現在では、政府が宇宙人飛来に関する情報を隠蔽しているという話題は、いわばアメリカの神話として定着しており、議会でもしばしば情報開示を求める請求が政府に出される。(2)


<写真版があるのは本物の証拠か>
<中国の神話も含まれる壮大なドラマ>
・この世界の最初に君臨していたのは「天之世」七代で、次が「天之御中主之世」十五代で、神々は大陸にいた。その十五代目の神が中国の神話で知られる、炎帝神農氏。この神農氏の一族は東の蓬莱を目指して移住し、そこを高天原と定めた。これが、富士山だという。
 神農氏の兄弟は、日本を東西に分けて、それぞれ統治した。これが「高天原之世」七代の始まりだ。
 中国で理想的な帝王だったとされる古代の「五帝」は神農氏の子孫で、その五帝の後を引き継いだ夏王朝、夏を倒した商(殷)王朝、商王朝を倒した周王朝、さらに秦始皇帝も、みんな神農氏の子孫だという。日本の王朝も、神農氏の兄弟の子孫なので、一族に含まれる。日本が「神国」と呼ばれるのも、神農氏の子孫の王朝だからである。
『竹内文献』などが、日本の天皇家が世界を支配していたというのとは逆で、日本の天皇家のルーツは中国だとしている点が珍しい。
「高天原之世」七代の次が「豊葦原之世」五代だが、都は高天原である富士山の北麓にあった。初代は女王オオヒルメだったが、新羅の王子タカが攻めてきたので、山奥の岩戸に隠れた。タカは説得されて、オオヒルメを姉として敬うことになり、名をソサノサノと改めた。つまり、『古事記』などのアマテラスとスサノオの兄弟の話が原型であるといいたいのだ。
 しかし、その後も外敵が攻めて来るので、第五代アソオの時代に、九州に遷都した。阿蘇山は、これと関係があるらしい。こうして王朝は九州に遷都したが、富士山への信仰は消えない。九州で五十一代にわたり続くが、その間も、高天原である富士山を祀る阿祖山大神宮は尊重されていたのである。
 そして五十一代神武天皇の時代になり、九州にあった王朝は東征し大和地方に王朝ができた、ということになる。

<『上記(うえつふみ)』鎌倉時代に編纂されたらしい超古代史>
<明治時代に発見された奇書>
・『上記』と書いて、「うえつふみ」と読む。「古史古伝」もののルーツといってもいいもので、江戸時代に発見された。『竹内文献』が作られるにあたり、参考文献となったのは間違いない。共通する部分が多いのだ。
『上記』の内容は、超古代、神武天皇以前のウガヤ朝の話が中心だが、地誌や産業、交通、外交、軍事など、昔の社会全般についての記述も多く、「古代の百科全書」とも称される。漢字渡来前に使われていた神代文字のひとつ、「豊国文字」で書かれていたとされる。

<編纂されたのは鎌倉時代か>
・そもそもこの『上記』は、誰がいつ編纂したものなのか。鎌倉時代の豊後国の守護だった大友能直だという。この人物は実在する。一説には源頼朝のご落胤だというのだが、その話はこの『上記』とは直接の関係はない。

<長きにわたる日本の歴史を詳細に記す>
・『上記』は、『古事記』や『日本書紀』と似ている部分も多い。それはどちらも、真実の歴史であれば、似るのは当然である。学者によっては『古事記』よりも詳しいので、『古事記』『日本書紀』を読み解くうえで参考になるとする人もいるくらいで、よくできていることは間違いない。
 よく言えば「日本神話の集大成」であり、ようするに寄せ集めともいえる。
 なかでも、『古事記』が詳しく伝えていない、出雲のスサノオからオオクニヌシまでの五代の神の時代について詳しい。そこから、これは「出雲王朝」の記録であるとする説もある。

・『上記』の最大の売り物は、『竹内文献』などにも影響を与えたと考えられる、ウガヤフキアエズ朝の歴史である。

・まず、『古事記』『日本書紀』にある正統日本神話を確認してみると、高天原から降臨するのはヒコホノニニギ、その子が海幸彦と山幸彦の話で知られる兄弟で、その山幸彦にあたるのがヒコホホデミで、この神と、竜宮の姫トヨタマヒメとの間に生まれるのが、ウガヤフキアエズで、その子供がイハレビコ、すなわち後の神武天皇となる。
「記・紀」では、父子の関係のウガヤフキアエズと神武天皇だが、『上記』では、その間に71代、二人を含めると73代の神というか王がいたことになる。とりあえず、王としておこう。その王朝の場所は九州である。
『上記』ではウガヤ朝の歴代の王についてそのキャラクターや業績が記述されている。第二代は、文字と紙と筆を考案した。その文字が豊国文字と呼ばれる神代文字のようだ。第三代は中国からの使者を迎えた。医薬、医術もこの代で開発され、四国と本州にも巡幸した。

<偽書である根拠>
・神武天皇が即位したのは西暦に換算すると、紀元前660年で、これ自体がすでに考古学で判明していることと矛盾するのだが、さらに数千年も前から日本には王朝があったことになってしまう。

<『物部文献』神武天皇にまつわるもうひとつの歴史>
<古史古伝ファンが待ち望んでいた文書>
・物部氏といえば古代のヤマト王権で権勢をふるっていた豪族である。祭祀と軍事の両面で天皇を支えていた。
 ところが崇峻天皇の時代に蘇我氏との間で、仏教を崇拝するか否かの崇仏排仏戦争が勃発すると、排仏派であった物部氏は敗北した。失脚した物部氏の一族は北へと落ち、一族の発祥の地である、いまの秋田県仙北郡に隠れた。現在の唐松神社宮司家はこの物部守屋の子、郡加世の子孫とされる。

<神功皇后の知られざる史実が明らかに?>
・『日本書紀』によれば、神武天皇が東征に出る前に大和地方へ行った者がいる。それがニギハヤヒで、天盤船に乗って行ったというから、『日本書紀』も、神話部分のファンタジー度では、「古史古伝」とあまり変わらない。逆に言えば、『古事記』『日本書紀』のそうした部分をさらに発展させたのが、「古史古伝」なのだから、根は同じだ。
 ニギハヤヒは大和に飛来すると、その土地の豪族のナガスネヒコの妹を妻とし、神武天皇が攻めてくると、ナガスネヒコ側に味方して戦った。だが、ニギハヤヒと神武天皇は互いに天津神の子であることが分かると手を結び、ニギハヤヒはナガスネヒコを裏切って殺し、神武に降伏した。こうして神武東征は成功、ニギハヤヒは天皇を支える豪族のひとつ、物部氏の祖先となる。『古事記』では少しストーリー展開は異なるのだが、だいたい同じだ。
 ところが、『物部文献』では、ニギハヤヒが降臨したのは幾内ではなく、東北地方だったとある。ニギハヤヒは出羽国鳥海山に降臨する日の宮を造営した。これが『物部文献』を守る唐松神社の由来である。

・勝者である大和朝廷の正史である『日本書紀』とは微妙に違うのは、敗者の歴史だからで、もしかしたら、この『物部文献』にあることのほうが正しいのかもしれない――「古史古伝」ファンはこのように発想する。それはそれで、ひとつの考え方だ。

<『九鬼文書』  聖徳太子が消そうとした歴史>
<大和と出雲の接点>
・『九鬼文書』は、中世から近世にわたり瀬戸内海に活躍した九鬼水軍で知られる九鬼家に伝わる文書である。
 九鬼家は兵庫県にある高御位神社の宮司を務めてきた家でもある。さらに、熊野修験をたばねる熊野別当でもあり、宗教的な権威のある家だった。

・『九鬼文書』は全三十巻で、宇宙の始まる時から明治までの歴史が書かれているとされる。もともとの超古代にあたる部分は、神代文字で書かれていたものを藤原不比等が漢字仮名混交文に翻訳し、奈良時代以降の部分は、後世になって書き加えられたとされている。

・「歴史秘録」には、神武天皇よりも前の天皇家の歴史も書かれている。その内容は、『竹内文献』に書かれているものと同じ内容が多い。これは、どちらかが真似したのではなく、「真実」はひとつなので、いろいろな史料に同じことが書かれていても不思議ではないということになる。『九鬼文書』にも『上記』の影響が見られる。
 歴史だけでなく、医学や武術などの書もあり、百科全書的なのも、『上記』と似ているのだ。
 『九鬼文書』が描く超古代史の最大の特色は、現在の天皇家の祖先を、『古事記』や『日本書紀』が伝えるアマテラスオオミカミではなく、その弟のスサノオノミコトとする点だ。スサノオノミコトが拠点とするのは、出雲である。
 つまり、出雲にはヤマト王権に匹敵する王朝があったのではないか。

・なにしろ、『九鬼文書』によると、大国主命はスサノオの皇子で白人根国小登美命の子で、黒人根国、つまりインドに行ったことがあり、そこから再び日本に戻ったとか、野安押別命(のあすわけのみこと)とか、母宇世(もうせ)とか伊恵斯(いえす)などの名があるとか、大変なことになっていく。野安押別命とは、ノアの方舟のノアのことだ。方舟に乗せる動物を選んだので、押別命なのだろう。母宇世は『旧約聖書』の十戒のモーゼ、伊恵斯はもちろんイエス・キリストである。こんな人びととも超古代の天皇は親交があったという。
 また、イザナギ三代天皇はエジプトに降臨して、伊駄国を作ったなどということも書かれている。

<聖徳太子との関係>
・さらに時代は下って聖徳太子の時代となる。この頃、仏教が伝来して盛んになるが、一方で、古くからの神道を信仰する人も多かった。そこで仏教派の聖徳太子は蘇我馬子と共に、物部氏や中臣氏ら神道派を滅ぼしてしまった。その際に、神典と宝物を焼き捨ててしまったため、宇宙開闢以来、10万3451年にわたる「天地言文」も焼けてしまった。
聖徳太子が物部・中臣氏を追放した際に、焚書もなされ、貴重な文献が焼かれてしまったのだ。このように、『九鬼文書』の世界では、聖徳太子は歴史を抹殺した人物という扱いとなっている。
 ところが聖徳太子の焚書を免れた写本があった。

・さらに、三浦一郎は、そもそも日本人とユダヤ人とは祖先が同じだと主張していたが、『九鬼文書』は、それを証明したことになっている。また、インドの釈迦も日本系だったことも、この文書によって確実となったとする。
 従来の日本の学者は世界各地に日本の文化と似たものがあると、それらは日本に伝来したもので、オリジナルは外国だと解釈していた。しかし実はその逆で、太古には日本人が世界を支配していたため、世界各地に日本の文化と似たものがあるのだと説明する。

<弾圧された九鬼文書>
・さらに、『九鬼文書』は大本教の開祖である出口ナオにも影響を与えたとされる。九鬼家は江戸時代には綾部に転封され、その綾部で、大本教は明治期に発生するのだ。
 開祖・出口ナオのお筆先に「九鬼大隅守の因縁がわかりてきたらどえらいことになるぞよ」という一節もある。
 『九鬼文書』と大本教には共通の伝承ルートがあったようだ。九鬼家の遠祖は「高御位山」なるところで「鬼門八神・宇志採羅金神」を祭祀し、皇祖神をスサノオとするが、大本神話の中心神格は「艮の金神」とスサノオ尊である。

<焼けた九鬼文書>
・この『九鬼文書』だが、原本は空襲で焼けてしまったという。


<『『先代旧事本紀』大成経』  全72巻の超大作偽書>
<全72巻の大著が生まれるまで>
・日本最古の歴史書といえば、『古事記』と『日本書紀』だが、『先代旧事本紀』はそれよりも前に作られたものとされる。

<偽書の偽書>
・新発見の「大成経」は、神話時代の神々の話から、神武天皇から推古天皇までの歴史と、聖徳太子の詳細な伝記までが38巻にわたり書かれ、これを「正部」と称し、39巻以降は「副部」となっている。そこでは、神道と儒教と仏教の三つの教えが統括され、三教が争うのではなく、鼎立するよう提唱されている。

<『竹内文献』壮大なスケールの神話か歴史か、それともフィクションか>
<『竹内文献』とは何か>
・『竹内文献』は竹内巨麿が公開したことからこう呼ばれる。超古代、歴代の天皇は天の浮船に乗って全世界をまわりながら世界を統治していたなど、日本なくして人類史はありえなかったという壮大なスケールの歴史である。

<知られざる人類の歴史>
・『竹内文献』が明かす、知られざる人類の歴史によると、神武天皇に始まり現在にいたる天皇家は「神倭朝(かむやまとちょう)」と呼ばれ、そのはるか前から天皇家は続いていたらしい。
 最初に「天神7代」の時代があり、その次が、「上古25代」(または「皇統25代」)で、この上古初代天皇が在位していたのは、紀元前3175億年だという。ビッグバンは138億年前とされているのでそれよりも前から、天皇家は存在したのだ。

・上古2代目の天皇の時代に16人の弟妹たちが全世界に散らばった。その名は「ヨハネスブルグ」「ボストン」「ニューヨーク」などで、これが地名として残ったのだ。「上古25代」の天皇の次に、「不合朝(あえずちょう)72代」があり、神武天皇はその73代目だという。この「不合朝」は、別名「ウガヤ朝」ともいう。
 これだけでも驚くべきことだが、驚愕の事実はさらに続く。「モーゼの十戒は日本の天皇が授けたものだ」とか、「釈迦も孔子もマホメットも、みんな日本で修行した」とか、とにかく、世界史を塗りかえてしまうのだ。

・超古代の天皇は飛行船のようなもの(天空浮船という)に乗って、世界中をまわっていたともいう。ピラミッドは、天皇の神殿だった。ある時期、日本にもピラミッドがあったという説が大流行し、「これがピラミッドだ」とされる山が日本各地に登場したが、そのベースとなるのも、『竹内文献』
の記述である。
 天皇が天空浮船を持っていた証拠となるのが、日本各地の地名。「羽」とか「羽根」とつく地名はいずれも古代の空港だったところなのだ。
 天空浮船は宇宙空間にも飛び出し、古代の日本人は宇宙人と交流していたというから、驚きではないか。

・キリストが日本で死に、その墓が青森県にあるという説も、『竹内文献』の記述から出た説だ。なんでも、十字架に磔になったのはキリストの弟イスキリで、キリスト本人は日本に逃れて天寿をまっとうした。その墓が青森県の戸来にある。この「戸来」は、「ヘブライ」がなまったものだという。
 こんな具合に『竹内文献』は日本史はもちろん、世界史、というよりも地球の歴史、あるいは宇宙の歴史まで解き明かしてくれるのだ。
 およそ科学的ではないし、考古学や歴史学からも大きく逸脱し、幻想小説に近いといってもいいほどだ。

<「ウガヤ朝」とは?>
・『竹内文献』だけでなく、この後に紹介する『富士宮下文献』(富士文献)、『上記』、『九鬼文書』などに共通するのが、神武天皇以前に日本にあったとされる「ウガヤ朝」である。正確には「ウガヤフキアエズ王朝」という。本書ではそれを略した通称「ウガヤ朝」と記す。
『古事記』『日本書紀』以前の超古代についての歴史書を「古史古伝」とも呼ぶが、そのほとんどに共通するのがウガヤ朝である。それらはすべてフェイク・ヒストリーである。
 ひとつの偽書がまた別の偽書を生み出すわけだが、その結果、いろいろな偽書に「ウガヤ朝」は登場することになり、それはまさに、ウガヤ朝が実在した証拠ではないか、となってくるので、恐ろしい。
 そのウガヤ朝と『古事記』『日本書紀』の神話とが一部重なるので、ますます混乱してしまうのだが、それもまたウガヤ朝が実在した証拠らしい。

<『古史古伝』の共通点と相違点>
・ウガヤ朝が何代続いたかは文書によって異なる。『竹内文献』では72代、『上記』でも72代だが、『富士宮下文献』では51代と少ない。『九鬼文書』は73代と、少し違う。
 誰が始めたかは共通していて、ホリオの子ウガヤフキアエズが開いた。このウガヤフキアエズは、『古事記』『日本書紀』では、カムヤマトイハレビコこと神武天皇の父とされている。つまり、『古事記』『日本書紀』は、ウガヤフキアエズとカムヤマトイハレビコの間にいた、何十人もの天皇を省略しているのである。
 
・このように共通する部分もあるが、『竹内文献』では、「不合朝」と書いて、「あえず朝」と呼ぶ、そして、この不合朝のもっと前に別の王朝があったとされている。

・『富士宮下文献』は、単純に父から子への相続ばかりだ。もし本当にそういう王朝が存在したとしたら、これはかなり稀有である。世界のさまざまな王朝は、どこでも父から子への相続だけでは何十代も続けていくことができない。もっとも、神に近い時代の話なので、そういうこともあったのかもしれない。
 もうひとつの『九鬼文書』は高千穂の宮で73代続いたことと、最後の王が神武天皇になったこと以外は記されていないようだ。

<どれがいちばん古いのか>
・『竹内文献』は昭和になってから発見されたが、他の文書はいつ発見されたのであろうか。
『上記』は、1837年に現在の大分県にあたる豊後国で発見された。『富士宮下文献』は、1883年に、山梨県富士吉田市の宮下家で発見された。『九鬼文書』は1941年である。
 つまり、最も古いのは『上記』ということになる。『竹内文献』はそれを書き写したと考えたほうがいいだろう。『富士宮下文献』は『上記』を参考にして新たに書いたもの、『九鬼文書』はこういうことも知っているよ、というようなものか。

<『東日流(つがる)外三郡誌』 反天皇派が信じたがった大津波で消えた幻の王朝>
<東北で栄えたアラハバキの政権>
・まずその内容だが、簡単にいって、超古代から中世にかけての東北地方には天皇家とは別の王朝が栄えていたというものだ。『古事記』『日本書紀』に匹敵する、壮大なスケールの超古代からの歴史が描かれている。第3部のテーマである「古史古伝」と底流では共通するものを持っていたそうだ。
 それによると—―古代の津軽には、モンゴルの彼方から渡来してきた、とても穏やかな山の民であるアソベ族が暮らしていた。自然を信仰する人びとで、動物や魚はあまり食べず、主に草木の実を食べていた。そこに大陸から荒々しいツボケ族が攻めて来て、アソベ族は征服されてしまう。

・幾内では、ツモミケ族のアビヒコとナガスネヒコ兄弟が周辺部族を統一して、邪馬台国を築いていた。そこに九州から日向族がやってくる。この日向族を率いているのが佐怒王(神武天皇)だった。邪馬台国は日向族との戦いに敗れ、アビヒコとナガスネヒコの兄弟は東北へ逃げ、津軽に落ち着く。
 古代史における最大の謎である邪馬台国幾内説と神武東征とが、こうやって説明されてしまうのだ。
 逃げて来た邪馬台国の人びとは、津軽で侵略者となる。ツボケ族は負け、中国からは春秋戦国の動乱を逃れた晋の王族もやって来て、邪馬台国の一族との混成民族が誕生する。それが、アラハギ族だった。
 アラハギは神の名である。このアラハギを信仰する民族なのでこう呼ばれる。その御神体が遮光器土偶、宇宙人を模したとも言われるものだ。
 アラハギ族はその後も神武天皇の子孫によるヤマト政権と何度も戦い、大和を奪還し、アラハギ族の天皇もいた。
 東北の有力者である安東氏はアラハギ族の直系で、その安東水軍は十三湊を中心に栄え、中国、朝鮮はもちろん、広くロシア、インド、アラビアなどとも交易し、キリスト教も早くから伝わっていた。
この安東氏による王国は、南北朝時代の1340年、十三湊を大津波が襲ったため、一夜にして壊滅した。
 そして、その歴史も抹殺されてしまった。

<『ウラ・リンダ年代記』ヨーロッパにもある「もうひとつの古代史」>
<キリスト教が支配する前の古代ヨーロッパ史>
・「古史古伝」は日本だけでなく、ヨーロッパにもある。
 日本の場合は、ヤマト王権が支配する前に別の王朝があったのにそれが滅びてしまったため、その歴史が抹殺されたという前提になるが、ヨーロッパの場合は、キリスト教会が支配する前に高度な文明があったのに滅びてしまい、歴史が失われたというのが前提となる。

<フリーズ人の神話とは>
・オランダ北部の都市レーワルデンを中心とするフリースラント州は、フリーズ人が住んでいて、その地域の言語フリーズ(フリジア)語も公用語となっている。
 1872年に出版された『ウラ・リンダ年代記』は、この地域のある家族の歴史をフリーズ語とオランダ語訳で出版したものだった。

・その年代記によると—―宇宙には、唯一にして世界の中心に存在するヴラルダという神がいた。このヴラルダは超越的な精神的な存在のようだ。万物はヴラルダによって創造され、ヴラルダはいたるところに内在している。キリスト教に似た一神教であるが、ヴラルダがいたるところに内在するというのは、日本の八百万の神みたいでもある。
 ともかく、ヴラルダから原母神フリヤーが生まれ、そのフリヤーから生まれたのがフリーズ人だった。そしてこのフリーズ人のなかで高貴な家がリンデ一族であり、その家族の歴史が書かれたのが、そしてこのフリーズ人のなかで高貴な家がリンデ一族であり、その家族の歴史が書かれたのが、『ウラ・リンダ年代記』というわけだ。
全体は6つの書で構成され、さらに53の節に分けられるという。
最も古い書は「フライアの記」といい、紀元前2200年前後に書かれ、最後の「ヒデ=ウラ・リンダ書簡」は1256年に書かれたということになっている。
また水没したとされる伝説の大陸、アトランティスについての記述もあり、こういう話が好きな人たちを喜ばせる。
この書が衝撃と喜びをもって受け入れられたのは、フリーズ人がローマなどよりも遥か昔に文明を持ち、独自の神話を持っていたことが「証明」されたからである。
もちろん、この文書が本物であった場合の話だ。

<目立ちたがり屋が偽書を書いた>
・神話は世界各地にあり、そのほとんどはフィクションである。その神話を書いた本は別に「偽書」ではない。『ウラ・リンダ年代記』の場合、「13世紀に書かれたもの」として発表されたのに、そうではなかったので、偽書となる。

<ナチスが利用しようとした理由>
・ヴィルトはヒトラーのナチスが政権を獲得した1933年に、『ウラ・リンダ年代記』をドイツ語に翻訳して出版した。そして、『ウラ・リンダ年代記』は、ユダヤ人の『旧約聖書』よりも古いものであり、こういう文書があるのは、ゲルマン民族のほうがユダヤ人よりも先に文明を切り拓いていた証拠だとした。つまり、ユダヤ人は劣っているというナチスの主張に正当性を与える材料を提供したのだ。
ナチス幹部のなかで『ウラ・リンダ年代記』を支持したのがハインリヒ・ヒムラーだった。親衛隊や秘密警察ゲシュタポの統率者である。ヒムラーはヴィルトを長官にして「ドイツ先祖遺産(アーネンエルベ)、古代知識の歴史と研究協会」を創立した。これはナチスの公的な研究機関で、先史時代や神話時代は、「北欧人種」(ドイツ人)が世界を支配していたことを証明することを目的とした。通称「アーネンエルベ」と呼ばれ、ナチスのオカルト研究の本拠地にもなる。

・『シオン賢者の議定書』のように、実害は与えなかったが、この偽書もドイツのヒトラー政権に影響を与えかけたという点では、忘れてはならない。
 
・フィクションは偽書ではない。しかし、どう考えてもフィクションであるものも、「真実の書」として刊行されたら、それは偽書となる。

<『秘密の教義(シークレット・ドクトリン)』ナチス・オカルティズムの原典>
<宇宙はこうしてできた>
・ヒマラヤの地下に僧院があり、そこで「センザール」なる文字で書かれた文書があった。その文書を守っているのは、宇宙と地球の歴史を密かに伝える人びとだった。

・この文書を見せてもらったブラヴァツキーという女性は、この文書を翻訳し、注釈をつけて『秘密の教義』なる書を出版した。1888年、ロンドンのことである。
 この書こそ、ナチス・ドイツのオカルト的世界観の原典である。
 ヒトラーは『シオン賢者の議定書』を利用するだけでなく、このようなオカルトっぽい本も利用していったのだ。
『秘密の教義』を書いたブラヴァツキーは1831年にウクライナで貴族の家に生まれたという。アメリカに渡って心霊主義運動にのめりこんだ。彼女は霊界と接触できる才能の持ち主で降霊術を得意とし、スピリチュアルの世界での有名人になっていく。

・この書は、「宇宙創世記」と「人類創世記」の2部構成となっている。それによると、まず宇宙には7つのサイクルがあったとされる。
 人類には7種類あり、北方の空間に住む第1人類に始まり、かつて北極にあった大陸に住む芽体によって分裂する第2人類、レムリアに住む卵生で両性具有の第3人類、アトランティスに雌雄生殖する第4人類、そして現在は第5人類の時代なのだそうだ。生物の進化の歴史を「人類」に置き換えているだけのような気がするが、そういうことにしておこう。
 
・いまは人類が霊的下降から上昇に転じる転換期にあるのだが、それを邪魔しているものがある。それが、第3人類の下層(それぞれの人類はさらにいくつかに分類される)人類である第4亜種だそうで、彼らは獣と交合したため、半獣半人が生まれてしまった。
 第4人類のなかにも下層人種がいる。そうした亜種は断種すべきである。そうでないと、人類は霊的に高いところに到達できない。その亜種とはアーリア人ではないものである。
 というわけで、この宇宙の歴史・人類の歴史は人種差別を肯定する選民思想だったのである。ダーウィンの進化論が意図的に歪曲されて、社会ダーウィニズムとなり、さらに別の流れから優生学も発達していた時代の気分に合っていた。

<『失われた大陸ムー』幻の古代文明の謎>
<ムー大陸ブームの始まり>
・「ムー大陸」ブームというものが、日本で1970年代に起きた。そのきっかけとなったのが、ジェームズ・チャーチワード書『失われたムー大陸』の翻訳出版だった。
 といっても、チャーチワードは戦前の1936年に84歳で亡くなっている。『失われたムー大陸』がアメリカで出版されたのは1931年。40年近くたってから、日本ではブームとなったのだ。

・チャーチワードの調査の結果、約1万2千年前に太平洋に大陸があり、そこにはかなり高度な文明があったことが判明した。イースター島やポリネシアの島々にある謎の石像のような遺跡は、滅亡を逃れた人びとが造ったものかもしれないともいう。

・チャーチワードによると、ムー大陸には、太陽神の化身ラ・ムーを君主とした、白人が支配する超古代文明が繁栄していた。皇帝ともいうべき、ラ・ムーは、世界各地に植民地を持ち、それがウイグル帝国、ナイル帝国、インドのナガ帝国、マヤ帝国、アマゾンのカラ帝国などだった。
 ところが何らかのことで神の怒りを買い、1万2千年前に大陸は一夜にして海底に沈没した。

<ムー大陸の嘘>
・ムー大陸の存在は、まず地球物理学の観点から科学的に完全に否定されているのだ。仮に、かつて大陸があったとしても、それが一夜にして沈むことなどはありえないというのが、現代科学の結論である。小松左京のSF『日本沈没』にしろ、日本列島が沈没するのに数ヵ月がかかることになっている。

<アトランティス大陸との関係>
・ムー大陸と並び、海に沈んだ大陸として有名なのがアトランティスだ。
 なにせ噂の出所がかの有名な古代ギリシャの哲学者プラトンである。その著書『ティマイオス』と『クリティアス』に、アトランティスなる大陸が一夜にして没した伝説が出てくる。

<日本人とムー大陸のつながり>
・ムー大陸は『竹内文献』にも登場する。
『竹内文献』の解説書のひとつ、『天国棟梁天皇御系図宝ノ巻き前巻・後巻』は昭和15年に刊行されたものだが、そこには、ウガヤフキアエズ王朝69代の神足別豊鋤天皇の代に「ミヨイ」、「タミアラ」という大陸が陥没したとあり、これがムー大陸のことらしい。
 これらの島には、白人・黒人・赤人・青人。黄人の五色人と。王族である黄金人が暮らしていたが、天変地異で島が沈んだため、天の岩船で太平洋沿岸域に避難した。じつは、「ノアの方舟」でおなじみの世界的大洪水は、この「ミヨイ」「タミアラ」の水没の影響なのだ。
 そして、生き延びた黄金人の子孫が、他ならぬ、日本の天皇家なのである。したがって、日本は、かつて世界を支配したムー大陸の正統な子孫なのだ。
 もちろんこれを実証する文献も科学的な根拠もない。

<『空飛ぶ円盤実見記』 宇宙人と遭遇した男の実録>
<宇宙人遭遇記の元祖>
・地球外生命体の存在を100パーセント否定する人は、あまりいない。しかし、その異星人が空飛ぶ円盤に乗ってやって来た宇宙人であるという話になるまでには、かなりの飛躍が必要だ。
 ポーランド系アメリカ人ジョージ・アダムスキは、宇宙人と遭遇したと書き続けた人である。それは、個人の単なる妄想の域を超えて、「宇宙人遭遇記」というジャンルを作るまでになった。

・1949年に『宇宙のパイオニア』というSF小説を書いて出版された。この時点ではフィクションの作家だったのだ。フィクションであれば、宇宙へ行こうが宇宙人と遭遇しようが、誰も「偽書」だとは批判しない。
 最初の「ノンフィクション」は、1953年の『空飛ぶ円盤実見記』である。それによると、アダムスキは1952年に空飛ぶ円盤に遭遇し、写真を撮影したという。この本がベストセラーになったことで、彼の人生は変わってしまった。その後も『空飛ぶ円盤同乗記』『空飛ぶ円盤の真相』などを次々と書いて、世界中を講演するのである。
 アダムスキが亡くなるのは1965年、アポロ11号が有人月面着陸する4年前のことである。

<どんな遭遇だったのか>
・アダムスキの記述は、まるで小説のように具体的だ。
 時は1952年11月20日、ところはモハーヴェ砂漠、その日、アダムスキは友人やジョージ・H・ウィリアムスン夫妻と一緒にいた。すると、巨大な円筒形状の飛行体が出現し、その飛行体から銀色の円盤が出て来て着陸した。アダムスキがひとりで歩いていくと、ひとりの宇宙人に遭遇した。
 その宇宙人は金星人で、核実験の懸念をアダムスキに伝えたという。仲間は双眼鏡でアダムスキと金星人の会見の様子を観察していた。翌月の12月13日、アダムスキは円盤の写真撮影に成功した。

・その後もアダムスキは金星人や火星人、あるいは土星人にも会い、円筒形状の宇宙船に乗って月を一周した。月の裏側には谷があり、あるいは都市もあった。と、話はどんどん飛躍していった。
 現在では、ほとんどの人が信用しないが、当時はまだ、誰も行ったことがない世界なので、当人が月の裏側に行ったと言い張れば、「ああ、そうですか」と応じるしかなかったのである。

・アダムスキの場合は、すべて創作であろう。その後、太陽系の惑星のことが詳しく分かるようになり、火星人や金星人の存在は否定された。残念ながら、アダムスキの想像力は現実の前に敗北したのである。

<30番目のフェイク>
・私の中学時代、つまり1970年代前半には、怪しげな本がまともな本の装いでたくさん出ていた。世界各地の古代遺跡は太古の時代に異星人が地球を訪れたときのもので、人類は「彼ら」によって作られたのだと、真面目な筆致で書かれている本には興奮した。UFOや、ムー大陸の本はクラスメートの間で貸し借りされて、男子の大半はその存在を信じていた。

・さらにマニアックなものとして「地球空洞説」というのもあった。私たちが暮らしている大地の裏側にあたる空間には、別の人類が暮らしていて高度な文明があり、UFOは彼らの乗り物だというのだ。
 UFOが月の裏側にある宇宙人の基地から来るのか、北極にある地球内部への空洞の出入り口から来るのかと、雨の日の昼休みなど、クラスメートたちと真剣に論じあったものだ。

・やがて五島勉『ノストラダムスの大予言』が1973年の暮れに出て、74年になると大ベストセラーとなった。UFOやムー大陸にそろそろ胡散臭さを感じていた私たちは、これに飛びついた。なにしろノストラダムスは実在した人物なのだから、UFOやムー大陸に比べれば、はるかに信頼性が高かった。
 私の世代には、五島勉が解釈したノストラダムスの予言、「1999年7月に人類が滅亡する」を信じて大人になった者は多く、その一部がオウム真理教に入った。
「UFOが実在しない」ことを証明するのが困難なように、「予言が当たらないこと」も証明は困難だ。1999年7月31日が終わるまで、頭の片隅には、1999年に人類が滅亡するかもという思いが常にあった。

・昭和30年代生まれは、偽書に育てられた世代なのだ。その世代が、こんにちのフェイク社会のベースを作ったという見方もできる。
 かつてUFO同乗記に夢中になった中学生のひとりとして、偽書が信用されてしまうメカニズムについて、少しでも多くの方に知っていただきたいと、あらためて思う。


"現在では、政府が宇宙人飛来に関する情報を隠蔽しているという話題は、いわばアメリカの神話として定着しており、議会でもしばしば情報開示を求める請求が政府に出される。(2)" へのコメントを書く

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