鬼>
・朱雀門では、『長谷雄草紙』に平安時代初期の文人で漢学者の紀長谷雄が鬼と双六をした話が、鎌倉中期の説話集『十訓抄』『古今著聞集』にも、菅弦楽器の名手、源博雅が鬼の琵琶の名演奏を聴いている。一条大路では『宇治拾遺物語』に、男が牛の頭をもつ鬼を目撃したとある。また一条戻橋では、渡辺綱が酒呑童子の家来である茨木(茨城)童子に髻(もとどり)をつかまれ、宙づりになり、愛宕山へと連れ去られそうになったが、綱は童子の腕を切り落とし、北野天満宮の回廊に落下している。また、この一条戻橋の下に安倍晴明が式神を隠したとも伝えられています。

<天狗>
・奈良県南部では、修験道の開祖とされる役小角が活躍していたため、修験道と関係の深い天狗の伝承が数多く伝わっている。全国に名を馳せた八天狗のなかに、奈良・大峰の前鬼坊も名を連ねており、奈良の山間部のあちこちに天狗がいるとされた。例えば十津川村高津の大断崖の天狗崖には大天狗、小天狗がたくさん住んでいた。秋になると天狗のため大断崖は美しくなるという。しかし天狗の意に反すれば、たちまちその怒りにふれて、不祥事に遭うとされた。

<山本(さんもと)五郎左衛門>
・江戸時代中期の備後国三次(現・三次市三次町)を舞台とした妖怪物語「稲生物怪録」に登場する妖怪。

・最後に、武士の姿をした妖怪の頭である魔王の山本五郎左衛門が現れ、平太郎の勇気を讃え、降参して立ち去る。

<神野悪五郎>
・先述の『稲生物怪録』のなかで、最後に登場する山本五郎左衛門の好敵手として稲生平太郎に語るのが、神野悪五郎である。五郎左衛門同様の妖怪大将であるが、平太郎に悪五郎が現れた時は共に戦おうと言う。平太郎が五郎左衛門を呼ぶ時に、一部の諸本では「槌」で柱を叩くようにと話す。神野悪五郎は宮地水位が著した『異境備忘録』でも紹介されている。神野悪五郎日影と呼ばれ、魔界の13の悪魔の統領の一人で第六の魔王とされている。

<ヒバゴン>
・1970(昭和45)年7月20日に謎の類人猿が初めて見つかり、発見場所が旧比婆郡(現・庄原市西城町)だったので、「ヒバゴン」と命名された。いくつかの目撃情報や写真情報があり、当時の西城町役場に「類人猿課」が創設され、盛り上がりを見せた。その後目撃されなくなったことから1975(昭和50)年には終息宣言が出された。

<フチザル(渕猿)>
・渕に住んでいた猿に似た妖怪で、エンコウに近いものと思われる。1742(寛保2)年三坂春編選『老媼茶話』の「釜渕川猿」の項に渕猿として紹介されている。

<牛鬼>
・牛鬼は残忍・獰猛で、その姿は牛面鬼身とも鬼面牛身ともいうが、光市牛島の牛鬼伝承において、その姿は明確ではない。天文年間(16世紀前半)に牛鬼が現れ、人々を苦しめたので、島民は島から逃げ出してしまった。

・愛媛県で有名な牛鬼といい登場人物といい、一衣帯水である四国とのつながりを暗示していよう。

<牛鬼>
・高松市北西部の連峰・五色台の峰の一つ、青峰に棲み人畜を害していたという怪物。

・根香寺には、そのときに退治された牛鬼の角とよばれるものと、牛のような頭部にコウモリのような飛膜状の翼をもつ牛鬼の姿を描いた掛軸が伝わっている。

<牛鬼>
・宇和島市を中心とする南予地方の神社祭礼には「牛鬼」という全国的に類例のない練物が登場する。青竹で牛の胴体のように編み、赤布やシュロで全身を覆い、長い首の先に振り子(和紙)製の頭を付ける。その形相は牛とも鬼ともつかないものである。

・なお、祭礼とは別に「牛鬼」という妖怪に関する伝承もある。牛鬼の棲むとされる場所は、淵や滝、海など水に関するところが多い。宇和島市や西予市、久万高原町に「牛鬼」が棲んでいた淵や滝があり、地元の田畑を荒らしていたが鉄砲で撃たれて退治され、淵や滝に逃げ込んだという共通した話が残る。

<鬼>
・唐津市北波多村にある山、岸岳には武内宿禰の末裔という鬼が棲んでいたが、渡辺綱の子、渡辺久によって滅ぼされたという。

<鬼>
・鶏鳴・九十九伝説だが、宇佐市の大蛇がつくった石段以外はすべて鬼が登場し、最低でも県下11か所の地域には神と鬼との約束により築かれたとされる遺物が存在する。

<ケンムン>
・ケンムンとは木の者の意味で、ガジュマルという木に住む精霊であるとされる。

・幕末期に鹿児島から奄美大島に流罪となった名越左源太は、その著『南島雑話』に、赤ら顔で、おかっぱ頭で、登頂には皿を頂き、全身は毛でおおわれて、屈んだ2頭のケンムンが描かれている。相撲を好むこと、山仕事を手伝うこと、人家に近づかないことなどの特徴をあげて、鹿児島のガラッパ(カワタロ、ヤマタロ)と同じものと理解していたことがわかる。しかし、奄美の人々のあいだで語られるケンムンは、さらに多様な存在である。

・奄美の民俗研究者の恵原義盛氏は、その背丈は5、6歳の子どもくらいであること、雄ヤギの臭いがすること、ケンムンマチ(ケンモン松明)といって青白い光を放つこと、魚の目が好物で漁師の獲物の目玉を刳り抜いて食べてしまうこと、貝が好きなこと、蛸はヤツデマル(八つの手のもの)といって怖がること、金属を嫌うこと、人間の目を突くこと、投網の邪魔をすること、子どもを水中に引きずり込むこと、崖から人を投げ転がすこと、人に仕返しすること、さらに、人に恩返しをすること、人と仲良しになることなどをあげ、その多様な存在を描き出している。

・奄美大島では、ケンムンは過去のこととして話されるだけでなく、現在も依然として遭遇した話が生成され、ケンムンは存在するか、しないかの議論も盛んに繰り広げられている。

<キジムナー>
・伝承地によって、呼び名・姿が違うが、近年は、キジムナーに統一されつつある。ガジュマル・あこう木・桑などの大木にすむ木の精霊。姿は赤い髪の毛の小さい子ども、あるいは大人、禿げ頭で頭に皿があり、カッパに似ているとの伝承もある。人間と親しくなると毎晩一緒に魚捕りをし、大漁の魚を人間に与える。住みかを人間に焼かれると、別な場所に移り、焼いた人間に報復する。からかったり、いたずらした人間にはどこまでも追いかけて、仇を討とうとする。キジムナーと親しくなった家は裕福になり、追い払った家は貧乏になる。人間に追いかさぶり金縛りのようにしたり、おぼれ死にさせることもあり、邪悪な妖怪とも考えられている。

<ヒヒ>
・気仙沼市元吉町に、ヒヒ(年老いたサル)にさらわれた娘がいた。故郷の者が南部参詣で五葉山に行ったところ、その娘が洗濯をしていたのを発見して、家に戻るように説得したが、何不自由なく暮らしているので帰らないと語ったという話が伝えられている。

<牛鬼>
・畔田翆山は辞書『古名録』の「うしおに」の項で、古典の『枕草子』や『太平記』などの書物にみられる「牛鬼」は中国の「山魈(さんしょう)」と同じものだとしたうえで、熊野の言い伝えでは、「牛鬼」は毎年12月20日に山を下って海へ出ると記している。この怪物は足跡が一本足だとされており、彼は一本足の山の神に「牛鬼」の名をあてたようだ。

<牛鬼>
・また同町姫路には、首から上が牛で下が鬼の形をした牛鬼という化け物がいて、田畑を荒らし牛馬を食い殺していたが、福田左近という人物に退治されたという。

<牛鬼と濡れ女>
・主に石見地方に伝承される海の怪。牛鬼は海中に棲み、大きな一つ目の牛の姿で夜間、夜釣りの釣り人に赤子を抱かせた後、今度は牛鬼が海から出てきて釣り人を追いかけて突き殺すという。

<件(くだん)>
・件は頭が人間、胴体が牛の人面獣で、生まれた後に予言をしてすぐ死ぬが、その予言は必ず当たるという。岡山では県北に件の伝承が多く、太平洋戦争の終結を予言したという話が残されている。目撃例もあり、新見市では、ぶよぶよした赤い肌にちらちら毛が生えていたといい、岡山市では見世物として件の作り物が展示され、その姿は牛の頭で、目の間に人間の顔があったという。

<スイトン>
・蒜山地方に伝わる妖怪で一本足、スイーと飛んできてトンと知らない間に近くに来て立っているのでスイトンとよぶ。人の心を読み、人間が考えたり思ったりしたことがわかる妖怪で、人間でも引き裂いて食べたという。

<獅鬼>
・伊万里市大川町にある眉山に出没した怪獣。牛にも獅子にも似た姿で、2丈(約6m)あまりの大きさだったと伝わる。

<猫の王>
・阿蘇五岳の中の根子岳(猫岳)には猫の王が棲み、近隣の猫が除夜・節分等に根子岳に参詣し、猫の王に挨拶をするという。



『人類の祖先は宇宙人である』
 (ミン・スギヤマ)(第一企画出版)(1993年)



<聖書に記された人類発祥の秘密>
・たとえば、牡牛座からやってくる宇宙人は、まさに牛の顔をしていると言われるが、その牡牛座人は日本のある牧場で目撃されたこともあるが、インドにおいて昔、頻繁に現れたという話がある。三大宗教の一つである仏教の発祥地でありながら、現在はヒンズー教が支配的となっている。

・ヒンズー教がの方が仏教以上に魅力的で、人々がこぞって改宗するほどのものなのかどうか私は、分からないが、彼らの面前に牛の顔をした牡牛座人がUFOに乗って現われたならば、その大きな衝撃ゆえに仏教を捨て、牛を神と見なすヒンズー教が一気に広まったと想定しても自然に理解できそうである。

・スイスのビリー・マイヤー氏は宇宙人に選ばれて、さまざまなことを学んできたわけだが、ダル宇宙のアコン太陽系から来たアスケットというヒューマノイド型(我々と同じ姿形をしたいわゆる人間=宇宙人)の女性から、地球人の発祥はこの地球上ではないことを聞く。私たちは、絶えざる研究によって地球を発見しましたが、さらには地球人類の発祥の地を見つけました。地球人類は地球に発祥したものではありません。

・地球人類の祖先は宇宙のはるか彼方、あなた方が環状星雲と呼んでいるところから、この地球にやって来たのです。この星雲が地球人類の故郷なのですが、その祖先の本来の子孫はもはやその星雲の太陽系には住んでいません。彼らは、あなた方が七つの星(スバル)または、プレアデス星団と呼んでいる天体に住んでいます。彼らこそあなたがたの本来の祖先の遠い子孫にあたるのです。

・ビリー・マイヤーは、1938年生まれのスイス人で、4歳のときにUFOを目撃、ついで、宇宙人とテレパシーで交信、そしてUFOに搭乗した。以来、100回を超えるコンタクトを繰り返し、ノートには7000ページに及ぶ記録を残している。

<一番科学的でないのは科学者自身>
<科学者はアインシュタインを裏切りたくない>
・光速度を超える光が近年各地で観測されていることや、光速度を超える速度で飛来してきたであろうUFOの存在たちが確認されている以上、光速度不変の原則がすべての状況において、適用されるとは言えないことを科学者たちは認めざるを得ないところまできている。

<何度も地球に入植を試みた宇宙人>
・宇宙人セムヤーゼによれば、宇宙には地球に限らず非常に多数の文明が存在し、彼ら宇宙人はそのうちのヒューマノイド型の人類だけで「宇宙連合」を構成しているという。その人類の総合計は約1270億人で、またヒューマノイド型ではない、「宇宙連合」に属さない知識生命形態が無数に存在している。

・さらに、地球上には三つの異なった惑星を起源にもつ人種が存在しているという。地球上に“創造された”地球人、現在の火星の位置に昔存在したマローナという惑星について、惑星崩壊後にやってきたマローナ人、そしてヴェガ星や琴座のリラ星の惑星からやって来た古代リラ人の三人種である。

・各々に起源を持つ人々の現在の人口は、古代リラ人が14万4228人、マローナ人種が1億6730万人、それ以外は“地球人”であるというが、他にリラ人からわかれた2人種がいる。その2人種については、宇宙人にも詳細は不明だが、ほとんどが“地球人”と同化しているらしい。中国人や日本人はこの2人種に当たると、セムヤーゼの父プターはマイヤーに語った。

・セムヤーゼの話は今から約23万年前、彗星によって住民の3分の2を失ったある太陽系の第6惑星から始まる。

「セムヤーゼ」
・ある遠い宇宙の太陽系の惑星の全人類の3分の2が、当時この彗星(デストロイヤー)によって滅ぼされ、生存者は、最初からやり直さなければ、なりませんでした。再出発は不自由で困難を極めました。しかし、彼らは、わずか900年間くらいで新しい文明と文化を築きあげました。彼らは、宇宙の力によってもたらされた困難な破壊を克服して再出発したのです。

・彼らの霊性と知識は急速に洗練されて行き、彼らの到達した技術水準は想像を絶していました。やがて彼らは、円形で皿状の宇宙船を建造し、大宇宙へ飛び出すようになりました。

<ヒル夫妻が遭遇したレティクル座人とは>
・レティクル座人は通称レティキュラン。約50万年前までは琴座のリラ星に居住。後に、核戦争による汚染をのがれてレティクル座に移住した。本格的な宇宙進出を開始したのは30万年前か。一時衰微したが、2万年に中興の祖テデルが出現。オリオン座に居住する「リゲリアン」や牡牛座人。天秤座人その他の種族を征服、支配下におさめた。

・500年前に惑星連合政府を創設。指導種族として恒星間貿易ルートの50%を支配。のち85%に拡大して現在に至る。

・性格はゼータ1・2の出身者で異なるが、非常に進取の気性に富み知的。官僚組織の運営に抜群の才能を発揮している。

・容貌は平均身長1.2メートル。頭の大きな胎児型の体型で指は4本。うち2本の指の間に水かきを持つ。皮膚の色は灰色、赤や緑をまじえる者も多い。

<天秤座人>出身母星、天秤座のアルファ2星
先祖の居住地は不明。宇宙史に登場するのは10万年前から活発な商業活動を開始。1万4000年前にレティクル座人の攻撃を受け、敗北。配下に入る。

・少数系種族の最大種族として反レティクル座人の一方の雄。性格は合理的な反面、情にもろいところも。容貌は地球人に近いが発光現象の特徴を持つ。

<牡牛座人>
出身星座、牡牛座。先祖の居住地は不明。宇宙史に登場する最古の種族の一つで、レティクル座人の台頭では指導種族として権力をふるった。1万2000年前にレティクル座人の侵攻をうけたが撃退。以後最近まで和解と衝突を繰り返す。700年前、最後の衝突で壊滅的な打撃を受け、軍門にくだった。地球への飛来はなく、約2万年前からインド神話やアフリカ神話に登場する「牛の神」として活発な交配実験を繰り返した。容姿は現在地球上に残る牛とほぼ同じ。

<日本の超古代文明を証明する文書>
・『竹内文書』では、天神七代の宇宙創世紀に続き、上古第一代天皇が「神定」によって天日国という名の星(プレアデス星団)から、太陽系第三惑星である地球(天元根国)に、空飛ぶ円盤を思わせる乗り物(天の浮船)に乗って降臨し、地球に文明をもたらす。日本人の祖先はこの神の後裔であるという。

・『九鬼文書』でも、地球開発委員長格のアメノミナカヌシが地球に降臨し、私たち日本人は800万の神々の子孫ということになっている。『宮下文書』は、やはり天降った神々が地球の四大地域の開発神(文化英雄)となり、日本人の祖先は、そのうちの阿間都国に定住した神々のその子孫と記している。『秀真伝』でも、クニトコタチノカミが8人の御子を地球に天降らせ(八方降神)、地球の八大地域をそれぞれ開発した。人類はそれらの神々の子孫である・・・・と記している。
『古事記』、『日本書紀』では天孫降臨説として出てくる。

<サイ粒子の科学的探究が必要>
<水がめ座人>
出身星座、水がめ座。琴座にルーツを持つ。容貌はレティクル座人を大型にして太らせた感じ。惑星連合政府設立当初は運輸行政に影響力を持ったが後に失脚。

<白鳥座人>
出身星座、白鳥座。約1万年前にレティクル座人の影響下に入ったが、後に反乱を起こした。「ラージ・ノーズ・グレイ」のリゲリアン(オリオン座人)とは盟友関係。

<琴座人>
出身星座、琴座のリラ星。
牡牛座のプレアデス星団にいたが、9000年前に移住。高度文明を築きレティクル座政府から多くの留学生を受け入れた。科学者を多く輩出し、少数種族ながら惑星連合政府の技術部門を握る。容姿は平均身長2メートルほど。金髪で白人に近い。スイスのビルー・マイヤーが出会った宇宙人たちは、この種の宇宙人種と思われる。

・その他かに座人、射て座人、さそり座人の存在も確認されているようである。また、出身母星を竜座のアルファ星とする竜座人(ドラコニアン)、そしてその一派のレプトイドというエイリアンの存在も考えられており、身長2.1~2.4メートル、爬虫類型の宇宙人で体全体が鱗で覆われているという。
とにかく、様々な進化(?)の過程を経てきたと考えられる動物型宇宙人は数多く存在すると言われている。

<「気」の大規模な実用化こそ人類存続の決め手>
現在、「気」(サイ粒子やプラナと同じだが簡単に「気」と使っていきたい)は、地球上に限らず全宇宙のあらゆる空間を無限に満たして存在するもので、その大きさは原子よりも素粒子よりもさらに小さいもので、簡単に原子間を通り抜けることができ、およそ10のマイナス20乗センチメートル以下と考えられている。そのため、当然、現代の最高の技術を使ってでもそれを摘出することはできない(もちろん、その「気」もさらに小さな粒子により複雑に構成されているのであるが・・・)。

・人体に限らず、我々の身の回りにあるほとんどの物質はやはり隙間だらけであることを考えると「気のような微小な粒子はほとんど邪魔されず簡単に様々なものの中に入り込むことができ、地球の裏側であろうと、瞬時に超能力が伝わることや霊に取り付かれるなどという現象の一部は理解できそうである。例えば、「気という粒子自体が高速に近い速度或いはそれ以上で移動できるのか、 波動として伝えることができるのかなどは分からないが」。



『地球外起源のUFOはこうして隠蔽されている!』
(ミン・スギヤマ)(徳間書店)  1995/10
(衝撃!!宇宙人死体解剖フィルム公開がつきつける驚異の現実!!)



<UFO飛来の理由>
・「基本的にヒューマノイド型宇宙人は、個人レベルで人類とコンタクトを行なっているというが、報告件数が少ないため、多くのUFO研究者にとっての関心は大規模な活動を繰り広げているグレイ種に絞られている。

・地球人が直接グレイ種といわれる宇宙人と関係を持つようになったのは、ニューメキシコ州ロズウェルで1947年7月にUFO墜落、生きているグレイ種の宇宙人が回収されたことに始まる。その後1952年のワシントンDC事件などを経て、米空軍は秘密裏にグレイ種の宇宙人と何らかのコミュニケーションをとるにいたったと考えられている。

・UFO研究家の間で取りだたされた『MJ12』文書によると、その数年後に宇宙人との間に初歩的なコミュニケーションが可能となったとされ、米政府とグレイ種との間に次のきわめて重要な密約が交わされたと考えられている。

・エイリアンは米国に関わる問題に一切関知しない。
・米政府はエイリアンたちの行動に干渉しない。
・米国以外のいかなる国とも協定を結ばない。
・米政府はエイリアンの存在を秘密にする。

・エイリアンから技術援助を受ける代わりに牛や人体実験も許可する。こうした情報がもし本当ならグレイと言われるエイリアンが頻繁にアメリカに現れる理由やキャトル・ミューテーションやアブダクション、さらにはUFO情報の隠蔽工作などの謎がすんなりと氷解する。



『荒俣宏妖怪探偵団  ニッポン見聞録』
荒俣宏、荻野慎諧、 峰守ひろかず Gakken    2017/8/29



<ザシキワラシが守った家宝はホロタイプ標本?>
・ここまで見てきたのは、いずれも日本中に広く伝承されている、いわば全国区の妖怪だった。では東北を代表する、東北ならではの妖怪はいないのかと聞かれれば、勿論いる。その代表格がザシキワラシだ。『遠野物語』で広く知られることとなったこの童子の伝承地域は、岩手を中心とした東北地方。宮沢賢治も『ざしき童子のはなし』で言及している。

・佐々木喜善らの記録によれば、ザシキワラシは家の盛衰を司る童子型の妖怪………と言うより、家の神だ。いる家は繁栄し、いなくなると途端に没落する。人前にはっきりと姿を見せるのは家を出ていく時だけで、夜中に妖しい物音を立てたり、または布団を引っ張るなどの悪戯をすると語られているが、現代では、その姿を見ると幸せになる妖怪(あるいは守護神)という印象のほうが強いのではないだろうか。ザシキワラシのいる旅館があり、そこでザシキワラシを見るといいことがあるという話は、多くの人が聞いたことがあると思う。

・そのイメージの源泉となった旅館が、ここ、二戸市は金田一温泉の老舗の宿「緑風荘」だ。不幸にも2009年に火災で全焼してしまったが、今では立派に再建され、館内は明るく広々としている。荒俣さんは火災以前に訪れたことがあるそうで、その時の思い出を語ってくれた。
「ザシキワラシが出る『えんじゅの間』って部屋があって、人形やおもちゃがたくさん供えてあったんですよ。あと、印象的なのはお風呂。大きくて薄暗くてタイルもかっこいい、昭和初期の雰囲気がしっかり残っているお風呂だったんだよ。建物が古くて木が伸縮するのかな、冬の夜は音が凄かったですよ。もうあちこちからギイギイバタバタ………。今ではそんなこともないだろうけどね。焼けてもしっかり立ち直るというのは、さすが東北だなあ」
 清潔感のある室内を眺めながら、荒俣さんは懐かしげに言った。

・ところで、先ほどから「ザシキワラシ」と呼んでしまっているが、実はここのザシキワラシは「亀麿(かめまろ)」という立派な名前をお持ちで、敷地内の神社に祀られてもいらっしゃる。怪しい妖怪ではなく、宿を守る守護神なのだ。その謂れについては、話を聞いてみることにした。
「昔、私どもの先祖は、南北朝時代に南朝方に仕えていたんですよ。南朝が北朝に敗れてこっちに逃れてきた時に、亀麿という幼い子供が道案内をしてくれたけれど、病で亡くなってしまった。その後、うちの守り神のザシキワラシになったという言い伝えがあるんです」
 そう教えてくれたのは、こちらの宿の当代のご主人、五日市洋さんだ。作務衣の似合う控えめで柔和なご主人に、荒俣さんが問いかける。
「再建されてからも、ザシキワラシが出た、見たという話は、やっぱりあるんですか?」
「そうですね。以前と変わらずに、皆さんいろんな体験をしておられますよ」
「家が一回なくなっても出てくるのか。律儀なザシキワラシだなあ!」
 荒俣さんがちょっと真剣に感嘆する。同感だ。やはり家の守り神たるもの、物理的な建築物ではなく、家、宿という概念そのものに居着き、守護しているのだろう。

・荒俣さんにうなずきながら、ご主人は黒ずんだ亀の化石に視線をおとした。思い入れのこもった声が静かに響く。
「火事があった時、これをたまたま親戚のところに貸していたんですよ。本当に偶然。だから、これだけが残ったんです。レプリカもあったんですが、レプリカも燃えちゃって………火災の前のものは、本当にこれしか残っていないんですよ」

<開かれていた遠野とハイパー文学の秘密!>
・岩手の妖怪、さらにはそこにまつわる人々を追う旅を続けてきたが、最後はやはり『遠野物語』の舞台である遠野、そしてそこの物語を集めた佐々木喜善その人にフォーカスしてみる必要があるだろう。というわけで我々は、一連の取材のひとまずの締めくくりとして、遠野伝承園を訪れた。曲り屋やオシラ堂、佐々木喜善記念館など、『遠野物語』を多面的に体感できる施設だ。

・「本題に入る前に、まず、喜善の時代の遠野について説明しておきますね」
 前川さんが切り出した。前川さんが言うには、喜善が『遠野物語』に出てくるような話を聞いた時代――つまり彼が幼かった頃―—は、遠野の街道筋の最後の繁栄期だったそうだ。そして、喜善が成人した後も電気はまだ通っておらず、夜はまだまだ暗かった。暗闇に対する恐怖が残っていた最後の時代でもあるんです、と前川さんは続ける。
「電化が始まったのが、この少し後、大正2年(1913)ですからね。そうなるともう住人のメンタリティが変わってしまう。喜善は、変革直前のぎりぎりの時代を切り取ったんですよ」
「遠野というと、古い文化が残るひなびた山村という印象があるんですが」
「実は結構潤っていた場所なんです。塩や薪炭の陸送ルートでしたし、流通税を取ってましたから。新鮮な魚が1日で届くような流通システムもあったんですよ」

<佐々木喜善の迷い道とその果てに残したもの>
・遠野は閉じながらも開かれていた土地であり、だからこそ民話や伝説といったハイパー文学が育まれた。私にしてみればこれだけでも十分にインパクトのある結論だったが、荒俣さんはまだまだ食い足りないようで、2人の専門家を改めて見た。次なるテーマは、物語を集めた佐々木喜善、その人である。
「遠野はいろんな話が入ってきて残る土地で、なおかつある程度裕福だった。だからこそ喜善のような人が出てきたわけですよね。その喜善って、どういう人……いや、どういう家の生まれだったんです?あと、家に語り部はいたのかも聞きたいな」
「お祖父さん豪農ですね。父はいなかったので、お祖父さんが父親代わりだったんですが、地域の肝入りさん的な存在でした。だから喜善はおぼっちゃんですね。そして語り部ですが、おヒデさんという大叔母さんがいました。さっきのオシラサマ物語を語ったのがこの人です。『遠野物語』では魔法を使って蛇を殺すと書かれていて、おそらく隠し念仏の指導者じゃないかとも………」
「おう、隠し念仏!」
 前川さんが言い終えるより先に荒俣さんが反応した。よほど嬉しかったのだろう、リアクションがおそろしく速い。「宮沢賢治のところで聞いたあれだ」「また繁がったなあ」と言いたげな、誇らしげで福々しい笑みに、前川さんもつられて微笑む。
「そういう生まれでしたから、伝説や民話に関心を持つようになって………そして、東京に行って、井上円了の妖怪学の講義を聞くも、妖怪を否定する言説に幻滅したという」

・「柳田は、政治の世界で大成し、民俗学を立ち上げた巨人であり苦労人なわけです。喜善にしてみれば、一つのロールモデル、憧れの存在だったんですよ。ただ、最初は慕っていたけれど、だんだん『自分だって』という気持ちが出てくる。向こうはヒーローなのに、対する自分は中途半端で、なりたかった作家にはなりきれないし、民俗学者としても不十分、柳田のように政治家の世界に行っても—―郷里に戻った後に村長になるんですが………成果を残せない。認めつつもなにくそと思っていて、なのに越えられない」

・「若い頃キリスト教に傾倒していたのですが、大本教に入り、最後は神職の資格もとったんです。研究者としては昔話を集めて『聴耳草紙』を編むし、一方で、作家になりたい気持ちはあっかから小説もまた書き始める。さっき言いましたように、地方行政にも首を突っ込みました」

・自身の感想の吐露とも同意を求めているとも取れる口調で荒俣さんが言う。よほど感銘を受けられたようだ。分かりますとうなずきつつ、私は田口先生の言葉にも深く共感していた。『遠野物語』という名著に関わっておきながら、道に迷って自分探しを延々続け、それでも最後に何かしら新しいことを—―その萌芽だけを—―世に残す。実に人間味のある生涯だ。私はメモを取り終えると、「柳田國男に遠野の伝承を語った人」としてしか佐々木喜善を認識していなかったことを恥じた。

<鬼とともに語られた東北のイメージ>
(荒俣)そういう東北をいろいろ見てきたわけだけれど、東北と鬼について話してみようか。鬼は、人間とほぼ同じ形をしているけれど、巨大で恐ろしい顔をもち、人を食うという日本独自の怪物です。
(前川)遠野には鬼の伝説がないのです。鬼みたいな形で語られるのは、オオヒトの山男、山人です。角はないけれど、鬼に近い形として語られてきました。顔が赤く、目が輝いて、非常に大きな人だと伝えられています。山人にさらわれて、里のものでなくなった女性が山女になる。民族研究者の目で見ると、山人の姿は、金山師、修験者などの姿が複合して出てくるのではないでしょうか。
(峰守)定期的に村を襲って娘をさらったとかいう話はないのですか。
(前川)さらわれた女性自身が、そういう説明をしているからであって、それを目撃したという話はないのです。女をさらうものには「猿の経立(ふったち)」という猿の妖怪がいます。
(荻野)只野真葛の『奥州ばなし』(勝山海百合現代語訳)に出てきた大猿は、いわゆる異人に含まれるものだと思いますが、大きさに具体性があるものが多いのですね。9尺くらいのかなり大きい人型のイメージです。夜行性というところが気になりますね。地元に興味を持って、記録を残した先人たちがいたから、現在、私たちが科学的視点から調査できるのです。
(田口)人は、空間の移動によって見るものが変わります。奥山では山の神、里山では狐火、集落では幽霊というように。その大猿の話も、自分たちと違った世界、価値観の違った人たちが存在するというイメージの中で見ようとする人々がいた、という話ではないかと思います。

・(荻野)鬼の話に戻りますが、その姿を記した描写は残っているのでしょうか。絵巻などに残っているような抽象的なものではなくて。
(荒俣)一般には、牛の角をはやして、虎の皮の褌を締め、手に鉄の棒を持っている。牙をはやして、赤や青の体色をもった大男とされている。でも、これは本来の鬼に基づいた姿ではなくて、象徴的な意味をもたされた室町時代以降のものだね。この時代から方位学で北東方向の鬼門にこだわるようになって、北東は古いいい方で丑寅に当たることから牛の角と虎皮の組み合わせになったにすぎないのです。
(峰守)『今昔物語』などでは、何尺何寸という具体的な話はあるけれど、実際に鬼を見た人がいるかとなると、そういう記録はないですよね。
(荻野)人を喰うとか、肉食のイメージを持っているけれど、角のある生き物は基本的に植物食です。角がある生き物で肉食というのは、化石を見てもいません。

<旅の始まり、もしくは早々の前途への不安>
・妖怪好きに、東北、特に岩手と言われて何を連想するか尋ねてみると、返ってくる答えはおそらく、「ザシキワラシ」や「河童」あたりだろう。「山男」や「天狗」、「マヨイガ」「オシラサマ」などを口にする人もいるかもしれない。いずれも広く知られた怪異や土着信仰の名称であるが、これら全ての出典は、1冊の本に求めることができる。『遠野物語』である。

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