菅義偉は、多くの二世政治家や官僚出身の国会議員に見られるような門閥や学閥の背景を持ち合わせていない。(3)



『日本政治のウラのウラ』   証言・政界50年
森喜朗  田原総一朗    講談社   2013/12/10



<ラグビー部退部>
・ラグビー部を退部する以上、大学も辞めなければいけないと思って、大西鉄之祐監督のところに行きました。「ラグビー部を辞めますから、大学も辞めます」と言ったら、「バカヤローッ」と言われて、ぶん殴られそうになってさあ(笑)。その時、大西先生はぼくにこう言ったんだよ。
「オマエなあ。何を考えているんだ。ラグビーを何だと思っているんだ。ラグビーはなあ、人生の目的じゃないぞ。手段にすぎない。だから、ラグビーがダメだと思うなら、大学で他のことをしっかり学べ。そして、何か大きなことを成し遂げてラグビー部の連中を見返してやれ。大学を辞める必要なんてないから、そうやってラグビーに恩返ししろ。それだけ、きみに言っておく」

<早大雄弁会>
・「あのなあ、早稲田の雄弁会は永井柳太郎先生が作った会なんだよ」
――石川県が生んだ大政治家の永井柳太郎ね。
森 早稲田大学の創立者である大隈重信も仲間で、永井先生が雄弁会を作ったんですね。横山さんに「だから、石川県人は雄弁会に入る義務がある」(笑)と言われて。ぼくも納得したわけです。雄弁会には、石川県人が結構多いんですよ。それで、「雄弁会の役員に知り合いがいる。紹介してやるから明日会ってみな」と言われて、その人に会って話を聞きました。「どうしようかなあ」とまだ迷っていたんだけど、幹事長が面接するというんで第一学生会館の部室に行ったんですよ。「偉い人が出てくるのかな」と思ったら、青白い顔をした小柄な男が出てきました。それが、後に文部大臣や参議院議長を歴任する西岡武夫さんですよ。
――西岡さんは森さんより年上ですか。
森 ふたつ上です。喘息持ちでね。「森さんって、あなた? ゴホンゴホン。まあ、しっかりやんなさい。ゴホンゴホン」(笑)と言うので、「こんな方がキャプテン(幹事長)をできるなら(笑)、オレもやれるだろう」と思って雄弁会に入ったんですよ。

・――森さんは雄弁会に入って政治志向になるのに、代議士秘書にならずに産経新聞の記者になった。これはどうしてですか。
森 いや。新聞記者になりたかったんだ。
――政治家じゃない?
森 政治家になることがいかに大変かを雄弁会の先輩たちから教わったからね。
――どう大変なんですか。
森 「森くん、地元の政治家の秘書になったら絶対にいかん。もしなったら、つかえている代議士と戦わなければならないからダメだ」とOBの藤波孝生さんが教えてくれたんだね。彼も自分の地元の三重県津市に近い伊勢の代議士の秘書をやっていました。

・森 よく世襲が批判されるけれど、詰まるところ、足の引っ張り合いの結果なんだね。自分が出る勇気はないが、あいつをならせたくもないということになると、代議士の息子が出るしかないんです。息子が出れば「まあ、しょうがないか」ということで収まる。だから、よっぽどのことがないかぎり、秘書まで順番が回って来ないわけです。
 藤波さんの場合は、秘書をやった後、県議会議員をしていましたが、親分の代議士が立派な人で藤波さんに禅譲したんです。これは、珍しいケースですね。

・森 うちのおやじは田舎町の町長で絶対的な地盤があるわけではなく、金もなかったから政治家になるには秘書になるしかなかったけれども、そういう先輩たちを見ていて、地元の代議士の秘書になるのはまずいと思ってね。そうすると、政治に携わっていて、政治家になれる可能性があるのは新聞記者ですよ。それで、記者になろうと思った。
――本当は政治家の秘書になりたかったけれど、先輩たちを見ているかぎり、秘書になっても代議士になれる可能性は少ないと。それなら、政治とも関係のある新聞記者になろうということね。

・――こう言っちゃ悪いけど、森さんは産経も早稲田も試験を受けずに入ったわけね。
森 早稲田の試験は受けてますよ。運動部の推薦があったんですよ。
――試験を一応、受けている?
森 そら、ちゃんと試験を受けていますよ。多少は下駄を履かせてくれたと思うけどね。日経新聞の「私の履歴書」でも、ぼくが勉強もしないで入学したということになっていて、大学が大騒ぎした(爆笑)。投書や問い合わせがたくさん来て「森さんはスポーツで入ったんだろう。それなら、うちの孫もぜひ、そうしてもらえんか」(笑)と。

<代議士秘書>
・――それで、日本工業新聞の記者から、あんなに嫌がっていた代議士秘書になりますね。
森 井関農機の創業者である井関邦三郎社長が、愛媛県三区選出の今松治郎代議士と小学校の同級生でね。今松さんは東京大学を卒業して内務省の官僚になり、政治家に転身した人ですが、たまたま秘書が辞めることになった。それで、井関専務から「森くん、今松先生の手伝いをやってくれないか」と誘われたんです。「秘書にだけは絶対にならないようにしよう」と思って行ったんだけど、結局、秘書になることになった。

・森 そりゃ、そうですよ。前から「そういうことをやっちゃいかん」と言われていたわけだからね。それで、秘書になってしばらくしたら、今松さんが亡くなったんです。そうしたら、地元の支持者たちが大挙して上京してきて、みんなが私に「選挙に出ろ」と言う分け。だけど、ぼくはこんなところでは選挙は絶対にできないと思った。
――それは、どうしてですか。
森 とにかく金がかかる。金が平然と飛び交うんだね。
――どういうことに金がかかるんですか。
森 直接、有権者に渡しちゃうのよ。

・森 辺境にある田舎町にはそういうところが多かったんですね。愛媛三区というのはね、金に問題のある人ばっかりだった。田原さん、ご存知かなあ。バナナ事業を起こした大和の毛利松平、日大の理事などをやっていた高橋英吉。この人は事務所に「日大受験の方はご相談に応じます」(爆笑)と書いてあったからね。「オレは、50人から入れる枠を持っている」と豪語していましたけど、50人の相手から御礼をもらったら結構な額になるでしょう。そういう時代ですよ。それから、早大雄弁会の先輩の阿部喜元。
 とにかく、金を使う人ばかりでね。今松さんが落選するのも無理ないんですよ。金はない。演説は下手。見栄えもしない(笑)それでも内務省警保局長という肩書で代議士になったわけですな。そんな選挙区で出馬しても、金がないのだから勝ち目がないじゃないですか。だから、こ
こで出るのなら、地元の石川県で出てやろうと思ったんです。

<出馬した理由>
・森 自分たちの自己満足のために出馬する政治家を選んでいましたからね。だから、元知事とか元市長とか、元県幹部とか、そんなのばっかり出してね。政治家に対する尊敬もなく、長老の県議会議員どもが勝手なことをしていたのが、ぼくには我慢ならなかった。

・森 ぼくが幸運だったのは、やっぱり小さな田舎町といえども、親父が町長として有名だったことです。何しろ、9期にわたって無投票当選なんです。当選回数なら10回以上の首長がいるけれど、9回の選挙が全部、無投票だった町長はちょっといないでしょう。

<いきなり出馬宣言>
<岸信介元総理来る!>
――それで、新幹線と北陸本線を乗り継いで石川県にやって来たわけだ。
森 新聞記者に「いいんですか。元総理が非公認候補の応援に来て」と質問された時、岸さんは「いや、私は、事情はわからない。しかし、森くんは東京では大変必要な人物だ。こういう人に国会に来てもらわないと、自民党の将来も、明日の日本もない」なんてことをおっしゃってね。4~5ヵ所で応援演説をしてくれました。
――そんなに演説をしたんですか。
森 夕方の列車で小松駅から米原に向かったのだけど、ぼくは親父とふたりで小松駅のホームで見送りました。「最後まで、ありがとうございました」と言ってね。岸先生が乗った列車に向かって、赤いテールランプが見えなくなるまで、何度も何度も頭を下げて見送ったんです。

<代議士誕生>
・森 公示2日前のことです。地域を回って夜遅く零時すぎに自宅に帰って来ると、親父から家族、親戚一党がみんな揃っているんですよ。シーンと静まり返ってね。「おっ、どうしたのかな」と思ったら「座れ」と言われて「もう降りろ。親戚中、迷惑している」と言うんだな。
――親戚がみんな「降りろ」と言ってきたわけだ。
森 親父がね、「今までのことはしょうがない、息子がやったことだから親が責任を持つ。しかし、もう金がないだろう。もう精一杯やったから、ここで止めろ」と言うわけ。珍しく頑として譲らない。周りにいるおばさんや親戚がオイオイ泣いて「喜朗ちゃん、止めて~」(笑)。
 もはや命運もこれまでかと思ったのが夜中の2時ぐらいかな。そうしたら突然、バリバリバリという音がするんですよ。窓の外を見ると、赤々とした炎が上がっている。火事ですよ。
――えっ!火事!
森 火の手がゴーッと上がっているので、ぼくはサッと飛び出した。そうしたら、50メートルほど先の風呂屋が燃えているんだ。選挙で疲れ果てていた連中を「火事だ、火事だ」と叫んで叩き起こし、風呂屋に駆けつけた。風呂屋の女将は腰が抜けて、その場にへたり込んでいた。ぼく
は咄嗟に、火中にあった何か黒い物に水をぶっかけて引っ張り出した。そうしたら、それが仏壇だったんですね。
 これが後で評価されるんです。ぼくが行った時にはもう、他に引っ張り出す物が何もなかったんだけれども、新聞記者はそんなことは知らないからね。「森は大した人間だ。仏壇をとにかく引っ張り出した」ということになって、評価が高まった(笑)それどころか、町長の家の近所が
燃えたというだけで、町民がみんなお見舞いに酒を持ってくる。見る見るうちに、一升瓶が山積みになって。「おお、これを酒屋に引き取らせれば、ゼニができる」(爆笑)
 家族会議もそのまま有耶無耶になり、2日後に無事、公示日を迎えました。


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■■■ 私が思うこと、聞いたこと、考えること ■■■

・菅首相は、異色な総理大臣といわれます。「安倍一強」から急変しました。現在は「解散があるのかどうか」が問題視されていますが「政界は一寸先は闇」といわれます。
「安倍一強政治」という話も私たち一般人は、よく分かりませんでした。
官房長の時に「影の総理」と言われた菅首相は、いわゆる実力者だったといわれます。菅首相は「いっさい失言をしない切れ者の政府スポークスマン。世に聞こえた過去の名官房長官と比肩しても劣らない」という官房長の時の評価は高かったようです。
「もとはいわば東北出身のどこにでもいそうな青年だった。それが「影の総理」「政権の屋台骨」と評されるほどの実力者になれたのはなぜか」といわれます。
目下、国難のコロナ対策、経済再生と緊急課題は続きます。国家経営の実務に精通したベスト&ブライテストのテクノクラートの英知を結集した「国家改造計画」が求められているといわれます。「日本最大のシンクタンクである官庁を政治家は上手に使いこなすべきである」といわれます。官僚や政治家のスキャンダルや失政報道は、国民が不安を覚え、国民が恥をかくといわれます。
ちなみにこの本『総理の影』には秋田の「雄勝郷開拓団」の惨状の記録の一部が載っていますが、敗戦後の満州は、筆舌に尽くしがたい地獄絵図だったといわれます。また、戦後の中国残留孤児への対応も不十分だったと指摘されています。

・豊洲市場問題で揺れていましたが、政治がらみの訴訟が、全国的に増えていくのかもしれません。やはり欧米先進国の政治の状況に似てくるといわれます。「欧米先進国の地方議員は地域社会のため 、住民のためにボランティアで働くのが常識なのである」といわれます。また、夜や休日に議会を開いたりして、ボランティア議員の便宜をはかっているそうです。議員の近未来の姿は欧米のようにボランティア議員の流れだといわれます。選挙の手法も選挙コンサルタントが、研究しているようです。米国では、選挙コンサルタントが活躍していると指摘されています。「政治とカネ」の問題もついてまわります。政治資金の相続の面で世襲は有利だそうです。また政務活動費の不正問題もおきています。「献金は千差万別ですが、1口3000~1万円ぐらいが相場です。ネット献金もありますが、これも合計で10万円くらいしか集まらない」と述べられます。欧米諸国のように企業献金も禁止にして、「進んだ政治」にしたいものです。「国会議員資格試験を作れ」という有識者も少なくないといわれます。

・行政サービスの劣化が目立つようになっているといわれます。行政サービスの費用対効果が検討されていく必要があるようです。政治の近代化、効率化は、昔と比べてみますと、かなり改善がすすんでいるといわれます。しかし、社会の遅れた面、非近代性、後進性、頭の古い面が予想以上に増えてきています。改革の速度も大変遅いようです。選挙制度も時代に応じて、近代化をすすめる必要があるようです。「失政」が増えている時代に、私たち一般人は、政治意識を高めていく必要があるそうです。「政治は税金なり」といわれますが、税制が劣化してきているともいわれます。「昔から政治が一番遅れている。票の請負業のようなもの」といわれます。あまり知られていないことだが、日本の社会保障というのは、先進国とは言えないくらいお粗末なモノなのであるといわれます。その点については政治家と官僚の認識も自覚もないといわれます。

・選挙で洗礼を受けて、選挙で苦労する人が多いようです。官僚と国会議員の役割と選抜方法は全く違いますが、日本のシステムでは、選挙に資金も含めてものすごいエネルギーが必要なようです。よくいわれるように「地盤、看板、カバン」が選挙には必要であるそうです。しかし、近年、選挙手法も変わってきているようです。公職が特定の人々に固定しないようにするには、「負けた場合の本人や家族が背負うリスクが大きすぎるので、選挙に出る顔ぶれがいつも同じになってしまうという問題点もある」というところを変えていく必要があるそうです。
 政治の世襲の問題も各政党でいろいろと規制ができておりますが、選挙は世襲でも大変だそうです。選挙に落ちて捲土重来を期している人も多いことでしょう。選挙コストを大幅に下げていく必要があるようです。国民の目も厳しくなっており、説明責任が求められるようです。「2世、3世議員が多くなり、政治家が「家業」になってしまったことも大きな問題です。これでは政治家の資質そのものが落ちて当たり前だ」といわれます。数千万円から数億円の政治資金の相続は非常に大きく、それが新人の参入障壁になっているという説もあります。

・政治の改革には、公募制とか選挙資金の問題とかさまざまな改正がなされているようです。インターネットを選挙の投票機械にする案は、まだアメリカでも実現されていません。やはり直接民主制の道を開くという事で、技術的な問題もあり、大きな抵抗勢力があるようです。ですが、インターネットというメディアは米国並みに利用されるようになることでしょう。まだインターネット利用の規制が多くありますので、規制緩和に進むものと思われます。
 私たち一般人は、「選挙のプロ」でもないので、選挙のどこの部分を変えていくことが「政治の近代化」に繋がるのか詳しくは分かりません。「政治が遅れている」ともいわれます。議員定数の問題でも改革が遅れておりますが、政治の近代化をすすめてもらいたいものです。より合理的な選挙システムが望まれているようです。政治の古い悪いイメージを直していきたいものです。それにしても「外国の選挙プロに学ぶことは、まだまだ無尽蔵にある」そうです。

・著者(平沢勝栄氏)は元警察官僚で自由民主党の衆議院議員です。北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長にも就任していました。著者によると拉致事件は警察と海上保安庁がしっかりと対応しておれば防げたものと述べています。元警察官僚の言葉ですから、がっかりです。北朝鮮の日本国内スパイのネットワークに対して、世論を気にして厳しい追跡をしなかったのでしょうか。北朝鮮のテロリストが国内に跋扈していたのに警察が無力だったのは痛恨のきわみです。
 元公安長官によると「日本は本格的な情報機関のない珍しい国だ」そうです。米国のCIAや英国のMI6などの情報組織がないために、北朝鮮の拉致事件により多くの被害者がでました。敗戦後、占領軍により日本は本格的な情報組織を持てなくなったようなのです。
 英国のMI6の女王陛下の007のような諜報員が日本におれば北朝鮮の拉致事件は防げたのでしょうか。現代では情報戦が日常的に重要視されています。日本の現在の情報組織は規模的にも貧弱だそうです。戦後一時期なぜなのかは知りませんが「日本の警察は世界一だ」という与太話もあったそうですが、どうだったのでしょうか。
 北朝鮮の拉致事件は、いまだ解決されておりませんが、北朝鮮は解決済みであると主張しているようです。このようなことが米国に対して行われれば、直ちに米軍の軍事行動がなされます。しかし、自衛権の行使として自衛隊の出撃は一部では検討されているようですが、憲法的にもありえないことで、平和的解決と経済制裁による圧力で、拉致被害者を取り返そうとして数十年もたちました。

・北朝鮮にとっては何のプラスもないことで、北朝鮮が自ら経済的に崩壊することが国際社会から期待されています。中国の経済援助もあるようですが、限界があるようで、やはり石油不足の問題で困っているようです。それで石油不足問題で経済崩壊・国家崩壊するのかもしれません。昔から潰れる、潰れるといわれながらも潰れないのが北朝鮮のようです。北朝鮮が潰れて、国内が騒乱状態になると中国が困るからのようです。
 飢餓とか災害で農業問題が深刻なようですが、核兵器の開発をなおすすめるようです。崩壊する前に北朝鮮が大暴走する可能性もあるようです。北朝鮮は拉致をする前から戦争を覚悟していたものと思われます。日本にとり、今後とも危険な国であり続けることでしょう。偉大な指導者の個人崇拝に厭きた北朝鮮軍は、やたらと無謀な対外戦争の緊張や挑発を作り出し、独裁体制を維持しようとしているのでしょうか。

・日本としては警察や自衛隊の情報組織の強化を図り、米国の情報機関との提携を強化していく必要がありましょう。国内での北朝鮮スパイの破壊工作に警察は全く無力だったのが残念です。「スパイ1人は陸軍1個師団に相当する」ともいわれ、戦争を仕掛ける破壊工作をするので、どこの国でも「スパイ狩り」には熱心ですが、スパイ天国の日本は、無力だったようです。またスパイの取り締まりに関する法律も不備だそうです。
敵性国家のスパイに対して、日本以外に主要国において、スパイに寛容な国はありません。長い戦後の平和ボケの結果でした。拉致被害者たちが可哀そうです。
 中東の紛争で敵側のスパイは、すごく憎まれ残酷に殺されるそうです。昔から「スパイはその場で殺せ」といわれ残酷な方法で拷問をうけ殺されたようです。海外の紛争地帯では日本のマスコミ関係者もスパイと間違われ、殺される危険もあるそうです。
戦場心理として誰でもスパイに見えるのでしょうか。

・拉致被害者も拉致されてからかなりの年月がたち、様々な資料も焼失しているものとおもわれますが、関係者の努力により平和的に早期の救出が望まれています。さすがに反日教育をしている周辺諸国に対して「友好平和絶対主義」「友好至上主義」の幻想を抱く人々は少なくなったようです。
 日本の航空自衛隊のF4ファントム戦闘機は1971年に完成機を輸入して1981年の5月20日に最終140機をノックダウン生産されました。「外国に脅威を与えてはいけない」「外国の基地を攻撃してはいけない」ということで、国会により爆撃装置と空中給油装置は外されました。当時の自衛隊員たちは、悔しがったそうです。
 当時の知識人ですら「北朝鮮は凍土の地獄」というよりも「北朝鮮は人民の楽園」という宣伝を信じていた人たちが多かったそうです。このF4ファントムのノックダウン生産期間と北朝鮮の拉致事件が集中した期間とは一致しています。外国の脅威に対する国会の良識の脳天気(ノー天気)ぶりが見透かれて拉致事件が引き起こされたものと思われます。爆撃装置と空中給油装置を外したことは当時の外国の軍事専門家から笑われていたそうです。
 春秋の筆法によれば良識ある国会が拉致事件の原因を作ったと言えるそうですが、外国の軍人から笑われることをしてはいけないようです。今でも外国人に笑われるようなことを何かしているのでしょうか。

・平沢勝栄氏は、テレビなどでも出演している自民党代議士なので顔は広く知られていました。警察官僚出身者ですが、北朝鮮の拉致事件は防ぐことができたそうなのです。私たち一般人は、警察官僚や海上保安庁の担当者にしっかりと対応をしてもらいたかったものです。やはり、戦後の日本の諜報機関がなかったために、拉致事件は起きたようです。国家運営に一番重要な諜報機関が貧弱なために拉致事件と言う悲惨な事件を容易に起させた責任が公安関係者にもあるようです。公安関係者は情報機関の整備を政府に要求すべきだったのでしょう。元公安部長によると「日本は情報機関のない珍しい国だ」そうです。

・ロシアやアメリカの諜報機関は、国家安全保障上のために暗殺も行ったようです。現在CIAの職員の亡命事件が話題になっていますが、テロリストを事前に探すために何でもやったそうです。昔はテロリストを探し出してスパイ映画のように暗殺もやったのかもしれません。特にアメリカは自由な国で世界中からの移民が多く、スパイたちも移民に交じって多数、アメリカ国籍を取っているそうです。スパイ映画などでは、激しく銃撃戦が展開されますが、実際の暗殺はロシアの昔のKGBのように、ヨーロッパで毒薬や薬で暗殺を行ったようです。北朝鮮も軍事国家でテロ国家ですので、毒薬や薬をよく使うそうです。旧ソ連製なのかどうか不明の「自殺企画の発狂薬」については数十年前の新聞に載っていたといわれます。明らかに毒殺をすると捜査当局にすぐにわかるので、病殺をするそうです。また事故に見せかけて暗殺したり、その手法はいろいろと諜報機関で研究されているそうです。この辺りは怖いスパイ大作戦のようです。多くの国民は北朝鮮のスパイの陰惨なテロ活動に怒っており、警察に不信を強めているようです。小泉元総理は水も飲まなかったそうで、その過酷さが窺われます。

・戦後一時期、「日本は犯罪が少ない安全な国だ」ともいわれたこともありましたが、近年、そうは言えなくなったようです。実際は犯罪数も増えて検挙率も下がってきているそうです。対策はいくつかなされたかのようですが、世界的に見ると人口数に対する警察官の数が不足しているようです。数万人程度の警察官を増員すればいいのですが、限られた予算、増えない税収、十分でない福祉予算を削る財政赤字ということで、実現が難しいそうです。

・政治家の2世、3世は、祖父や父親の地盤を譲り受けると比較的、選挙には苦労はしないようです。著者のような1世は、地盤づくり、後援会作りと1年365日が「日々是選挙」という状態だそうです。選挙活動ばかりでなく、国会議員としての活動も忙しく、あまり勉強ができないそうです。本来役割の違う官僚と政治家の摩擦がありますが、切磋琢磨することで政治が向上していくようです。また、官僚と政治家の役割を見直し、国家経営の実務に精通した担当者に権限を委ねるようにしないと、国内、国外と難問山積みの時代に対応できないそうです。甘い国際感覚では国益を大きく損なうこともありましょう。現代のような複雑な激動する時代に政治家に過剰な期待をすることは無理なのかもしれません。何等か制度の改革が必要のようです。定員を増やすのか減らすのかも大きな問題です。
 国会議員の選挙にも時代の流れがあるようで、近年では地方議会の議員や市長、県知事などの経験者が選挙に出て来るようになったようです。やはり、選挙が強いということが候補者の要件になるようです。看板、カバン、地盤と言われますが、選挙地盤や後援会組織が重要になるようです。総理大臣も時代の流れに応じて時の人がなるようです。

・拉致事件も数十年たち実態さえも不明になっていきそうです。北朝鮮と日本の担当者のコンタクトもあるようですが、うまくいっていないようです。
 森元首相は、今の新国立競技場の問題でも脚光を浴びています。森元首相の政治的な背景は早稲田大学の雄弁会に強く根ざしているそうです。雄弁会の人脈のネットワークをフルに生かしたようです。

・ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)によると、「早稲田大学雄弁会は、早稲田大学の弁論クラブである。内閣総理大臣を務めた海部俊樹、小渕恵三ら数多くの政治家が輩出。なお、政治家志望の学生の親睦団体ではないため、早稲田大学卒業の政治家の中で同会非出身者も多くいる」とのこと。
 実績としては過去に5人の総理大臣を輩出している伝統の弁論クラブのようです。戦前・戦後に活動した政治家、元国会議員としては、60名、現役衆議院議員としては、17名、現役参議院議員としては、3名、地方議会議員・首長としては4名が挙げられるようです。雄弁会は、今でも政治を志す学生が狙う弁論クラブなのでしょうか。一大学のサークルがこれほど政界と深くかかわった例はないようです。雄弁会の活動を通じて森元首相は政界サバイバルのための色々なノウハウを先輩から教わったようです。しかし、今日、雄弁会も往時の勢いは失いつつあるのでしょうか。森元首相は昔の政党政治を知る数少ない人のようです。世襲の方が「看板、カバン、地盤」の点で、有利になるようです。政治家は、若いときから出馬する、長く続けるということがポイントになるようです。

・現在、政界では「合区」の参院選挙制度改革が大きな争点となっています。「一票の格差」をどのように是正するかという選挙制度改革で、各党の見解がさまざまなようです。ようやく「10増10減」案でまとまりそうです。「一票の格差」が大きいと選挙の正当性が疑われ、そもそも政権の正統性も疑われることになります。「一票の格差」に関わる「違憲訴訟」もでており、いつまでも司法当局の意向を無視するわけにはいかないようです。選挙制度は、政権の盛衰に直結するために、昔から「選挙制度」の改革には、大きなエネルギーと時間が費やされたようです。インターネット選挙も過度期ですが、米国でも「投票機械」にしようとする動きはありません。
 「政治の近代化」もここ数十年でかなり進んだようです。昔は汚職がよくあったようです。「政治が遅れている」ことでは、国民の直面する問題に適切に対応できないでしょう。政治家は選挙民の対応に追われて、勉強ができないそうです。「民主主義国家においては国民はその程度に応じた政府しか持ちえない」、「国民が政治を嘲笑している間は嘲笑に価する政治しか行われない」ということで私たち一般人は、政治意識を高めていく必要がありそうです。



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・ブログ名称: UFOアガルタのシャンバラ
日本は津波による大きな被害をうけるだろう
・第2のブログ名称:UFOパラレル・ワールド

「神の国か?」「人類の原郷か?」 「天上のエルサレムか?」・・・・・・・・・
「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の殖民星が、地球か?」、「ネガティブのシリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こるのだろうか?」
「金髪碧眼のノルディックが住んでいたアガルタのシャンバラ情報の集大成を目指す・・・・・・・・・・」「金星蛇人と火星霊人の戦争はその後どのように展開したのだろうか」
「日本民族の神話の原郷『高天原(たかまがはら)』は、『都市型の超巨大宇宙船』なのか!?」「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔なのか」
「小人族のグレイの母船に同乗する金髪碧眼のノルディックは、”悪魔の王””ルシファー”なのか?!」
「円盤は神人や異人、悪魔の乗り物なのか!?」「天使は神の秘密諜報員なのか」「神は最初のフリーメーソンなのか」
「UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象なのか。UFO問題とは、人間にとっての死の問題を解くことなのだろうか。UFOはフリーメーソンの創作なのか」
「全宇宙を創ったという“虹の神々”も地球に来ているのだろうか」
「イルミナティなどのフリーメーソン組織に入ると神に会えるのだろうか」「金星の神々は地球に到着するやいなや、イニシエーションのためのフリーメーソン本部を設けたのだろうか」「フリーメーソン結社はこの大地が創出されるよりずっと前から、さまざまな太陽系をめぐって、存在していたのだろうか」
「国際連合の設立に動いたキリストの星、アプ星人とは」
「人は皆、記憶喪失の異星人だろうか」
「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだろうか」「セドナ上空に見えないエーテルのシティが滞空するのだろうか」

グーグルのブロガーにも書いています→UFOパラレル・ワールド




菅義偉は、多くの二世政治家や官僚出身の国会議員に見られるような門閥や学閥の背景を持ち合わせていない。(2)



『あなたも今日から選挙の達人』
三浦博史  ビジネス社  2012/4/10



<立候補を決断する>
・日本で政治家と呼ばれるのは首長や議員という職業に就いている人です。議員では衆参国会議員、都道府県会議員、市会議員、町会議員、村会議員、東京特別区の区会議員、首長では都道府県知事、市長、町長、村長、東京特別区の区長があります。
 全国の市町村数は1995年の時点では3234あって7万人くらいの首長・議員がいたのですが、いわゆる平成の大合併を経て1719(2011年)にまで減りました。その結果、議員定数削減の風潮も相まって首長・議員の数も半減しています。

・特にそれまで政治にほとんど無関係の生活を送っていた人にとって立候補は人生の大きな賭けになるでしょう。果たして当選するだろうか、もし落選したら、後の生活はどうなるのか、といった不安を持つのは至極当然です。しかし、そういう不安があるにもかかわらず選挙に出ようと思う人こそ、自分の力で現在の政治を変えてみたいという情熱が渦巻いているに違いありません。
 こうした不安と情熱の間に立ってまず行わなければいけないのが立候補の決断です。気持ちが揺らいだまま立候補すると、その動揺が選挙戦にも表れて自陣営の志気さえ削いでしまうものです。選挙は戦いです。戦いには自らの気持ちをしっかりと固めて臨まなければなりません。

<立候補には3つのケースがある>
・立候補には大きく分けて3つのケースがあります。第1は「自らの意思によるもの」、第2は「他人からの推薦・説得によるもの」、第3は「後継者指名によるもの」です。後継者指名の場合、これまで、その大半が政治家の2世、もしくは議員秘書や地方議員が対象でした。特に2世は、政治家だった父親が突然死んだり引退したりしたことに伴い、地盤を引き継いで立候補するといったケースでした。しかし、近年は世襲批判によって、その数は減少しています。

<立候補の動機について>
・建前や本音はどうであれ、新人や野党候補の場合、絶対押さえておかなければいけないのが、「今の政治(現職)のどこが悪いのか」ということです。
 もし知事を目指すのなら、「現職知事による県政のどこが悪いのか」「どうすれば良くなるのか」を押さえた上で、「自分が知事に当選したら、具体的にこうすることによって、その問題が解決できる。だから立候補する」といった、他人を説得できる、あなた独自の主張を持たなければなりません。
 要するに、現状の政治の批判をし、何が問題かを明確にして、その問題について自分が当選すれば解決できると主張できることです。これをきちんと打ち出すことによって、それが大義名分となって立候補表明ができるのです。
この大義名分が俗にいう「立候補の動機」です。自分の心のなかで考えている、たとえば、「このまま人生を送っても物足りない、何か人のために役立ちたいから立候補する」といった曖昧で、自分本位な動機では、有権者の投票を促すような候補の大義名分にはなりません。本来、政治家とは他人のために尽力するというのが建前の職業なので、自分本位の立候補の動機では支持を得ることは難しいのです。

<立候補の「決意」と「決断」の違い>
・「決意」と「決断」は違います。文字通り、「意を決する」ことと「断つことを決める」ことの違いです。「決意」が抽象的な気持ちであるのに対し、「決断」はこれまでの自分の職業を断つ、あるいは、これまでの自分にまつわる様々な“しがらみ”を断つというように、具体的な変化を伴うものなのです。これは同時に、「退路を断つ」ことにほかなりません。
 したがって、政治の世界に入るためには、これまでのすべてを断ち切って、政治という新しい道を目指して自分が立候補する、という決断がスタートです。この決断ができない人は、たとえ政治家になれたとしても満足な仕事ができないでしょう。立候補表明した後も、その意思が揺らぐ人は、周囲に多大な迷惑を及ぼします。傷が浅いうちに立候補を断念すべきでしょう。

<選挙は家族の説得から始める>
・立候補にあたっては、まず家族の説得から始めなければなりません。家族を説得できない人が他人・有権者を説得できるはずがないからです。

<選挙費用についての考え方>
・家族が立候補に反対する主な理由として、「落ちたらみっともない」「生活はどうするのか」の他、大きな問題の1つが「お金」です。一般的にはお金がかかると思われています。「立候補したいという気持ちはわかったが、選挙にいくらかかるのか。そんなお金があるのか」という懸念が出るのは当然でしょう。

・次に、「当選さえすれば何とかなる」という考え方もあるでしょう。たとえば、あなたが31歳で横浜市議会議員選挙に出て当選したとすると市議会議員の年収が確保されます。横浜市議の年収は、月報酬95万3000円で年間1143万6000円、これに年間約400万円の期末手当(賞与)が支払われますから約1550万円です(年間660万円の政務調査費は除く)。31歳で、次の選挙のために年200万円を貯めても約1350万円が残ります。毎年200万円貯めれば4年間では800万円となるのです。そう考えると、選挙に出る場合、ある程度の選挙費用はかけても何とかなるという考え方も成り立ちます。

・さらに、政党の候補者公募を活用する考え方もあります。近年、市民参加を謳って国政選挙を中心に候補者公募を行う政党が増えてきました。ちなみに議会制度の先進国であるイギリスでも公募制度を取り入れています。まず保守党の本部で候補者になりたい人を公募し、年に3~4回のグループディスカッションや筆記試験を行って適格者のリストをつくり、それをもとに地方の小選挙区の支部(選挙区協会)が具体的な候補者を選定するというやり方です。
 日本では民主党や自民党をはじめ多くの党が論文や面接などによる公募制度を設けています。一般のサラリーマンやOLにとっては、政党本部や支部へ足を運んで自分を売り込むということは至難の業です。そういう人たちにとって、この候補者公募は便利なシステムといえます。

・公募の場合、応募者にとっては、「なぜ政治家になりたいのか」以上に「なぜ、わが党を選んだのか」、そして「何票ぐらい稼げる候補者なのか」という点について、具体的にアピールできるかどうかが合否の重要なポイントになります。

・応募に合格して党の公認候補になると、政党により温度差はあるものの、最小限、政治・選挙の経費面等の面倒をみてもらうことが期待できます。となると、ある程度の資金を自分で確保すれば家族への迷惑も最小限で済み、迷惑をかけるとしても配偶者だけということになります。従来のように、親や親戚の土地を担保にお金を借りるといったことまでしなくても個人のリスクの範囲内で立候補できるのです。

・なお、職業別にどのくらい選挙資金が集められるのかということと選挙資金の集め方(ファンドレイジング)についてはそれぞれ別項で述べます。選挙資金がどれくらい集まるかという見通しを持つことも立候補の決断の重要なポイントになるはずです。

<選挙資金は最低限どれくらい必要か>
・選挙はやり方次第で選挙資金を節約できますが、立候補する以上、最低限の資金は手元に用意しておかねばなりません。

・立候補を決めて選挙の準備を始めると、事務所を借りる(自宅や現在の事務所を転用する場合を除く)、電話を引く、名刺や看板、ビラ、ポスターを作成する、レンタカーで宣車を用意する、ポスティングをする、といった費用がすぐにかかってきます。一般の企業取引では月末締めで翌月末払いといったことが常識ですが、選挙では待ったなしの支払いが求められますので、最低限の資金は手元に用意しておかなければならないのです。
 最低限の選挙資金は選挙のレベルによっても異なりますが、供託金とは別に100万~数百万円は必要でしょう。

<他力本願で選挙は戦えない>
・選挙の面倒の大半を党がみてくれる公明党や共産党の候補は別として、自分の選挙資金はまず自分で集めるというのが大原則です。お金持ちの友人・知人に丸抱えしてもらったり、候補者公募による公認候補だからといって政党にすべてを依存するようではいけません。
 いわゆる後援会組織も、自助努力でつくり上げるべきです。それをしない、する気がないような他力本願の人は立候補しないほうがいいでしょう。
 たとえ、初めのうちは苦しくても、選挙資金や選挙組織を自前でつくることができれば、その後の選挙運動がかなり楽になり、支援者からの信頼も得られやすくなります。
 もとより当選後の政治活動こそが政治家本来の仕事です。何事にも自助努力が肝心です。

<身分保障と背水の陣>
・資生堂では、在職したまま立候補することを認めており、落選した場合もそのまま働き続けることができるシステムになっています。実際、資生堂の女性社員が東京の区議会議員選挙に立候補して当選しました。当選したため会社は辞めましたが、落選したら会社に残っていたはずです。パソナグループや楽天も、有給休暇扱いで選挙立候補できるだけでなく、落選した場合は会社に戻れる、という制度を設けているようです。

・これまでJC(日本青年会議所)、企業オーナー、政治家2世、エリート官僚といった人たちが立候補者に多かったのは、落選しても後の生活の心配をあまりしなくてもいいからです。その点、サラリーマンが会社を辞めて立候補し落選した場合は、もう元の会社には戻れません。だから、落選したときの生活の糧を考えて、立候補したくでもできなかった人は、少なくないはずです。
 会社が身分保障をする制度があれば、立候補してみようかという会社員は増えるでしょうから、この点では評価できると思います。ちなみに、イギリスの公務員は立候補して落選しても、元の公務員に復職できるシステムがあります。

<スキャンダルの対処法>
・特に議員選挙以上に、知事選、市区町村長選の場合は徹底して身の回りを洗われると考えたほうがいいでしょう。スキャンダルは必ずバレると思ってください。心当たりがあるのであれば、スキャンダルが出ないように、あるいは出た場合の対応策を考えておかなくてはなりません。

・したがって、今どきの候補者は、誤解を生じるような行動をしないように自宅を出てから帰宅するまで気を抜いてはいけないのです。



『心をつかむ力』
勝率90%超の選挙プランナーがはじめて明かす!
三浦博史    すばる舎  2011/1/20



<プロパガンダ>
・プロパガンダとは、簡単な例を挙げれば「本来嫌いだったものを好きにさせる」ために相手をうまく誘導する技術です。自分の属性を際立たせる手段にもなりますので、しっかり理解してください。

<選挙プランナーの出番>
・ひと昔まで、選挙で当選するには「地盤・看板・鞄」という「3バン」がそろっていることが必要条件だとされていました。「地盤」は血縁や地縁で、親族に有力者がいたり、小学校や中学校、高校の同級生がいるなど候補者と選挙区の間に深い関係があることを意味します。それによって強力な後援会も組織できるのです。「看板」は東大出身や中央官僚出身といった肩書や家柄のブランドなどで、最後の「鞄」は選挙資金のことを指しています。
 2世、3世の世襲政治家が選挙に強かったのは、この3バンがスタート時点でそろっていたからですが、最近では「3バンがあれば当選する」「3バンがなければ当選しない」は通用しなくなってきました。時代が変わったのです。
 
・そんなときに出番となるのが選挙プランナーです。ないない尽くしの候補者がクライアントになった場合、どうすればあるある尽くしの候補者に対抗して勝てるのかをコンサルティングしていきます。これは、選挙に臨む最初のプランニングから当選するまで、さらに当選後もその候補者の後援会のメンテナンスおよび拡大を行って再選に結びつけるところまでを一括したコンサルティングです。
 ないない尽くしの候補者へのコンサルティングには大きく分けて3つの分野があります。それは、「ファンドレージング(資金調達)」「組織作り」「コミュニケーション力アップ」です。

<熱伝導はまさに「プロパガンダ」の中核>
・3つ目の「コミュニケーション力アップ」は候補者と有権者とのよりよい関係作りです。コミュニケーションですから、人の心をつかむことに密接に関係しているのはいうまでもありません。

<プロパガンダでコミュニケーション力はアップする>
・「空中戦」は候補者が有権者一人ひとりに直接会うことができなくても有効な戦術です。
 もっとも、コミュニケーション力から見ると、候補者に対する好感度や嫌悪度という点では「空中戦」も「地上戦」と共通していて、「空中戦」のノウハウも候補者個人の資質に大きく左右されることはいうまでもありません。
 そして、その「空中戦」の核をなしているのが、「プロパガンダ」です。このプロパガンダを理解することが、自らのコミュニケーション力のアップにつながるものと思います。

・選挙プランナーのコンサルティングのうち、組織作りの一部とコミュニケーション力アップをお伝えします。実生活でも「人の心をつかむ」ことに活用できます。

<ドラマ『CHANGE』にみる高視聴率の秘訣>
・日本にも私のような『選挙専門職』の仕事は昔からありました。その肩書は「選挙プロ」「選挙参謀」「選挙コンサルタント」にはじまり、なかには「選挙ブローカー」「選挙ゴロ」といった『負のイメージ』を持つうさん臭い不名誉なものまで様々。しかも「選挙違反を怖がっていたら当選などできない!」といった悪しき風潮が闊歩していたのです。しかし、そうした風潮もここ数年で大きく変わり、「選挙プロが入ったからには絶対選挙違反は出さない!」といったコンプライアンス(法令順守)がやっと当たり前になってきました。

・欧米、特に米国では選挙コンサルティングのマーケットは巨大なもので、「選挙コンサルタント」という職業も、ある種、憧れや敬意を表されるほど、社会的ステイタスも確立されているのです(もちろん、「スピンドクター(世論操作師)」といった悪名や中傷もないわけではありません)。

・しかし、日本ではこの職業はあまりにも閉鎖的な存在でした。そこで私は「よい政治家をつくるには、よい選挙から」というコンセプトのもと、あらたに「選挙プランナー」という肩書を造語し、活動し始めたわけです。
 
<世論誘導によるプロパガンダの時代に生きる>
・プロパガンダは人の心をつかむための最も強力な手法であり、人の心をつかむための「根幹」の考え方です。まずこれを理解することで、関連のノウハウも活用しやすくなります。
 プロパガンダとは、端的にいえば「自ら働きかけて自らの思う方向に他人や集団を動かすこと」です。プロパガンダによって、あなたの思い通りにまわりの人を動かすことができれば、人生もずいぶんプラスの方向へと変わり、成功をたぐり寄せることも楽になるはずです。

・とりわけ扇動としてのプロパガンダを大衆に大々的に用いたのがアドルフ・ヒトラー率いるナチス(ゲッペルス宣伝相)にほかなりません。そのため、今なおプロパガンダという言葉からマイナスの響きを感じ取る人が多いようです。
 しかし、プロパガンダでは扇動という要素は不要、あるいは効果的ではなくなってきています。発達した民主主義国家では、むしろ上手な世論誘導としての「PR」には欠かせなくなってきたのです。
 上手な誘導を含むプロパガンダとは?それは、自分の意図を個人や集団が自発的に受け入れるように仕向けることともいえるのです。

・プロパガンダは人の心をつかむための最強の手段です。「自分の意図を個人や集団が自発的に受け入れるように仕向ける」ことで、マイナスがプラスの方向に変わります。

<現代版プロパガンダと「商業PR」&「選挙・宗教PR」>
・上手な誘導を含む現代版プロパガンダとして最もポピュラーなものに、PR(Public Relations)があります。
 このPRは基本的に3つのパターンがあります。それは「商業PR」「選挙PR」「宗教PR」です。こちからから相手に働きかけて(上手に誘導して)、商品を買いたい、投票したい、信者になりたいと思わせ、実際にそういう行動をとらせることができれば、プロパガンダとして成功したということになります。

・要するに、3つのPRの共通点は、どれも「最初はそうしようと思っていなかった人」に、新しい宗教の信者にならせたり、特定の候補に投票させたり、ある商品を買わせたりするなど実際の具体的な行動へと導いていくものなのです。

<商業PRと広告代理店的商業PRとの違い>
・広告代理店は、新聞・ラジオ・雑誌などのメディアの広告スペースを広告主に提供する代わりにコミッションを取るのが商売です。したがって、広告主に対する広告スペースの販売をつねに最優先しがちなのです。
 対して、欧米のPR会社は、実際にPRの企画やプランニングをクライアントサイドに立って行います。これが本来の商業PRで、日本の広告代理店が広告スペースの切り売りで稼ぐとすれば、欧米のPR会社はPRの企画などで対価を受け取っているのです。

・そのほか、本来の商業PRと広告代理店的商業PRの違いは、本来の商業PRは、消費者が最初から買いたいとは思っていなかった物を買わせるようにするのに対し、広告代理店的商業PRは、消費者が最初から買いたいと思っている物を作り、売り、買わせるという点です。
 この点が両者の最大の違いであって、その意味で日本の広告代理店的商業PRは、宗教PRや選挙PRと異なります。この違いを知るのはプロパガンダを理解するためにも非常に重要なことです。

<「迎合型」になりがちな「日本の広告代理店的商業PR」>
・広告代理店的商業PRでは物事の差別化はできません。相手を上手に誘導して具体的な行動へと導くことが、プロパガンダをうまく使いこなす秘訣です。

<臭いニンニクをいつの間にか好きにさせる方法>
・まず「食べ物のなかで何が好きですか」と聞いて、たとえば、「ラーメンが好きだ」と答えた人にはラーメンのなかに、「カレーが好きだ」という人にはカレーのなかに、それぞれ摺り下ろしたニンニクを少量加えて食べさせます。
 そうやって好きな食べ物にニンニクを加えて、ニンニクへの抵抗感をだんだんなくしたうえで、そのうち、餃子を丸ごと1個食べさせたり、ニンニクの丸焼きを食べさせるといったところまでいけば、ニンニクが好きでたまらなくなる人も増えていくことでしょう。
 これがプロパガンダです。いつの間にか、その人の食生活はニンニクが不可欠なものへと変わってしまうかもしれないのです。
 ニンニクなどの食材に限らず、すべての人が好きだという物事はありません。しかし、ある物事について、それを好きな人がマイノリティ(少数派)だったとしても、しだいに好きな人を増やして、最終的にマジョリティ(多数派)にしてしまうことは可能であり、それがプロパガンダの醍醐味なのです。

<自分の強い個性を相手に受け入れさせるには>
・相手へ迎合するだけでは人の心はつかめません。相手に合わせるのではなく自分の個性を大事にすることが、人の心をつかむ早道です。

<つねに自分の土俵に引き込むことで他人との違いを際立たせる>
・候補者が有権者の心をつかんで票を入れてもらうというのが選挙ですが、最近では広告代理店が選挙に関わる例も増えてきています。
 すでに述べたように広告代理店的商業PRと選挙PRには大きな違いがあります。したがって、広告代理店的商業PRの手法によって選挙活動を行っていくと、「人の心をつかむ」という意味で、大きなミスを犯すことにもなります。
 広告代理店が選挙活動を行う場合は「候補者=商品」「有権者=消費者」ととらえるため、商品である候補者を消費者である有権者にいかに売り込むかというアプローチに陥りがちです。これも迎合のひとつといえます。



『選挙の裏側ってこんなに面白いんだ!スぺシャル』
三浦博史 前田和男     ビジネス社   2007/6



<大手広告代理店が選挙を仕切る?><去勢された日本の大手広告代理店>
・ちょっと選挙をかじったことがある人は「実は、選挙は大手広告代理店の電通が仕切っている」と訳知り顔にいう。しかし、「選挙の常識」からすると、実情はいささか違う。

<アメリカの選挙PRノウハウ>
・そのとき、アメリカの選挙と日本の選挙のもっとも大きな違いは、戦後日本が失ったPRのノウハウにあることを知ったのである。

・アメリカには多くのPRコンサルタントがターゲットを決めて、その関心事を引き出し、それに対して選挙CMをつくる。そのうえで、そのCMを打つのにもっとも効果的な媒体(メディア)はなにかという戦術のもとで、テレビやCMや雑誌、新聞のスペースなどの枠をとる。そして、その効果の検証を行い、次の製作にフィードバックする。

・少なくとも広告代理店は政党に常駐させ、PRのノウハウをもったスタッフをきちんと揃えてのぞむべきなのである。

<政党CMよもやま話><崩れつつある大手代理店の寡占状態>
・ところが今は、そうした大手代理店の寡占状態が崩れつつある。自民党も今ではコンペで、これなら選挙に勝てると思ったところを採用する。ダメだと思ったら、たとえ電通でも使わないようになった。自民党も、電通一社に頼るのではなく、PR会社を採用した。それがブラップジャパンという独立系の代理店である。

<選挙の日米格差><大統領選の雌雄を決した伝説のCM>
・秀逸な候補者には、黙っていても人は集まるし、金も集まる。人も、金も、票も集まらない人は、自然とコースから外れていく。アメリカでは、そうした選挙が当たり前で、スポーツ選手にしろ、ジャーナリストにしろ、大物スターにしろ、そうした例がいくらでもある。ネット上の呼びかけだけで、何十万人のサポーター、何十億ドルという資金が集まる。そうした能力を備えている人が政治家になり得る風土があると考えていい。個人の献金額は十ドル、二十ドルほどだ。

・日本では選挙で借金を背負うケースもある。自分の退職金なり、貯金なり、資産を使い、政党の公認料ももらって、さらに寄付を集め、借金をする。アメリカにくらべるとクリーンな選挙である。
 負けた場合の本人や家族が背負うリスクが大きすぎるので、選挙に出る顔ぶれがいつも同じになってしまうという問題点もある。

・日米で何が一番違うかといえば、米国はメディア、とくに映像の影響力が大きい。アメリカでは選挙の結果を左右するのはテレビコマーシャルとテレビ討論。

<国政選挙と外資系PR会社>
・それではアメリカの選挙のプロが日本に来て、そのまま通用するのかどうか?アメリカのプロは、なんといっても「キャッチコピー」づくりがすばらしい。有権者の心をグサッとつかむ。これがプロとアマの分かれ目、成功と失敗の別れ道となる。

<民主党は説明不足?>
・民主党を引き合いに出すが、岡田党首のときにアメリカのPRカンパニー「フライシュマン・ヒラード」を使ったが、あれは失敗だったろう。フライシュマン・ヒラードは、PRカンパニーとしては米国でも著名な会社だが、ワシントンDCでは民主党も共和党も「フライシュマン・ヒラード」など使わない。米国の選挙コンサルタントは、「なんで?」と不思議な顔をしていた。

・事実、自民党は「ブラップジャパン」というエージェントを使ったが、世耕弘成広報委員長は、なぜこの会社を使うのか、社長の見識やキャリア、手法、実績などを議員が納得するように説明していた。選挙資金をカンパしてくれた支持者、政党助成金として税金を拠出した国民に対しても、これからは政党も説明責任が問われることだろう。

・それと、国政選挙や、国政そのものの広報に外資系を呼び入れることは、私は賛成できない。「広報」とは有り体に言うと、裸の姿をすべて見せることである。外資系の会社に国家の裸を見せていいわけがない、と私は思う。

・話がそれたが、外国の選挙プロに学ぶことは、まだまだ無尽蔵にある。しかし、だからといって、彼らが日本の選挙を担当して、すぐに勝てるほど日本の選挙は甘くない。

<野田聖子に学ぶ選挙に強い政治家><6万軒歩いて、かかとを疲労骨折>
・彼女の言によると、「そのころは志もないし、政策もなければ抱負もない。ただ選挙好きのおじさんたちの言うなりに運動をはじめました」ということになる。
 でもそのとき、彼女がなにをやったかというと、1日百軒、選挙までに1万人と会うというすさまじい「ドブ板」。集まった名簿を地図に落して、女の子の案内で1軒1軒回って歩く。

・目からウロコが落ちる思いだった。次の選挙では原点にもどって、また歩き作戦。6万軒ぐらい歩いたころ足のかかとを疲労骨折。が、1ヶ月で治し、また歩き始めた。結局彼女自身が7万軒、両親が1万軒ずつ歩いてくれた。結果は、両親と娘が歩いた総軒数とほぼ同じ得票数、9万5734の得票。衆議院初当選だった。




『拉致問題』   対北朝鮮外交のあり方を問う
平沢 勝栄  PHP   2004/10/6



<拉致問題は防ぐことができた>
・日本と言う国がまともな普通の国家であれば、拉致問題は間違いなく防ぐことができた。被害者を救出することもできた。

・衆院の予算委員会で「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と、当時の梶山静六国家公安委員長が答弁したのが、1988年だ。しかし、その後も救出のために何ら動くこともなく、今日まで被害者を苦しめてきた。そして今もなお苦しめている。

・繰り返すが、拉致は防ぐことができた。救出することもできた。にもかかわらず、日本は国家として何もしていなかったのである。

・そして、北朝鮮の工作船を日本は見つけている。北朝鮮の不審な船が日本海を徘徊しているのを日本の当局は、何回となく見つけているのだ。一番初めに北朝鮮の不審船を見つけたのは海上保安庁の記録では1963年となっている。

・それまで海上保安庁が発表しているだけでも、1963年からあの銃撃戦までの間、日本海で21回も北朝鮮の不審船を見つけている。そして、2001年の銃撃戦まではいずれも「追跡するも逃走」とある。拉致の中で日本国内で拉致された事件は1972年から1983年の間に集中している。横田めぐみさんが拉致されたのも1977年である。つまり、横田めぐみさんが拉致されるはるか前の1963年に日本海で北朝鮮の不審船を見つけ、以来何度となく、追跡しているのだ。

・逃げる相手を拱手傍観して取り逃がすバカな国が世界のどこにあるのか。これを日本は戦後ずっと続けてきたのである。21件と言うのは、あくまで海上保安庁が確認した数字であって実際にはこの数倍、出没していたことは間違いない。

・もし日本が2001年の12月の銃撃戦までの40年近くの間、ただ手をこまねいているだけでなく、厳しい実力行使の対応をとっていれば、拉致事件と言うのは起こらなかったのかもしれない。

・北朝鮮の工作員からすれば、日本は出入り自由でどんなにドジな工作員でも捕まることはないが、逆に韓国に出入りするのは命懸けだということだろう。

・日本はそこまで見くびられていたのだ。日本は戦後、本当の意味で国家と言えたのだろうか。

・中東にレバノンという人口3百万人の国がある。あの国も北朝鮮に自国民4人を拉致された。

・レバノンで若い女性4人が北朝鮮工作員によって拉致されたのは1978年8月、横田めぐみさんが拉致された翌年のことだ。

・レバノンは、ただちに関係者に救出を働きかけた結果、PFLP(パレスチナ解放人民戦線)の副議長が金日成に直談判した。

・1979年11月に残りの2人の救出に成功した。

・こうしてみると中東の人口3百万人のレバノンの方が、国家としては日本よりもよっぽどまともと言えるのではないかと思う。

・日本の政治家やマスコミ人、そして、日教組などのなかに北朝鮮を礼賛している人たちがたくさんいたし、日本社会の中で北朝鮮批判はタブーになっていたんです。そして、北朝鮮を盲目的に礼賛していた政治家の責任は大きいですね。



『政治家は楽な商売じゃない』
平沢勝栄  集英社    2009/10/10



・「政治家は楽でいいな。政治資金の使い方もいい加減でいいんだから」「結構、儲かるんだろうな」などと思っている人もいるのではないだろうか。

・しかし、政治家という仕事は決して楽なものではない。11年前、地盤、看板、カバンもないまま衆院選に挑戦し、幸いにも当選させていただいて以来、私は、公務や選挙区での活動に全力で取り組んできた。1年365日、1日も休みなしの状況で今日まできた。

・また政治家は決して楽な仕事ではない、もちろん人によって違うだろうが、徒手空拳で政治家の路を選んだ私だからこそ、よくわかることだ。

<勝栄流、ドブ板選挙>
・私の場合、365日、それも毎日24時間を選挙活動に充てていると、いっても過言ではない。これは決してオーバーではない、家族サービスなど全くできないと言っていい。

・毎日の活動は漕ぐのを止めたら倒れてしまう自転車に似ている。体力勝負である。政治家と言う仕事はもちろん個人差はあるだろうが、決して楽な商売ではないのだ。 

<日々是選挙なり>
・政治家にとっては「日々是選挙」だ。したがって、慢心はもちろん、一瞬の油断でさえ政治家には命取になる。

・「選挙に勝つための条件は三つある。一つは36歳以下であること、それから、5年から7年、地域を必死で回ること。最後に地元の2流、3流の高校の出身であること」。最後の条件は、一流高校と違いそうした高校の出身者は卒業後の結びつきが極めて強いから、選挙に有利と言う意味らしい。私は、どの条件にもあてはまらない。

<ドブ板選挙は体力が勝負>
・選挙区では1年中、なんらかの会合や催し物が開かれている。1月から3月までの新年会だ。私は毎年計5百か所ぐらい出席する。それが終わると卒業式に入学式のシーズンを迎える。

・政治家でも二世や三世なら祖父や父親からの地盤があるから私などと違って楽かもしれない。

・政治家は勉強も欠かせない。しかし、1日中、走り回っていると勉強する時間がない。

・私が基本にしていることは、徹底して「人に会う」ということだ。それが選挙の第一歩だと考えている。地元にいる限り、私の一日は「人と会う」ことから始まる。

<国会議員の本分>
・まずは国会議員の本分としての仕事がある。それを最優先でこなし、余った時間で選挙活動にも励んでいるのだ。

<個人の後援会>
・政治家にとって後援会と言うのは、膨大な時間と労力をかけて作り上げるもので、いわば政治家の命綱だ。二世、三世議員は祖父や父親の後援会をそのまま譲り受けることからきわめて楽な選挙となるが、私にはその基盤となる後援会が全くなかった。

・現在私の後援会員は約6万人を数える。この後援会が今日の私のドブ板選挙を支える基礎となっている。

<政治家とカネ>
・国会議員は普通に活動するとどうしてもカネがかかる。仕事をやればやるほどカネがかかるともいえる。

・普通に議員活動をしておれば、月にどうしても5、6百万円はかかる。先に述べた議員年収などでは、とてもまともな活動はできないのが現状だ。歳費と期末手当だけではとても政治活動費は賄えないし、政党からの助成金でもまったく足りない。支援者からの支援がなければ、政治家として十分な活動ができない現実がある。だから、パーティーは多くの議員にとって不可欠とも言える。

・夏はもちろん、盆踊りや花火大会などのシーズンである。このうち盆踊りや夏祭りは町会、自治会単位で開催され、約3百ヶ所に顔を出す。

・もちろん、こうした行事のほかにも冠婚葬祭や祝賀会、記念式典などが一年中、目白押しだ。

<拉致は防げた>
・拉致は防ぐことができた。私は、今でもそう思っているし、警察にいた者の一人として、この点については返す返すも残念でならない。実は私が警察に在職していたときから、北朝鮮による拉致事件が起こっているのではないか、と関係者は疑いを抱いていた。

・実際に実力行使で不審船をストップさせたのは2001年12月の奄美大島沖事件が初めてであった。

<拉致問題は時間との戦い>
・私の師でもある後藤田正晴さんは生前、政府の対北朝鮮外交の進め方に介入する関係者の言動に強い不快感を示しておられた。私は、リスクを覚悟しながら行動する政治家は、リスクを取らずして非難だけする人など何も恐れる必要はないと考えている。この言葉を後藤田さんが存命中に常に言っておられたことである。

・10人帰って来ると、あと10人はいるのではないか。その10人が帰国すれば、あと30人はいるのではないかとなるのは当然であり、自明の理だ。

・日本の警察に届けられている行方不明者や家出人の数は8万人から9万人に達する。この中に「もしかすれば、うちの子供も拉致されたのでは」と思う人が大勢出て来るだろうし、相手がいままで平気で嘘をついてきた北朝鮮だけに、先方の説明をそのまま信じることはできない。要するにこの話は今の金正日体制の下ではエンドレスに続く可能性がある。

・すると北朝鮮側は、「拉致事件は、日本と北朝鮮が戦争状態の時に起きたことだ。戦争時に末端の兵士が行った行為を罰するわけにはいかない」と答えた。だとすると拉致事件の最高責任者は誰かと言えば、間違いなく金正日だ。北朝鮮は、ならず者であれ何であれ、曲がりなりにも国家である。そのトップを引き渡すということは、武力行使か金体制の崩壊しかあり得ないのではないか。

<日朝交渉の行詰まり>
・小泉さんが訪朝時、食事どころか水にも手を付けなかったからだそうだ。アメリカのオルブライト国務長官は2000年の訪朝時に、北朝鮮の水などを口にしたそうだが、小泉さんは二度の訪朝のいずれもでも水さえ口にしなかった。

・私は、小泉さんは立派だと思う。北朝鮮の水に何が入っているかわからないし、そもそも水といえども飲む気にはなれなかったのだろう。しかし、北朝鮮にいわせると「自分の国に来て水一滴も飲まないで帰るとは失礼だ」ということになるようだ。だから私は、小泉さんの三度目の訪朝はないと思う。


菅義偉は、多くの二世政治家や官僚出身の国会議員に見られるような門閥や学閥の背景を持ち合わせていない。(1)





『総理の影』  菅義偉の正体
史上最強の官房長官を完全解剖!
森巧   小学館    2016/8/29



<秋田から上京した農家の青年は、いかにして最高権力者となったのか。>
・菅義偉(よしひで)が生まれ、少年時代を過ごした秋田県雄勝郡秋ノ宮村は、そんな自然の恵みと厳しさを併せ持っている。現在は湯沢市となっているが、新潟県の越後湯沢とよく似ている。菅の生まれた故郷である秋ノ宮やその周辺が米どころと呼ばれるようになったのは比較的新しく、第2次世界大戦前までは農業に適した地域とも言いがたかった。
 それゆえ戦中は、大勢の村人が日本政府や関東軍にそそのかされ、新たな開墾地を求めて満州に渡った。全国の農村から渡満して入植したそんな人たちは満蒙開拓団と呼ばれ、秋ノ宮の村人たちもまた地名にちなんだ「雄勝郷開拓団」を結成した。そうした開拓団の人たちは満州で終戦を迎えた。
 終戦間もない満州の悲劇はこれまでにもいくつか紹介されているが、秋田の雄勝郷開拓団で起きた筆舌に尽くしがたい惨状はあまり知られていない。

・雄勝郷は牡丹江省安寧安県にあり、(昭和)15年6月に入植した。当初は先遣隊19名であったが、逐次増加し、20年8月のソ連参戦時において雄勝郷の規模は、戸数79、人口374名、水田四百町歩を有していた。
 
・匪賊の出没が頻繁なので、軍から小銃45丁、弾薬3千発を渡された。
 満州では戦況の悪化に伴い、すでに開拓団の成人男性が根こそぎ関東軍に徴兵され、残った女子供や高齢者は、終戦すら知らないまま、旧ソビエト軍や中国人反乱軍の脅威にさらされた。
 そして8月19日、戦地で戦っている一家の主の足手まといになるまい、と妻たちが話し合い、子供を道連れに、みずからの命を絶った。郷土史家の伊藤正が描きまとめた小冊子「満州開拓団雄勝郷の最後」には、たまたま入植地に居残り、妻たちの自決を知った柴田四郎という団員の手記が掲載されている。

・菅の故郷の雄勝郷開拓団の集団自決は、最近になってようやく明らかになった史実といえる。冊子には、その雄勝郷開拓団に逃げ込んで生きながらえた長野県「東海浪開拓団」の佐藤元夫が書き残した目撃談も掲載されている。

・菅の父や母もまた、新天地を求めた満州に渡った口だ。父親は南満州鉄道(満鉄)に職を求め、叔母たちは農民として入植した。雄勝郷開拓団員たちと同じような体験をしている。そうして菅一家はまさに満州の悲劇に居合わせ、運よく命が助かった。

・戦後、菅一家はいちご栽培で生計を立てたが、復興の著しかった都市部に比べ、雪深い生まれた故郷は、さほど豊かにはならなかった。菅が少年時代を送った終戦から高度経済成長の走りまで、多くの家庭では、冬になると一家の主が東京に出稼ぎに行き、妻や子供が留守を預かってきた。中学を卒業した生徒の大半が、集団就職のために夜行列車で上野を目指した。

・いちご農家の息子である菅本人は、中学を出ると、地元の秋田県立高校に進んだ。冬は雪で道路が閉ざされ、学校には通えない。そのため、高校の近くに下宿し、高校を卒業後に東京・板橋の段ボール会社に住み込みで働き始めた。
 中学や高校の幼馴染たちは、成人してしばらくすると、郷里の秋田に戻ってくるケースが多い。いわゆるUターン組であり、秋田で農業を継いできた。
 だが、菅はそこから大学に入り直し、政界に足を踏み入れた。やがて保守タカ派の政策で安倍晋三と意気投合し、信頼を得る。言うまでもなく安倍は戦中、満州国国務院実業部総務司長として、満鉄をはじめとする満州の産業振興に携わった岸信介の孫であり、祖父を敬愛してやまない。ともに戦争体験はないが、二人は互いに惹かれる何かがあったのかもしれない。
 そして菅自身は、第二次安倍晋三内閣における官房長官という政権ナンバー2の地位にまで昇りつめた。

・「いっさい失言をしない切れ者の政府スポークスマン。世に聞こえた過去の名官房長官と比肩しても劣らない」
  政治部の記者や評論家の多くは、いまや菅をそう評し、その政治手腕を高く買う。国会議員は与野党を問わず菅の手腕を認め、霞が関の官僚やマスコミまでもが、菅を持ちあげ、いつしか菅は「政権をコントロールする影の総理」とまで呼ばれるようになった。安倍政権に欠かせない存在だとされ、自民党内では、他の政治家を寄せつけないほどの存在感を見せつけてきたといえる。

・そんな菅は政策通を自負する。永田町では、霞が関の官僚をグリップできる数少ない政策通の国会議員だとされてきた。安保や外交政策以外にあまり関心がなく、ときどき珍紛漢な発想をして政策音痴とも酷評される首相を支えてきた。

・菅義偉は、多くの二世政治家や官僚出身の国会議員に見られるような門閥や学閥の背景を持ち合わせていない。秋田県の豪雪地帯から単身で上京した集団就職組であり、そこから現在のポストにたどりついた。さまざまな苦難を乗り越えてきたがゆえ、人心掌握術に長けた叩き上げの老練な政治家として成長した。そんなイメージもある。
 永田町ではそこに共鳴し、懐の深い苦労人の政治家像を重ねる向きも少なくない。とりわけ新聞やテレビの政治記者が、そうした菅像を描いている傾向が強いように感じる。
 しかし実際に取材をしてみると、その素顔はこれまで伝えられてきた印象とかなり異なっていた。同じ豪雪地帯出身の田中角栄と菅を重ね合わせる向きもあるが、二人にはかなりの開きがあるようにも思えた。
 当の本人はどことなくつかみどころがなく、大物評の割に、その実像が明らかになっていないが、少年時代から青年期、国会議員へと時を経るにつれ、姿勢を変えてきたのではないだろうか。
 
・もとはいわば東北出身のどこにでもいそうな青年だった。それが「影の総理」「政権の屋台骨」と評されるほどの実力者になれたのはなぜか。

<橋下徹の生みの親>
・実は菅と麻生の確執は、いまに始まったことではない。もともと政治信条が異なる。第二次安倍内閣が発足した12年末、自公政権は周知のとおり「金融緩和」「財政出動」「成長戦略」というアベノミクスなる経済政策を打ち出した。安倍政権では、その具体的な経済政策を提唱する諮問機関として経済財政諮問会議を設置し、そこに小泉純一郎政権で規制緩和政策の舵をとった慶應義塾大学教授の竹中平蔵を加えようとした。が、それに麻生や自民党総務会長の二階俊博が異を唱えたとされる。
 かたや菅にとって竹中は、小泉政権時に総務副大臣を務めたときの総務大臣であり、現在も折に触れ政策について相談をしている。そうして安倍政権で経済財政諮問会議入りに代わり、新たに産業競争力会議を立ち上げ、その中核メンバーとして竹中を迎え入れた。つまり、二人は根本的に政治姿勢が異なる。財政規律を重んじ伝統的案政策の整合性を求める麻生に対し、菅は規制緩和と経済合理性を最優先に唱えてきた。

<衆院選出馬騒動>
・「のちのち、いい結果を生むと思いますよ」
すでに衆院の解散が決まった12月初め、自らの衆院選の出馬断念の理由を問われた維新の党の橋下徹は、そう思わせぶりに言い、報道陣を煙に巻いた。
いったいなぜ橋下、松井は出馬を取りやめたのか、衆院選出馬に待ったをかけたのは誰か、後ろで糸を引いた人物が詮索された。それがほかならない官房長官の菅義偉である。

<創価学会の変化>
・橋下徹たちが14年12月の衆院選出馬を断念すると同時に、公明党は大阪府議会や大阪市議会で大阪都構想の住民投票を容認した。それもまた、裏に菅・佐藤ラインの思惑が働いたとみるのが妥当だ。
 公明党の方針転換は、維新の会の橋下はもとより、菅にとっても悪い話ではない。仮に、住民投票を可決できれば、一挙に計画が進む。おまけに安倍政権と維新との連携に拍車がかかる。菅はそう睨んだからこそ、維新にエールを送ってきたのだろう。

<将来の総理候補>
・維新の会の橋下徹は2015年が明けると、いよいよ5月17日の住民投票に挑んだ。序盤は悪くない戦いだったに違いない。菅もエールを送り、逆に当時取材した大阪府連の国会議員は嘆いた。
「菅さんなどは『橋下さんは総理候補だ』と公言する始末です。住民投票だけでなく、国家戦略特区構想などでも大阪を支援している」

<橋下・菅のリベンジマッチ>
・大阪都構想の住民投票では、1万票という僅差で維新が敗れただけに、府知事、市長のダブル選も、当初は接戦を予想する関係者が少なくなかった。

・ところが、選挙戦の終盤になると、雲行きが怪しくなっていく。世論調査の支持率は軒並み維新優勢と伝えられ、「維新の二連勝濃厚」という声が大きくなった。
 そして11月22日、投開票されると、そのとおりの圧勝に終わる。

<捨て身の政治>
・私は大阪のダブル選の少し前、菅本人にインタビューした。こう率直に尋ねた。
――都構想をはじめ維新の党の橋下徹の政策をずい分買っているようだが、そのきっかけは?
「そもそも橋下さんを紹介されたのは、大阪の国会・市会議員の人たちからです。(2007年)当時、自民党の選対副委員長であった私から、橋下さんの大阪市長選挙への出馬を説得してほしいということでした。それ以来ですから、大阪都構想の住民投票には感慨深いものがありました」
 このとき橋下は大阪市長選ではなく府知事選に回ったが、もとはといえば、政界の舞台に担ぎ上げようとした張本人が、菅義偉である。菅はいわば政治家橋下徹の生みの親であり、菅本人もそう自負している。

・「橋下徹と松井一郎という政治家は、捨て身で政治を行っていますから、二人を信頼しています。私自身、総務副大臣時代から、横浜市のほうが大阪市より人口が百万人も多いのに、逆に職員は大阪市が1万5千人も多かったのです。その意味で、改革は必要だ、と問題提起してきました」

<菅一家の戦争体験>
<おっかない親父>
・菅の父、和三郎はいちご組合を率いるかたわら、雄勝町議会の選挙に出馬し、町会議員にもなる。地元の名士として、頼りにされる存在でもあった。
「和三郎さんが雄勝町の町会議員になったのは、義偉君が中学校を卒業したころで、そこから4期(16年)議員をやりましたね。次は議長という5期目の選挙のときも、楽々当選といわれていたものでした。ですが、あまりに余裕がありすぎた。『俺は応援せんでええから』と他の候補者の支持に回ってしまい、本人が落ちてしまったのです。それ以来和三郎さんは、政治の世界からすっぽり引退しました。そのときには、もう義偉君が東京に出ていました」
 菅が上野に夜行列車で向かった集団就職組だという話は嘘ではないが、巷間伝えられているように大学に行けなかったような貧しい家ではない。とすれば、なぜ菅は高校を出て単身上京し、就職したのだろうか。
 それは、いちご組合や町議会の活動を通じて名を成した父親へのある種の反発だった。

<口を閉ざしてきた満州秘話>
・ちなみに外務省によれば、建国時わずか24万人だった満州国全体の日本人は、終戦時に155万人に増えている。うち、およそ27万人が開拓団関係者だ。諸説あるので正確な数は不明だが、56年に外務省と開拓民自興会の作成した資料だと、全国の開拓団入植者は19万6200人、義勇隊を2万2000人としている。このうち帰国できなかった死者・行方不明者は、8万人を優に超える。

<雄勝郷開拓団の悲劇>
・そんな満蒙開拓団のなかで、最近まで明らかにならなかった悲劇がある。それが菅の生まれた故郷である秋田県雄勝郷開拓団の集団自決だ。

<開拓団員を救った和三郎>
・終戦当時の満州の開拓団には、いまだ知られていない史実が数多く残されている。雄勝郷開拓団の集団自決も長らく封印されてきたが、むろん悲劇はこれだけではない。

<子供を川に投げ捨てた父親>
・「私はちょうど終戦1年前に青森の八戸連隊に召集され、そこから満州へ向かいました。20歳そこそこの二等兵でしたから何もできませんでしたが、開拓団の人たちの惨状は、筆舌に尽くしがたい」
 秋ノ宮でいまも菅の実家から車で10分ほどの場所に住む栗田儀一は、終戦間際に日本軍に徴兵され、満州でソ連軍と戦った経験を持つ。

<八路軍に身を投じた中国残留孤児>
・秋田県秋ノ宮から雄勝郷開拓団に参加したなかにも、この土田由子と同じような道をたどった少年がいる。先に紹介した秋田魁新聞の短期連載「語られなかった悲劇 満州開拓団雄勝郷集団自決の残像」の4回目にそれが記されている。
<集団自決で亡くなったはずの親類の子どもが、残留孤児として生存していたことが判明。(開拓団員の)長谷山(アイ)さんは永住帰国実現に尽力した。「手紙で気持ちを尋ねたら『帰りたい』と返事が来た。途中で投げ出すわけにはいかなかった」と長谷山さん>(2007年8月18日朝刊)

<上野駅へ>
<豊かだった少年時代>
・東北の雪深い片田舎でも、都会にない豊かさがあった。とりわけ菅家では、もともと祖父の喜久治が電力会社に勤めていたおかげもあるだろうが、それほど家計が苦しかったような印象も受けない。何より満州から引き揚げてくるや、初めていちご栽培に取り組んだパワフルな和三郎が、一家の大黒柱として家計を支えてきた。ニューワサと呼ばれるブランドいちごがヒットしたのは少しあとだが、決して貧しい家庭ではなかった。
「われわれが高校生になるころまで、和三郎さんは品種改良に取り組んでいる最中でしたな。ブランド化されたいちご栽培が伸びてきたのは、そこからでしょうけど、官房長官の家は小学生のときから羨ましがられていましたな」
 由利が少年時代のエピソードを明かしてくれた。

<断念した野球少年>
・「今は雄勝町にも雄勝高校があるけど、当時はまだなかった。それで、われわれは遠くの湯沢高校に通いました」
 湯沢市会議長の由利昌司は、懐かしそうに目を細めながらそう語った。湯沢高校になると、学区が中学校よりさらに広くなり、一学年八クラスもあった。が、中学と異なり、高校に進学する生徒はあまりいなかったという。
「中学校の卒業生で、地元の高校に進学する生徒は二割しかいませんでした。残りの八割は中学を卒業してすぐに農業を継ぐか、あるいは上京して集団就職していました。東京に行って都内の夜間高校に通いながら働く同級生が非常に多い時代でした」
 由利も同じ高校に進んでいるが、高校に進学できる二割のなかにいた二人は、ともに恵まれた家庭に育ったといえる。湯沢高校は秋田県内屈指の進学校として今も人気がある。

<いちご農家を継ぐか>
・湯沢高校では当時から進学コースが主流で、生徒の4分の3が大学入学を目指した。菅も進学コースに進み、とうぜんのごとく入試に備えた。
「義偉さんの家は、勉強に熱を入れていたと思います。姉さんたちも大学を出ていますからな。北海道教育大学を卒業し、一人は北海道で先生をやっていました。で、義偉さんも、北海道の姉さんのところに泊まって大学受験したと聞いています」

<父への反発>
・「官房長官はあまり本音を言っていないかもしれないけど、北海道教育大学の受験に失敗したから、あとは家さ残っていずれ農家を継げということだったのでしょう。親父さんから、『うちさ残れ』って言われ、それで『俺はもうここさ、いられねえ』と言い放って、家を出ちゃったのさ」
 小、中、高校のあいだ、ともに学校に通った湯沢市議会議長の由利昌司はそう言い、先の小川もまた、菅が上京したのは大学受験に失敗したからだと似たような話をする。

<東京ならいいことある>
・指定された時刻より少し早くホテルに到着したため、喫茶ロビーで待っていると、慶應大学教授の竹中平蔵が、そばを通り過ぎた。首相官邸に設置されている産業競争力会議の中核メンバーである竹中は、菅義偉の有力ブレーンの一人に数えられている。

・――高校の同窓生は、教師を志して北海道教育大学を受験して失敗したことが原因で、上京したと話していたが、なぜ郷里を離れたのか。
「北海道教育大を受けた事実はまったくありません。受験で失敗してこっちに出てきたかのように伝わっているけど、高校三年生のときはどこの大学も受けていません。母や姉だけでなく、農業を継ぐのも嫌でした。それで、ある意味、逃げるように(東京へ)出てきたのです」

<大学で事務所選び>
――では、どのようにして政治の世界に飛び込んだのか。
「政治家の知り合いや伝手もありません。それで仕方なく法政大学の就職課に相談したんです。そしたらすぐに市ヶ谷にある法政大学のOB会を紹介していただきました。その事務局長の方から法政大学OBの中村梅吉さん(元衆議院議長)の秘書を紹介していただき、一緒に参議院選挙の事務所で働きました。ところが、中村先生がとつぜん体調を崩してしまい、選挙をあきらめた。その秘書の方がたまたま小此木衆議院議員のことをよく知っていたんです。小此木さんの名前も知らず、私はそんな程度でしたが、政治の道にようやく入ることができたのです」
 その言葉は正直なところだろう。大学の就職課を通じて秘書になるパターンも珍しいが、そこには野心も野望も感じない。これもまた取り立てて奥の深い話でもない。

<七番手秘書からのスタート>
・「小此木事務所に勤め始めてからも、最終的には秋田に戻らなければならないものと考えていました。私には、それだけ田舎への思いが強く、30歳前後のとき、事務所を辞めて秋田へ帰る、と切り出したのです。そしたら、小此木さんが唐突に『野呂田芳成(元農水大臣)さんの参議院選挙の応援で秋田に行くから、お前もついてこい』と言って、連れていかれた。で、秋田に着いたら、お前のうちに行くって言い出した。そうして両親に会い、『もう少し鍛えさせてもらえませんか』と頭を下げるではありませんか。とうぜん両親は『お願いします』と答えるほかない。小此木さんは、私のことを可愛がってくれて、鍛えてくれました」

<影の横浜市長>
・菅が西区からの出馬にこだわった理由は、そこに強力なスポンサーがいたからだという。小此木立郎の言ったように、菅にとって小此木の秘書時代が政界の原点とすれば、横浜市議会議員時代は、文字どおり為政者として歩み始めた第一歩だ。取材をしていくと、その泥臭い政治手法もまた、官房長官としての現在のそれと変わらないように思えた。のちに影の総理と評されるが、横浜市議時代には、「影の横浜市長」と異名をとるようになる。

・菅はそうした役職をこなしながら、やがて横浜市議会で右に出る者のいない実力者となっていった。そこには、菅自身をバックアップしてくれた支援企業が、大きな役割を果たしている。なかでも小此木彦三郎の後援者であり、菅の後ろ盾にもなってきた地元の藤木企業という横浜の大立者の存在を抜きに語れない。

<港のキングメーカー>
<新自由主義>
・2005年11月、菅は第3次小泉改造内閣で竹中が総務大臣ポストに就いたとき副大臣に就任した。そこで菅は、郵政民営化に向けた実務の現場で汗を流した。以来、現在にいたるまで、みずからの政策について竹中と定期的に会い、指南をあおいでいる。
 菅の近親者たちは必ずと言っていいほど、政治家として菅が飛躍した転機の一つとして、この総務副大臣経験を挙げる。簡単にいえば、郵政民営化は小泉が方向を決め、竹中が指示し、菅が仕上げた。郵政民営化の実現により、実務に長けた政治家として菅の評価が上がったのは間違いない。

<安倍との出会い>
・言うまでもなく自民党内で一目置かれ始めたそんな菅をさらに政界中枢に引き立てた最大の恩人は、安倍に違いない。その安倍は2006年夏、6年におよんだ小泉長期政権の終わりが近づくにつれ、後継首相候補の最右翼と目されていた。そこで菅は安倍を担ぎ出した。安倍を首相にした功労者の一人でもある。
「安倍さんの初めての総裁選のとき、どうして安倍さんを担ぐのか、と菅さんに尋ねたことがありました。理由は理解しづらいかもしれませんが、菅さん独特の感覚とでもいえばいいでしょうか。いつもそうです」

<『政治家の覚悟――官僚を動かせ』>
・<安倍内閣が発足して私は総務大臣に就任しますが、なによりも手掛けたい法案がありました。それは地方分権改革推進法です>
 菅義偉の自著『政治家の覚悟――官僚を動かせ』には、第一章の「自らの思いを政策に」の冒頭でそう書かれている。2006年9月に誕生した第一次安倍晋三内閣のときの話である。
 菅はこのときの臨時国会で地方分権推進法を成立させ、みずから地方分権担当大臣を兼務した。秋田県から単身上京し、苦労を重ねて初入閣、大臣にまで昇りつめた菅は、地方の活性化や分権化を高らかに訴えてきた。
少子高齢と過疎が進み、貧困にあえぐ地方の窮状を救い、都市部との均衡ある発展をみずからの政治の柱に据えてきた。
 その大きな目玉として、第一次安倍内閣で進めたのが、ふるさと納税制度の創設だ。

・細かい仕組みは割愛するが、都道府県や市町村に寄附すれば、手数料の2千円を除き、その分の税金が全額控除される。そのうえ寄附した者には、地方の特産品などの返戻品が贈られてくるというシステムだ。一見、いかにもお得感のある制度に思える。が、この返戻品というのが曲者なのである。
 つまるところ、ふるさと納税する者は寄附と謳いながら、品物を買っている感覚になる。仮に返戻品が佐賀牛として、3万円の価値があると思えば、佐賀県に3万円支払うと立派な牛肉セットが送られてくる。そのあと納税者には2千円の手数料を引いた2万8千円の税金が還付される。

・では、誰がその2万8千円の還付金を払っているかといえば、広く所得税と住民税からという次第。つまり納税と言いながら、3万円の牛肉を2千円で買って得をしたような感覚になるわけだ。
 寄付を受けた、つまり牛肉を買ってもらった自治体は、3万円のなかから肉の仕入れや流通経費などを食肉会社に支払い、自治体職員の人件費もそこから賄う。したがってさほどの実入りにはならない。一方、食肉業者は通常の販売ルートと似たようなものだが、宣伝を自治体がやってくれる分、その費用などが浮く。その程度の儲けでしかない。

・菅自身は、このふるさと納税制度を導入したと胸を張ってきた。繰り返すまでもなく、目的は地方活性化のためだ。税収の豊かな都会から貧しい地方へ税を移す動きや、地域の貧富の格差をなくす――いかにも東北出身代議士の優しい政策のように見える。ところが、これでは格差解消どころか肝心の地方の活性化にもつながらない。
 かたや、ふるさと納税制度で設けているのは誰か、といえば、生活に余裕のある都心の富裕層ばかりだ。それがふるさと納税制度の利用実態ではないだろうか。
菅自身、こういう事態は想定外だったかもしれない。しかし、ふるさと納税の発想そのものが、どうすれば得をするか、という利益追求型の商魂を利用しているだけに過ぎない。税の徴収や分配によって疲弊した地方の弱者を救おうという政策ではないので、地方の活性化にはつながらないのである。
 つまるところ、菅の政治姿勢は小此木彦三郎の秘書時代に学んだ中曽根民活に根差している。世界中に格差社会を生んだと批判される新自由主義、市場原理主義だとまでいえるかどうかは迷うところだが、一連の取材を通じて菅は、究極の合理主義者であると感じた。理が通れば事が進むはずだ――そんな合理主義者の限界が、一連の政策に表れているのではないだろうか。沖縄問題しかり、USJ問題しかり、だ。

・安倍政権をこれほど動かしている菅義偉について描かれた本は意外に少ない。あらかた読んだが、たいてい泥臭く、真っ直ぐな政治家像が描かれている。実際、当人と会ってもそう感じるので、そこに異論があるわけではない。菅が国政に飛び込んで以来、折に触れ政治家としての転機に立ち会ってきたのが、元運輸大臣で運輸族のボスとして君臨してきた古賀誠だ。

・その古賀にして、安倍の懐刀である菅をこう評価している。
「私が最初に菅さんを意識したのは、梶山先生が出馬された総裁選挙のときでした。平成研、経世会が分裂しましたね。私は梶山先生が国対委員長をしていたときに副委員長をやらせていただき、引き立ててもらいました。梶山先生が幹事長のときも私は総務局長で、選挙を一緒にやらせていただき、ご指導をいただいた。私にとって恩師の一人が梶山先生で、その梶山先生に菅さんという若い人が経世会から飛び出してついていった(中略)。私も高校を卒業して田舎から大阪で丁稚奉公をして東京に出てきましたけど、彼もよく似ているんですね。二世、三世のひ弱いのが多い政治の世界で、根っこの張った人がいるものだと興味を持ちましてね。(衆院)運輸委員会にお世話しました」

・安倍政権における立ち位置については、こう話した。
「保守について、よく右傾化したナショナリズム的な凝り固まった人たちを指すことがありますが、僕はそうじゃなく、右や左に揺れすぎず、真ん中のグレーゾーンにある良質な保守として大事にする人たち、それがほんとうの保守政治なんだと思っています」

・菅は独自の広い人的ネットワークを駆使し、さまざまな政策を打ち出してきた。が、理に走りすぎて躓いている場面も存外、少なくない。

・満州の戦火を潜り抜け、戦後に秋田のいちご農家として名をなした偉大な父親の背中を見て育った者は、家族や友人に優しく、多忙を極めるいまも郷里を忘れない。雪深い地方出身の苦労人だけに、正義感が強く、逆境にへこたれない粘り腰と人一倍の思いやりもある。そんな人柄がのちに国会議員になったときに周囲を惹きつけ、他に類を見ないほど強力な人脈を築いたのだろう。それが為政者としての大きな財産となり、強力な武器として政治活動を助けてきた。

・昨今の田中角栄ブームもあり、菅は永田町で角栄二世のようにいわれることもある。その角栄ブームの本質は、高度経済成長を牽引し、日本全体を豊かにしようとした時代に対するノスタルジア現象にすぎない。郷里の新潟に新幹線や高速道路を走らせ、全国に空港や原発を張り巡らせようとしたのは、単純に成長過程にあった時代の要請であり、何も角栄が突出して優れた政治家だったわけではないだろう。