少なくとも世界標準並みのGDP2%程度の防衛予算を配当し、有事には国民の1%程度が戦える正規軍と予備役からなる通常戦力も必要になる。(1)



『核拡散時代に日本が生き延びる道』
独自の核抑止力の必要性
元陸将補 矢野義昭    勉誠出版   2020/3/31



<日米などが配備しているMD(ミサイル防衛)システムも万全ではなくなってきている>
核保有は最も安く確実な抑止力
反日中朝の核脅威は高まり、米国の核の傘は破れ傘になった。
祈りや願いだけでは独裁国に屈するしかない。独裁に屈すれば、悲惨なウイグルの二の舞になる。日本には核保有能力が十分ある。核に代替手段はなく、米国も黙認するだろう。
護るか、屈するか、決めるのは国民だ!

・最終的に日本独自の核抑止力の必要性と可能性、その保有のあり方について論じている。

<核恫喝の脅威>
<核恫喝は何度も使われてきた>
・国際司法裁判所は、1996年に「核兵器による威嚇または使用の合法性に関する勧告的意見」において、「核兵器の威嚇または使用は武力紛争に適用される国際法の規則(中略)に一般的には違反するであろう」としながらも、「国家の存亡そのものが危険にさらされるような、自衛の極端な状況における、核兵器の威嚇または使用が合法であるか違法であるかについて裁判所は最終的な結論を下すことができない」としている。

・しかし現実には、以下のような、核恫喝が使用されてきた歴史的な事例がある。その意味では、核兵器は使い道のない兵器ではない。相手国にギリギリの対決の場で、政治的要求を受け入れさせるための効果的な手段として活用されてきたことは、史実が立証している。

① 米国のトルーマン大統領は朝鮮戦争中に記者会見で、「何か特別な物を注意深く扱う」と表明し、核使用を示唆して恫喝を加えている。

② 米国は1954年、ベトナムのディエンビエンフーでの戦いで敗れた仏軍の撤退を掩護するため、ベトミン軍に対し、核恫喝を加えようとした。

③ 米国のアイゼンハワー大統領とダレス国務長官は、1955年の台湾海峡危機に際して、金門・馬祖を奪取するために上陸作戦を準備していた中国に対し警告するため、戦術核兵器の使用について議論し、「言葉の上でのあいまいな威嚇を加える」ことを決定した。

④ ソ連は、1969年の中ソ国境紛争時、中国に休戦交渉を強要するために、核恫喝を加えた。この時には、中ソの核戦争を恐れ、米国が仲介に動いた。

⑤ イスラエルは、1973年の第4次中東戦争時に、エジプト軍によるイスラエル国内への奇襲侵攻を許し、国家存亡の危機に直面した。その際に、イスラエル国防相は、進出したエジプト軍により国家の存続が危うくなることがあれば、いつでも指定された目標に核兵器を使用できるように、核爆弾を搭載した戦闘機と核弾頭を搭載したジェリコ・ミサイルを準備せよとの命令を発したと、外国の報道機関により報じられている。ただし、イスラエルは公式には、核兵器を保有しているとも、保有していないとも表明しない、あいまいな戦略をとっている。

⑥ 中国は、1995~96年の台湾海峡危機時に、96年の中華民国総統選挙での李登輝選出阻止のために、台湾と与那国島の近海に弾道ミサイルを打込み、軍事的威嚇を加えた。

⑦ パキスタンは、1999年の印パ間のカーギルでの紛争時に、インド軍の侵攻を阻止するために、パキスタン陸軍のパルヴェーズ・ムシャラフ陸軍参謀総長兼統合参謀本部議長がシビリアンの指導者にほとんど知らせることもなく、核兵器使用の計画を進めていた。

⑧ ロシアは、ジョージアとの紛争、クリミア半島併合やウクライナ危機時にNATO軍を牽制するために、長射程の空対艦核巡航ミサイルを搭載可能な爆撃機や地対地弾道ミサイルの活動を活発化させ、あるいは近傍に進出させるなど、核威嚇を加えている。

・以上の史実から見ても、今後も核恫喝が行われる可能性は高い。恫喝に屈することなく国益を守り抜くためには、信頼のできる核抑止力を保持しておかなければならないことは明らかである。
 日本の場合は、自ら相手国に侵攻することは考えられないので、敵対的な核保有国による恫喝を受ける可能性が高い。特に核大国となった中国の挑発や攻撃的行動には注意が必要である。また今後は、北朝鮮や統一朝鮮から核恫喝を受ける可能性にも備えておかねばならないであろう。
 その場合、日米安保体制下では、米国の本格的な軍事介入前に、日本に対して、すでに達成された侵略目的を既成事実として受け入れさせ、日本に対する政治的要求を強要するために、核恫喝が使用される可能性が高い。

<核恫喝に屈すればどうなるか?――チベットの事例>
・核恫喝に屈すれば、相手国の政治的要求(戦争目的)をそのまま受け入れざるを得なくなる。恫喝を加える側から見れば、まさに、『孫子』の言う「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり」を地で行くように、最も効率良く、無傷で勝利を得ることになる。
 中国共産党の恫喝に屈して戦争目的あるいは政治目的を達成されるとどうなるかについては、例えば、いまチベット、新疆ウイグル、香港などで起きている事例から推察できる。

・結局、約120万人のチベット人が虐殺されたことを、国際司法裁判所は認めており、中国も反論していない。

<核恫喝に屈すればどうなるか? ――ウィグルの事例>
・ウイグルでは、ウイグル人の実数は約2千万人と見積もられるが、中国は2015年には1130万人と発表していた。しかし、3年後の2018年には6~7百万人と発表している。その減少した人口4百万人のうち3百万人は強制収容されたとみられる。

<日本が核恫喝に屈すればどうなるか?>
・ひとたび、主権と独立を失い、独裁に屈すれば、警察権さらには軍事権まで失われることになる。

・力で反抗を抑圧されれば、結局は、孫子に至るまで主権も独立も民主主義も取り戻すことはできなくなる。固有の文化や伝統、一般住民の権利も失われ、数世代経つと民族としてのアイデンティティは亡くなり同化されるであろう。それが歴史と現在の世界の情勢が示している教訓である。

・核を保有した独裁体制の隣国による核恫喝に屈しないためには、確実な核抑止力の保持が必要不可欠である。

<迫られる日本の自力防衛>
・この間、日本は自ら独力で地上戦を数カ月、最小限1カ月半程度は戦い抜かねばならないことになる。このような状況下で、中朝から核恫喝を受けた場合に、上記の米国の核の傘の信頼性低下を踏まえるならば、日本は自らの核抑止力を持たなければ、恫喝に屈するしかなくなる。
 また、核恫喝に屈することが無くても、数カ月に及ぶ長期の国土の地上戦を戦わねばならないとすれば、それに耐えられるマンパワーと装備、それを支える予備役制度が必要不可欠なことも明白である。
 そのためには、早期に憲法を改正し、国民に防衛協力義務を課し、世界標準並みの防衛費を配分して、長期持久戦に耐える国防体制を構築しなければならない。それとともに、日本自らの核抑止力保有が必要不可欠になる。
 核抑止力と自力で日本有事を戦い抜く戦力、特に残存力と継戦能力のいずれがなくても、日本の防衛は全うできない。

<外国人による日本核保有賛成論>
・北朝鮮は国際制裁や米軍の軍事圧力にもかかわらず、核ミサイルの開発を続けている。

・もともと核の傘など存在しないとみるリアリストは、欧米には広く存在する。「自国を守るため以外に、核ミサイルの応酬を決断する指導者はいない」、まして、核戦力バランスが不利な場合は、同盟国のために核報復をすることはありえないと、彼らはみている。

<日本核保有賛成論――アーサー・ウォロドロンの主張>
・日韓の核保有については、欧米の識者からも賛成論が日本国内で報道されるようになった。
 オバマ政権時代から、米国内では日本の核保有については、その是非を巡り議論が出ていた。
 日本の核武装に拒否反応を見せるのは、CSIS(米戦略国際問題研究所)のジェナ・サントロ氏らが主張する「日韓は速やかに核武装する科学的能力を持つ。日韓両国が核武装した場合は同盟を破棄すべき」との強硬論である。もとよりこのような主張は米民主党に多い。

・一方、米国では伝統的に、日本の核武装を「奨励」する声も少なくない。ジョン・ボルトン元国連大使や国際政治学者のケネス・ウォリツ氏らは、「国際秩序安定のために日本は核武装すべきだ」と説く。

・米国の最も古い同盟国であり、米国を最もよく知る英国とフランスもこうした考え方を共有している。いずれも核攻撃を受けた際に米国が守ってくれるとは考えていない。

・その問題に対する答えは困難だが、極めて明確だ。中国は脅威であり、米国が抑止力を提供するというのは神話で、ミサイル防衛システムだけでは十分でない。日本が安全を守りたいのであれば、英国やフランス、その他の国が保有するような最小限の核抑止力を含む包括的かつ独立した軍事力を開発すべきだ。

・以上が、ウォルドロンの主張である。その要点は、中朝の核戦力が高まり、米国が核報復を受ける恐れがあるときに、米国が他国のために核兵器を使うという約束は当てにできないという点にある。
 すでに述べた、現実の核戦力バランスの変化を踏まえるならば、このウォルドロンの主張は、合理的な判断に基づく、日本の立場に立った誠実な勧告ととるべきだろう。

<日本核保有賛成論――パット・ブキャナンの主張>
・「日本と韓国は北朝鮮に対する核抑止力を確保するため、独自に核武装をすることを検討すべきだと主張した」と報じている。

・交渉の結果、在韓米軍が削減されるような事態となった場合に備え、日本と韓国は北朝鮮の短・中距離ミサイルの脅威に各自で対抗するため「自前の核抑止力(の整備)を検討すべきだ」と語っている。

<日本核保有賛成論――エマニュエル・トッドの主張>
・「日本は核を持つべきだ」との論文。
「米国はエリートとトランプを支持している大衆に分断され、その影響力は低下している。米朝は互いを信用しておらず交渉は茶番劇であり、米国の核の傘は存在しない」。
「東アジアでも、南シナ海にみられるように米国の影響力は後退している。核の不均衡はそれ自体が国際関係の不安定化を招く」。
「このままいけば、東アジアにおいて、既存の核保有国である中国に加えて、北朝鮮までが核保有国になってしまう。これはあまりにもおかしい」。
「日本の核は東アジア世界に、均衡と平和と安定をもたらすのではないか」。
「こう考えると、もはや日本が核保有を検討しないと言うことはあり得ない」。
「核とは戦争の終わりであり、戦争を不可能にするものなのであり、日本を鎖国時代のあり方に近づける」。

・このように、トッドは欧州の立場から、米国の国益を離れて客観的に日本が核保有すべき理由を示している。特に「核は例外的な兵器で、これを使用する場合のリスクは極大」であり、ゆえに、「自国防衛以外の目的で使うことはあり得ない。中国や北朝鮮に米国本土を攻撃する能力があるかぎりは、米国が、自国の核を使って日本を護ることは絶対にあり得ない」と断言している点は注目される。

・その主張の要点は、核は使用のリスクがあまりに高いため、自国の自衛にしか使えない、核の傘には実体はなく、独自の核抑止力を持つべきだという点にある。
 言い換えれば、生存という死活的国益を守り抜くために、能力があるのなら、どのような国も核保有を目指そうとするのは当然であるという立場を、率直に表明したものと言える。現在の核不拡散を建前とするNPT体制そのものを核保有国の識者自らが否定した発言ともいえる。

<日本核保有賛成論者の共通点と日本への教訓>
・以上の日本核保有賛成論に共通しているのは、以下の諸点である。①米国の力が低下しており、日本に提供しているとされてきた核の傘の信頼性がなくなってきていること、②他方で米国は、北朝鮮や中国の核戦力の向上に対し力により放棄させたり阻止することができなくなっており、交渉では日本に対する北朝鮮や中国の核脅威は解消できないこと、③そうであれば、日本は中朝の核脅威に対し独立を守り地域の安定化をもたらすために、独自の核抑止力を持つべきであるとする、戦略的に合理的な対応策を提唱している点である。
 日本の核保有については、日本人だけの問題ではなく、東アジア引いては世界全体の安定化のためにも、必要とされる状況になっている。日本は既存のNPTの枠組みにとらわれて思考停止するのではなく、どのような核保有のあり方が望ましいかを真剣に考えるべき時に来ている。

<日本の核保有は可能か?>
<『成功していた日本の原爆実験』の出版>
・その内容の概要は、以下の通りである。
・日本は第2次大戦末の1945年8月12日に、北朝鮮の興南沖合の小島において、原爆実験に成功していた。

・米国のジャーナリスト、ロバート・K・ウイルコックスが40年間追求した成果であり、2006年以降、米政府内の機密文書が元CIAや元空軍の分析官によりウイルコックスにもたらされた。

・関係者へのインタビュー、日本軍機密暗号電報解読文書など米政府の機密情報に基づき検証した史実を、1次資料の情報源とともに実証的に記述している。

・理化学研究所の仁科芳雄を中心とする日本陸軍のニ計画の成果は、京都帝国大学の荒勝文策を中心とする日本海軍のF計画に継承され終戦まで継続された。

・大陸を含め約1億円の資金が投入され、海軍は大和級戦艦2隻分の資材を投入した。

・北朝鮮と満州には豊富なウラン鉱石と電力源があった。北朝鮮の興南には野口遵の大規模な産業基盤が戦前から所在し、核爆弾製造に必要なインフラは終戦直前の興南にはあった。

・日本は濃縮ウラン製造用熱拡散分離塔、遠心分離機などの製造に成功していた。
(細部については、ロバート・K・ウィルコックス著、矢野義昭訳『成功していた日本の原爆実験』勉誠出版、2019年を参照)

・上記のウイルコックスの書に記された、1945年8月12日の北朝鮮興南沖合の小島で日本が原爆実験に成功していたという事実の信ぴょう性は、本書で立証されているように、極めて高い。もし日本が原爆実験に成功していたのであれば、NPT(核兵器不拡散条約)の規定に基づき、日本は同条約で規定する「核兵器国」としての資格を有することになる。
 すなわち、日本は「1967年1月1日以前に核兵器その他の核爆発装置を製造しかつ爆発させた国」となり、日本は核保有をしても、NPT違反を理由とする国際非難や制裁を受ける国際法上の根拠はなくなるということを意味している。

・また、以下の事実も機密資料に基づき立証されている。
 ソ連は大戦末に日本の興南を占領し、日本の各インフラと科学者を奪い核開発を早めた。また、中共の朝鮮戦争介入の目的も興南の核インフラ奪取にあった。北朝鮮の核インフラも人材を含め日本が戦時中に基盤を創った。蒋介石は1946年から日本人科学者を雇い秘密裏に核開発を始めていた。
 特に史実であることを裏付ける決定的事実は、米軍が朝鮮戦争中、興南に数週間留まっていたことである。米軍はその間に、徹底した現地調査を行い、日本が核爆弾を最終的に組み立てたとする興南の北の山中、古土里の洞窟とその周辺施設を確認している。その調査結果は、本書に記されている。
 その調査の間に、米国は興南沖合の小島とされる爆心地の残留放射能などの確実な核実験の証拠を直接確認できたはずである。その米政府のCIA、米軍の秘密資料に基づき検証された結論が、この書に明記されている。
 例えば、日本の原爆がトリウムとプルトニウムの「混合殻」を使った可能性に言及している。このような、戦後も長らく機密とされてきた特殊な核爆弾の構造にまで言及しているということは、何らかの確証を米側が持っていることを示唆している。

<現在の日本の核兵器保有能力>
・技術的には、米専門家は、現在の日本なら数日で核爆弾の製造が可能と評価している。また、日本の専門家も、技術的には数週から数カ月で可能とみている。その理由については、「費用対効果の面から見た検討」で分析したとおりだが、さらに付言すれば、以下の通り。
① 日本は特に世界で唯一、NPT加盟国の非核国でウラン濃縮とプルトニウム抽出を認められている国であり、濃縮ウランもプルトニウム239も一定量を国内に保有している。
② 核実験なしでもコンピューター・シミュレーションにより核爆弾の設計が可能なコンピューター技術を保有している。
③ 核爆弾の原理は周知の知識であり、概念設計はできており、日本の技術力を前提とすれば、詳細設計を行えば部品構造から組み立てまで数週から数カ月で可能とみられる。
④ 弾道ミサイルについては、HⅡ-A、HⅡ-Bロケットの補助ブースターをICBMに転用可能であり、核弾頭を搭載し投射する能力もある。
⑤ ミサイルの誘導技術、弾頭の再突入技術は「はやぶさ」などで実証済み。
⑥ 通常動力型潜水艦の水準は世界一であり、原潜用小型原子炉の国産技術も保有している。SSBNは、数年で建造できる。
⑦ 日本の中小企業を含めた生産技術は世界一であり、設計通りの部品を製造するのは容易。
これらの諸要因を考慮すれば、日本なら数日でもできるとの米国の専門家の見方は、過大評価とは言えず、遅くとも数週間から数カ月以内には、核爆弾の製造は可能とみられる。

<コスト面と技術的問題は?>
・第3章で分析したように、費用対効果の面から見ても、優位性はあり、コスト的にも十分に財政負担にも耐えられる範囲内である。操作要員も少なくて済み、マンパワーも問題はない。ただし、開発に協力し秘密を厳守できる科学技術者とメーカーの確保に制約があるとみられる。
 コストについては、一般的に、放射性物質以外の核爆弾製造のみなら、数千万円とみられる。最も高価なのは、米国の例でも明らかなように、核分裂物質の製造であり、日本の場合はすでに国内に保管されている。
 核弾頭の概念設計は容易であり、さらに詳細設計から製品製造に至るまでの総コストも、以上の条件を前提とすれば、約1億円以内に収まるとみられる。
 また英仏並みのSSBN(弾道ミサイル搭載原潜)4隻の製造・維持運用に必要なコストは、英国の例から見ても、米国の例に基づく分析から見ても、年間約1~2兆円程度とみられる。この程度の増額分なら、財政的にも可能であろう。

<米国の同盟国日本への期待>
・トランプ政権は「米国第一主義」を唱え、NATOや日韓など豊かな同盟国に対しては、自力防衛を期待し、駐留兵力の削減または駐留費の分担増、武器輸入の増大などを要求している。
 また大量の死傷者が出る地上戦については、極力避けて、同盟国の自らの負担とし、米軍はそれを「支援しあるいは補完」することが、イラクやアフガンの作戦でも基本的な方針となっている。

・しかし核戦力バランス上、中露との核戦争に発展しかねない直接交戦ができないとすれば、自国を核戦争のリスクにさらして日本に核の傘を提供することはできなくなり、米国としては、日本に独自の核抑止力を持たせることを容認するのが合理的な戦略になるであろう。
 そうすることにより、米軍は日本を盾に、安全にアウトレンジから中露の海空戦力を東シナ海・南シナ海で制圧可能になり、オフショアバランシング戦略が遂行できることになる。結果的に、米国地上軍の直接介入は避けられる。

<日本の核軍縮・不拡散への取り組みは無にしないか?>
・こうした軍備拡張競争や兵器の拡散は、国際の平和と安全を損なうことにつながりかねない。無制限に増大した軍備や兵器は、たとえ侵略や武力による威嚇の意図がなくても、他の国の不信感や脅威意識を高め、国際関係を不安定にし、不必要な武力紛争を引き起こすことになりかねない。国連憲章が、第11条で、軍備縮小及び軍備規制を国際の平和と安全に関連する問題として位置付けている理由は主としてここにあろう。

・日本の周辺国では核軍備増強が進み、日本が依存していた核大国、米国の核の傘の信頼性が低下していることは、すでに述べたとおりである。
 現在の日本が置かれている状況は、日本が核保有国である「他国からの侵略や武力による威嚇などから、自国を防衛するために、軍備を必要」と感じる「厳然とした事実」がある状況下にあると言える。
 そうであれば、現在の日本の「軍縮・不拡散の取り組み」のもとにおいても、「日本自らが核保有する」ことは、国家安全保障上の合理的な理由があるのであれば、可能であると言える。

・従って、核兵器に対する軍縮と徹底した削減を求める運動についても、「とりわけ米露両核超大国の核軍縮の進展を求める声が高い」として、米露の核戦力削減に運動の矛先を向けさせるとともに、米露を後追いする立場の中国自らは制約を受けることなく核軍縮を進めるのを正当化することを企図している。

<日本は世界中から経済制裁を受けないか?>
・これまでの史実から判断すれば、核保有国相互間にも利害の対立があり、日本の核保有にメリットを見出す国が出てくる可能性が高く、日本が核保有したとしても、全面的な制裁や禁輸には至らないとみられる。
 中国、イスラエル、インドが核保有を試みていた段階では、フランスが支援をしている。パキスタンに対しては中国が支援している。このように、すべての核保有国が制裁に一様に加わるわけではなく、自国の利益になるとみて支援する国が現れるのが通例である。

<核拡散によるリスクをどう考えるか?>
・理論的には、リアリズムの立場から、核拡散それ自体を是認する、ケネス・ウォルツのような見解もある。すなわち、弱国であっても、残存性のある報復可能な核兵器を保有すれば、潜在的な侵略国は物理的にも心理的にも抑止されるという見解である。
 事実、印パ関係を見ても、1998年の印パの核保有以降、翌年にカーギル紛争があったものの、それ以降大規模な紛争は起きていない。
 中東でも第4次中東戦争で、イスラエル、エジプトともに、核戦力を潜在的に保有し互いに恫喝を加えたが、それ以降、大規模な通常戦争は起きていない。

<オフェンシブ・リアリズム>
・本書の目的は、日本が「核時代をどう生き延びるか」という視点から、「日本独自の核抑止力の必要性と可能性」を論じることにあった。しかし、独自の核抑止力があれば、それで日本の安全保障、防衛は盤石になるのかと言えば、そうではない。

・本書のテーマは、核の脅威や核戦力を背景とする恫喝にどう対処するかという点にあった。その手法としてオフェンシブ・リアリズムの観点から、独自の核抑止力を保持し、相手に報復の脅威を与えることが最も確実でかつ安価な手法であり、日本もその選択を採るべきだというのが、本書の結論である。
 しかし、抑止力の効力には限界がある。余りにも低い烈度の脅威に対して、行使した場合に戦いの烈度が一気に上がることが予想される核による抑止手段は、抑止される側からみた抑止力行使のもっともらしさは低くなる。その結果、核抑止力の効力が機能しにくくなる。

・そのためには、少なくとも世界標準並みのGDP2%程度の防衛予算を配当し、有事には国民の1%程度が戦える正規軍と予備役からなる通常戦力も必要になる。また、すでにその動きはあるが、サイバー、電磁波、宇宙人などの新空間での戦いへの備えも早急に固めなければならない。情報戦、心理戦などのソフトパワーの戦いや総合国力の戦いについても、国家レベルの対応が必要である。
 ただし、各種の抑止力の中でも、核抑止力の信頼性の問題は、国家安全保障の根幹をなす課題であり、その信頼性を維持することなしには、他の施策をとっても深刻な国家間の国益対立の局面では、相手の要求に屈するしかないという現実は、今後とも変化はない。
 重要性が高まっている、上記の新領域での戦いや平時の戦いも、結局は核戦争まで想定した各段階の抑止力と、その前提となる打撃力、残存報復力を、いかに温存し最大限に発揮するかを狙いとして構築されていると言える。

・また、新しいMDシステムも確実に核ミサイルを撃墜できるわけではない。核は1発炸裂しても数十万人以上の被害が出る。依然として核の絶大な破壊力に対する確実な抑止手段は、相手に恐怖を抱かせるに足る、核戦力の保持しかないというべきであろう。
 日本には独自の核戦力を保有する必要性があり、その可能性もある。唯一の被爆国として、被爆者の無念の思いに報い、その思いを繰り返させないためにも、独裁国の核恫喝に屈することなく独立と主権を守るためにも、独自の核抑止力保持が必要となっている。それを実現するか否かは、一に日本国民自らの決断にかかっている。



『逆説の軍事論』   平和を支える論理
元陸上幕僚長  富澤暉   バジリコ  2015/6/19
    


<敵地攻撃の難しさ>
・敵地を攻撃するといっても、軍事的な観点から考えると、これは至難の業です。アメリカですら、目標情報が掴めないと嘆いている現状で、日本がどのように独自に目標情報を得るのか。北朝鮮を24時間監視するためには、どれだけの偵察衛星が必要なのか。

・さらに攻撃兵器の問題もあります。日本が核兵器を保有していれば、敵ミサイル陣地にでも、あるいは平壌のような都市でも効果的な攻撃ができるでしょうが、核はないのだから、攻撃のためには空爆であろうとトマホークのような巡航ミサイルであろうと天文学的な弾量を整備する必要があります。そのための予算をどこまで投入するのでしょうか。しかも、その効果は未知数です。

・ここで、従来型の「個別的安全保障」ではなく、「集団(的)安全保障」の枠組みの中で対応を考えることが重要になってくるのです。複雑な民族感情を越えて協力していくためにも、国連軍または多国籍軍という枠組みを活用することが重要になるわけです。

<日本の核武装>
・政治家の中には、北朝鮮の核実験に対抗して、日本も核武装の議論をすべきだという人がいます。

・重要なのは、ただ核兵器の議論をすることではなく、関連するすべての政治・軍事問題を広く、かつ、もれなく検討し、核を持った場合、あるいは持たない場合の外交の在り方や在来兵器による防衛力整備の在り方を議論することなのです。
 
・政治的にいえば、核武装論の裏側には、「中国の軍備増強への対応」や「アメリカに対する日本の自主性確立」という問題が潜んでいます。

・一連のシナリオを想定し、それぞれについてシュミュレーションし、備えておく必要があります。

<戦車の再評価>
・日本でも、このテロ・ゲリラ対策のため歩兵を増やす必要があるのですが、人件費が高く隊員募集に苦しむ陸上自衛隊の兵員数を増やすことは困難だといわれています。だとすれば、各地方に防災・消防を兼ね情報・警備を担当するかつての「消防団」のような「郷土防衛隊」が必要となりますが、これを組織するのは防衛省自衛隊の仕事ではなく、総務省と各自治体の役割でしょう。
 ともあれ、防衛省自衛隊としては歩兵の戦いを少しでも効率的にするための砲兵・戦車の数を確保する必要があろうかと思われます。

・現在、日本へのテロ・ゲリラ攻撃はありません。しかし、仮に朝鮮半島で動乱が起きた場合、日本全国でテロ・ゲリラ攻撃が多発する恐れは十分に考えられます。

<その破壊が直接国民生活を脅かす無数の脆弱施設が全国に存在>
・難民を担当するのは入国管理局でしょうが、何万、何十万になるかもしれない難民を日本はどう受け入れるつもりなのでしょうか。まさか、戦時の朝鮮半島に送り返すわけにはいかないでしょう。この人々への対応が悪ければ、混乱も起きるでしょう。収容施設、給食など生活環境の支援、さらには治安維持のために警察、自衛隊は何ができるのか。そうした有事への準備が既にできているとは寡聞にして聞きません。

・さらにいえば、こうした事態は全国で分散同時発生するので、とても現在の陸上自衛隊の歩兵では数が足りません。実は、そのわずかな歩兵を支援する兵器として戦車ほど有効な兵器はないのです。

<軍事というパラドックス>
・さて、軍事とは人間社会固有の概念です。したがって、軍事について考える際には、私たち人間の本質をまずは押さえておかなければなりません。すなわち、「闘争本能」と「闘争回避本能」という人間固有の矛盾した特性です。

・一部の例外を除き、人は誰しも死にたくない、殺したくないと思っているはずです。にも関わらず、有史以来人間は日々、せっせと殺し合いをしてきたという現実があります。
 19世紀ロシアの文豪トルストイの代表作に『戦争と平和』という大長編小説がありますが、人類の歴史はまさしく戦争と平和の繰り返しだったといえましょう。どうした天の配剤か、人間はほとんど本能のように闘争を繰り返す一方で、争いを回避し平和な生活を維持するための方法を模索してもきました。
 人は一般に他者からの支配、干渉を好まず、誰しも独立(自立)して自由に生きたいと考えているはずですが、自由とは欲望(利害)と切り離せない概念でもあります。
 そして、そうした人間同士が集まり集団(社会)を形成すると必ず争いが起こり、往々にして生命のやりとりにまで至ることになります。それは、民族や国家といった特定の集団内でもそうだし、集団と集団の間においてもしかりです。
 ただ、人間は他の動物と峻別される高度な知恵を有しています。そして、その地位を使い、自分たちが構成する社会の中に法律、ルール、道徳などによって一定の秩序を設計し、争いを回避する工夫をしてきました。

・要するに、21世紀の現在においても、「世界の秩序」と「個々の国家の自由・独立」の関係は、「国家」と「個人」の関係よりはるかに未成熟であり、極めて不安定な状態にあるという他ありません。
 軍事について考えるとき、私たちは好むと好まざるとに関わらず、こうした世界に生きているということを認識することから始めるべきでしょう。

・ところで、国内の秩序を維持するための「力」を付与されている組織は一般に警察ですが、国際秩序を維持するための「力」とは100年前までほぼ軍事力のことでした。
 現代世界では、経済力、文化力、あるいはそれらを含めた「渉外機能としての外交力」の比重が高まり、脚光も浴びています。しかし、だからといって軍事力の重要性が低下したわけではありません。
 軍事の在り方は戦前と戦後では異なるし、戦後も米ソ冷戦時代とソ連崩壊後、アメリカにおける9・11同時多発テロ後ではかなり変化しています。ある意味で、世界秩序における軍事の重要度は、以前よりもむしろ高まっているといえます。

<「世界中から軍事力を排除すれば平和になるのだ」という単純な論理>
・ひとつ、例をあげてみましょう。つい20年ほど前、ルワンダで10万人以上の人々が鉈や棍棒で殺戮されるという悲惨な民族紛争が起きました。私たちは、この事実をどう理解すればよいのでしょうか。

・現実には軍事力こそ戦争の抑止に大きな役割を果たしているというのが私たち人間の世界の実相です。

・周知の通り、20世紀は「戦争の世紀」といわれています。世界の人口が25億~30億人であった20世紀前半、2度の世界大戦における死者数は5000万人~6000万人にのぼりました。一方、20世紀後半の戦争、すなわち朝鮮戦争、ベトナム戦争をはじめとする「代理・限定・局地戦」と呼ばれる戦争での死者数は3000万人以下とされています。また、その間に世界の人口が60億~70億人に増加したことを考え合わせると、20世紀の前半より後半の方が、はるかに平和になった、ともいえます。

・米ソ2極時代、互いが消滅するような核戦争を起こすことは、現実には不可能でした。また、核兵器を保有しない国同士による戦争が世界戦争に発展しないよう、米ソ2大軍事大国が、通常兵器の威力をもって抑え込んだことも一定の抑止となりました。
 まことに皮肉なことながら、大量破壊兵器である核兵器の存在が20世紀後半の世界に相対的平和をもたらした要因であることは事実なのです。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント